今井信子さんインタビュー

古希を迎えたヴィオラ奏者今井信子さん

掲載日:2013年6月10日

 「憧れ」胸に「今」を生きる

 


2013年3月3日夕、新宿の東京オペラシティコンサートホール。ヴィオラ奏者・今井信子さん(当ホール音楽アドバイザー)は舞台に立ち、オーケストラを背に微笑んでいた。今井さんの古希(70歳)を記念する特別公演。モーツァルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」を皮切りに、バルトークのヴィオラ協奏曲、そして武満徹の「ア・ストリング・アラウンド・オータム」。独奏ヴィオラを伴う古今の名作3曲を一人で、しかも一公演で弾き通す、前人未到の試みだった。ヴィオラのソリストがまだ日本に存在しなかった時代、欧米に飛び出し、半世紀かけてキャリアを築いてきた。「人のまだ歩いたことのない雪道を行きたい」が、彼女の信条。それを体現するような冒険的な舞台に、満場の聴衆からの喝采がいつまでも続いた。熟してなお世界を駆け続ける「草分け」の、フロンティア・スピリットを伝えよう。

(あいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホール 谷本 裕)

 

 

今井さんは20代前半で世界最難関のコンクールで最高位を獲得し、以後、欧米のヒノキ舞台で演奏を重ねてきた。後進の育成にも早くから携わり、長じてヴィオラの音楽祭「ヴィオラスペース」や国際コンクールを立ち上げるなど、「独奏楽器としてのヴィオラ」の確立に尽くしている。しかし、その道程は平坦ではなかった。ピアノやヴァイオリンと異なり、ソリストを養成する教育システムやコースが世界的にも未整備な時代、さまざまな師や演奏の機会を自ら求めなくてはならなかったからだ。経済的な不安、仕事と育児の両立にも時に悩みながら、音楽家としての主体性を養い、ソリストの「道」を開拓してきた。逞しい情熱とエネルギー。「源」はどこに。

 

「憧れ」ですね。この言葉が、自分を導いてきたと思います。ヴィオラを志したのは1964年夏。桐朋学園の弦楽合奏団で斎藤秀雄先生とアメリカに演奏旅行に行き、立ち寄ったタングルウッドの音楽祭で、リヒャルト・シュトラウス作曲の「ドン・キホーテ」を聴きました。ヴィオラのソロが大活躍する交響詩。破天荒な主人公の従者サンチョ・パンサを描くメロディは、ちょっと惚けた感じと低い音がとても合ってました。日本で聞いていたヴィオラとは全く違って甘く、説得力があり、ゾクっとしちゃったんです。当時は主にヴァイオリンを弾いてたんですが、ケミストリー(化学反応)っていうのかしら、瞬間、ヴィオラに惚れたんです。あの音の感動が、今も続いています。弾いていたのは、ボストン響の首席奏者ジョセフ・ド・パスクワーレ。終演後、舞台裏に飛んで行き、小澤(征爾)さんに頼んで会わせてもらいました。「ヴィオラをやりたい」って相談したら「手を見せろ」。私、小柄ですけど手は大きめなんです。「これなら大丈夫」って言われ、嬉しかったですね。

青春時代の、こんな直感的な「憧れ」が今井さんを導き、支えてきた。「ピン」ときたら、居ても立ってもいられない。今も昔も、行動力の人である。

私は音楽家と一緒に居るだけで、相手の音楽性が大体、分かるんです。「一緒に弾いてみたいな」と思ってると、向こうもそう考えてたりする。教える時も、若い人の演奏を聴いていて「あの子、良いな」と思ったら、「マスタークラスに来てみない?」って、こちらから電話するんです。受話器の向こうで、びっくりしてる。でも「類は友を呼ぶ」。最近は、私と似たタイプの弟子が増えてきました。思い立ったら「今」やることが大事。今しかできないことが、たくさんある。もちろん長い間、音楽をやってきて、うまくいかなくて「やめたい」と思ったことだってありました。でも私、ジメジメ考えるタイプじゃない。楽天的で、一晩寝ると忘れちゃう。

