ミシェル・ダルベルトさん インタビュー

2013年度ティータイム公演で、独・仏の大曲を披露するフランスの名ピアニスト ミシェル・ダルベルト

掲載日:2013年1月25日

注目!「夜のガスパール」

(c)Jean-PhilippeRaibaud

金曜の午後、おいしいお菓子やお茶とともに、音楽をお楽しみいただくティータイムコンサート。夜は外出しづらかったり、昼間の買い物やお友達との語らいがお好きなご婦人方にピッタリの人気シリーズです。2013年度は前後5回、ステキなマチネをお送りします。今回のインタビューはその中から、フランスを代表する貴公子ピアニストにスポットを当てます。ミシェル・ダルベルト。難曲の呼び声高いラヴェルの「夜のガスパール」はじめ意欲的なプログラムを組みました。生粋のパリジャンながら、シューベルトをはじめとするドイツ・ロマン派の作品演奏でも高い評価を得ており、世界に活躍の場を広げてきた名手。フランス人らしい洒脱な感性に加え、深い知性と霊感に満ちた演奏をします。ダルベルトの真摯な思いをご紹介します。   

(あいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホール 谷本 裕)

―今回のプログラムは、前半がドイツ・ロマン派、後半が近代フランス音楽でまとめられています。まるで、あなたの主要レパートリーの象徴ですね。

 確かにその通りです。プロになって最初の20年ほどはドイツ系の作品がレパートリーの中心でした。年齢を重ねるにつれフランス系の作品、つまりドビュッシー、フォーレ、ラヴェル、フランクといった作曲家の作品に強く魅かれるようになりました。

―両者を弾く際、心情的に何か違いはありますか。逆に共通していることもありますか。
 

 ドイツ音楽とフランス音楽の間には、むろん多くの違いがあります。でも、ドイツ音楽の中にも、フランス音楽の中にもまた、多くの違いがあります。それは、それぞれの作曲家が音楽を和声(harmony)で捉えていたか、それとも多声(polyphony)によってか、その違いが大きい。この点、例えばラヴェルとドビュッシーの間、またフォーレとフランクの間には大きな隔たりがあります。また、一般にドイツ音楽では作品の構造や構成が非常に重要ですが、フランス音楽では必ずしもそうでない。むろんフランス音楽にも、構造はあります。でもそれは「隠れた秩序」のようなものです。フランス音楽を弾く時は、音色の吟味が多くのピアニストを悩ませる。でも私は、それは二次的な要素とみています。粗い音より魅力的な音の方が良いのは当然ですが、音色ばかりに焦点を絞るのは、アプローチとしては狭いものです。

 
―あなたはシューベルトのソナタを全曲録音しています。一連のソナタは、彼の思想や感性、情緒の変化を映し出していると考えて良いでしょうか。
 

 もちろん。あの作品群に向き合い、シューベルトの世界を知り尽くそうと試みても、それが実は終わりのない旅であり、彼の音楽の驚くべき広がりを完全に理解するには、一人分の人生だけでは到底、足りないことを思い知るのです。器楽曲というのは概ね、感情の道筋をたどり究める点で、洗練を重ねてきました。シューベルト以前は、こうした感情は二元的に考えられていました。つまり「私は幸福だが不幸が近付いてくる」、あるいは「今、私は不幸だが幸福が戻ってくる」。そのどちらかだったのです。でもドイツ・ロマン派は、潜在意識の中に潜んだ倒錯した感情とか、総体的に人生を悲観した態度などを基盤としながら、新しい段階に足を踏み入れます。シューベルトもそんな動きの中、創作を探った。彼は人間の心の奥深くにある親密な感情を音楽で表し得た、恐らく最初の作曲家でしょう。ベートーヴェンは人間の感情を最も普遍的に、そして壮大に表現し続けた、だとか、モーツァルトの音楽には人生のあらゆる側面を聴き取れる、だとか。そんな大まかな物言いがもし出来るとしたら、シューベルトは、最も平凡でありふれた人間にのみ唯一関心を示した、と言えるでしょう。実際、彼の人生の単調さはよく知られています。情熱的な恋愛をしたわけでない。大きな野望を抱いていたわけでもない。あきらめ、運命を受け入れ、また何かのために闘うとか、抗議したりもしていませんでした。それが彼の性質です。対立や反発を巧妙に避けるのが、彼の音楽なのです。