潔い冒険家のような顔が今井さんにはある。今回の公演にも、そんな気質が見て取れる。

1公演で協奏曲を3曲も弾いたのは、初めて。前半はモーツァルトの後、ほとんど休みなしで難曲のバルトークを弾かなきゃならない。普通のコンサートなら、どちらか一曲で御役御免です。少し疲れてしまい、舞台袖で一瞬、「どうしようかな」なんて思ったんです。でも、あの企画は、自分で言い出したこと。「大きな音楽を弾いてやろう」って思い直し、光の中に出て行きました。後に引けない形を自身でつくり、「とにかく、やるしかない」という気持ちで、これまで演奏を続けてきました。

「70歳の賭け」は、まだあった。モーツァルトで共演する独奏ヴァイオリニストに彼女が選んだのは、日本ではほとんど無名の新人だった。ダニエル・アウストリッヒ。弱冠28歳、ロシア出身のドイツ人で、今井さんが主宰する「ミケランジェロ弦楽四重奏団」のメンバー。欧州では既にキャリアを重ね、「ヴァディム・レーピンに比肩する」とも評されている逸材である。

節目の舞台だから、周囲からは当初、著名な演奏家を勧められた。でも私は以前から、若く、才能ある音楽家を舞台で紹介してきたし、今回もそうしたかったの。ダニエルは音楽家としての器がとても大きい。素朴な人柄にも私、ものすごく惚れてて、何とか理解を得て連れて来たんです。あの曲は、ヴィオラの古典的なレパートリー。私はこれまで、数え切れないくらい様々な演奏家と弾いてきました。でも、ダニエルとは今までに無いような弾き方をした箇所がいくつもあって、本番が本当に楽しかった。終演後、友人たちから「あの部分、とても良かったよ」と褒めてもらえ、リスクを取った甲斐がありました。

「新しい表現」を追求し続ける姿勢は、今井さんならでは。即興的な演奏は、スリリングな輝きがある。

音楽というものはいつも、「瞬間」に生まれる。いつも、そんな感じで弾かなきゃいけないと思ってるんです。解釈や弾き方をあらかじめ決めて、毎回繰り返すのは絶対にダメ。そんなタイプの演奏家も案外多いですよね。でもそれだと、音楽はどんどん死んでいく。私は、一度、ある弾き方で演奏したら、それでいったん音楽は終わりだと考えています。次に弾く時はまた、演奏家がクリエート(創造)しないとならない。このことは生徒にもよく話します。

今井さんはそれを、学校で習ったのではない。長い歩みの中、様々な音楽家と一緒に演奏し、培ってきた演奏観である。音楽を主に「実践」で学んできた「草分け」ならではの、自由な発想である。

アメリカのマルボロ音楽祭で、チェロのカザルス(*1)と一緒に演奏した時、不思議な体験をしました。独りで弾くと、まごつく楽句も、彼が指揮する合奏だと弾けてしまう。大きな脈拍感が、体に直接伝わってくる。その中に自分が入り、流れに身を委ねて一つの音楽を共に創っていける。ヴァイオリンの名手ヴェーグ(*2)もそうでした。弦楽四重奏を一緒に弾いてると、4、5小節先で彼がどう弾きたいかが音で分かるんです。いちいち譜面に書き込まなくても、勝手に体が動く。そんな素晴らしいインスピレーションを受けて、毎回、新しい音楽を生み出す喜びを知ったことは、大きな財産です。これからも私自身が直接、若い世代に伝えていきたいですし、ヴィオラスペースをはじめ、仲間と続けてきた営みを、さらに次の世代に引き継いでいってくれる人材に、少しずつ渡していきたいと考えて始めてもいます。

 

取材協力:AMATI

*1)パブロ・カザルス 1876-1973 スペイン生まれのチェロ奏者。近代的なチェロ奏法を確立。平和主義者としても知られた。

*2)シャンドール・ヴェーグ 1912-1997 ハンガリー生まれ、フランスで活躍したヴァイオリニスト。弦楽四重奏をはじめとする室内楽、室内管弦楽団の指揮などで活躍。


 
今井信子さんは2013年度、あいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホールの音楽アドバイザーとして、以下の3公演をプロデュースした。
1) 7月5日(金)14:00 エール弦楽四重奏団
各人が素晴らしい技量と可能性を持った音楽的パーソナリティーの持ち主。将来がもっとも期待されているカルテット。シューベルトの「死と乙女」、ベートーヴェンの後期の最高峰の一つとされている作品131。 

2) 11月15日(金)19:00 あいおいニッセイ同和損保presents 日本補助犬協会支援チャリティーコンサート今井信子ヴィオラ&ヴァイオリンリサイタル
ピアノのフランソワ・キリアンは東京国際ヴィオラコンクールの公式伴奏者を務めるなど、演奏家からの信頼も厚く、フランス人でありながらドイツ的な音を出す素晴らしい演奏家。ブラームスのヴィオラ・ソナタ、ブリテンのチェロ組曲第2番(ヴィオラ編曲版)ほか。 

3) 2014年3月26日(水)19:00 スーパー・ピアノ・カルテット
日本で演奏される事の比較的少ないピアノ四重奏曲の中でも、最も叙情的な優雅なモーツァルトと哀愁溢れるドヴォルザークのピアノ四重奏曲など。古希記念公演で共演した、ダニエル・アウストリッヒも参加。

 
■プロフィル いまい・のぶこ 
1943年東京生まれ。桐朋学園大学を経て米国のイェール大学、ジュリアード音楽院に学び67年ミュンヘン、68年ジュネーヴの両国際コンクールで最高位入賞。北イリノイ大学、英マンチェスター音楽院などの教員を務めながら演奏活動を広げ、89年秋、武満徹がフランス革命200年記念で委嘱されたヴィオラとオーケストラのための「ア・ストリング・アラウンド・オータム」をパリで初演、小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラとの共演で録音したCDがベストセラーとなる。87年の開館時からカザルスホールの音楽アドバイザー、90年からは同ホールのレジデント・クァルテット(カザルスホール・クァルテット)メンバーとなった。同ホールでは91年からリサイタルを始め、翌年からは、ヴィオラの可能性を追求し、音楽性と素晴らしさを広めるため、「カザルス・ホール・ヴィオラ・スペース」と題したヴィオラのための音楽祭を創設。この事業ではヴィオラ奏者育成のため、マスタークラスを開催している。95年はヒンデミットの生誕100年を記念、東京、ロンドン、ニューヨークで開かれた国際ヴィオラ・フェスティバルの音楽監督を務めた。97年第1回淡路島しづかホール・ヴィオラ・コンクールの審査委員長。2003年ミケランジェロ弦楽四重奏団結成。2009年、2012年東京国際ヴィオラコンクール審査委員長。クロンベルク・アカデミー、ジュネーヴ音楽院、上野学園大学の各教授、アムステルダム音楽院でも後進の指導にあたっている。「エイボン女性芸術賞」、「芸術選奨文部大臣賞」、「京都音楽賞」、「モービル音楽賞」、「毎日芸術賞」、「サントリー音楽賞」を受賞。2003年、紫綬褒章受章。欧米を軸にソリスト、室内楽奏者、教育者として国際的に活躍しているヴィオラの第一人者。当ホールでは1997年5月、主催公演にクラリネット・トリオで出演(共演・フリードリヒ・ヴィルヘルム・シュヌア=ピアノ、エルマー・シュミット=クラリネット)。また、「ヴィオラスペース」(主催・テレビマンユニオン)も2005年から毎春、当ホールで開催されている。 2011年4月1日よりあいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホール音楽アドバイザーに就任。2013年4月、旭日小綬章を受章。