 
―今回、演奏されるシューベルトのソナタ(第19番ハ短調 D958)は、彼のソナタではどんな位置付けでしょうか。
 

 このハ短調ソナタは、彼のソナタの中では、最も暗い作品だと思います。最初から最後まで「ノー」と言い続けるのです。これほどまでに否定的で悲観的な作品というのも珍しい。構成も独特です。彼のソナタ作品の多くは、緩やかなテンポの楽章が焦点ですが、この作品では全てのエネルギーを最終楽章-彼のソナタの中でも最も長く、最も難しい楽章の一つ-に貯め込んでいるように思われます。こんな構成の作品は、後世のブルックナーが書いた交響曲第5番とかマーラーの交響曲第6番まで出てこなかったのではないでしょうか。対立や反発は、シューベルトの好むところではなかった。だからでしょうか、ソナタの展開部も、ベートーヴェンのそれに比べると興に欠けるように思えるかもしれません。でもシューベルト作品の展開部にだって素晴らしい魅力はあります。それは主に主題の提示部にあり、魅力的でしかも苦悩に満ちた格別な一節を、彼が繰り返し用い始める際に感じられます。苦悩にさいなまれても、心地良さゆえにそれを繰り返す。マゾヒスティックといっても良いような展開があるのです。
 

―さて、プログラム後半は、まずドビュッシーの《子どもの領分》、《映像》第1集。半世紀の間、何度も演奏されてきたことでしょう。繰り返し演奏するのはなぜですか。
 

 日頃から言っていることがあります。私にとって、クラシック音楽の最も重要な特性は「予測不可能」な点です。そして、同じ曲を何度も聴いたり演奏したりした後でも、その特性が衰えない点です。こうした作品も私にとっては素晴らしく、予測不可能な名曲たちなのです。
 

―ラヴェルの《夜のガスパール》(*)は、古今の作品の中でも難曲と言われています。どんな点が難しいのですか?技巧ですか。
 

 そうであり、そうでない、とも言えます。曲中の《スカルボ》が最も難しいというピアニストは多いですが、私はむしろ《オンディーヌ》の難しさを挙げたい。特に冒頭の数小節は、私が知る中でも一、二を争う、ぞっとするほど難しい出だしです。ひしめく音の群れを柔らかく、しかも中庸のテンポで弾くことほど難しいものはありませんからね。

 
―この作品は、ルイ・アロイジュス・ベルトランの詩によって書かれています。この詩から演奏上の霊感を得ることはありますか。
 

 2度ほど、演奏直前に詩を読んだことがあります。俳優の朗読に合わせ、曲を弾いた経験もありました。でもこれは、聴衆には退屈になってしまった印象があり、今はやっていません。詩からインスピレーションを受けることももちろんありますが、そんな助けがなくても《絞首台》からは首を吊られた人間の身体を、また《スカルボ》からは悪魔のような小人の姿を、それぞれ思い描くのは難しくない。結局のところ、これは印象派の音楽ですから。

 
―ヴェテランのピアニストとして、近未来の目標は何でしょう。何に挑戦しますか?
 

 年を取るにつれ、オーケストラを指揮することにどんどん興味が湧いてきました。近年は素晴らしいオーケストラと共演する機会も増え、嬉しい。最近は日本でも東京交響楽団と共演できました。ピアノ以外にも音楽に関わる幾つかのプロジェクトに携わっており、中国で夏の室内楽のセミナーを開催したりもしています。何が実を結ぶかは時間が教えてくれるでしょう。

 

取材協力・翻訳協力:パシフィック・コンサート・マネジメント

*夜のガスパール
ラヴェル(1875-1937)の、1908年のピアノ作品。彼の曲は総体的には精緻で明晰な構造を特色とする。その中にあって、この作品は珍しくロマン派的なほの暗い情念を滲ませる。ベルトランの詩に沿って、以下の3曲から成る。人間の男性に恋をする水の精を描いた「オンディーヌ」、首をくくられた亡骸の周囲に蠢(うごめ)く虫たちの姿を追った「絞首台」、部屋に忍び込んでは悪戯をする妖精を題材とする「スカルボ」。


「ミシェル・ダルベルト ピアノリサイタル」は、2013年11月22日(金)午後2時開演。入場料4,500円(指定席)、友の会4,050円。学生1,000円(限定数。ザ・フェニックスホールチケットセンターのみのお取り扱い)。2013年度のティータイムコンサート5回をオトクな価格でお楽しみにいただけるセット券も。チケットのお求め、お問い合わせは同センター(電話06-6363-7999 土・日・祝を除く平日10時~17時)。
シューマン:3つの幻想小曲集 作品111
シューベルト:ピアノ・ソナタ 第19番 ハ短調 D958
ドビュッシー:映像 第1集
ドビュッシー:子供の領分
ラヴェル:夜のガスパール
 

■プロフィル Michel Dalberto 1955年パリ生まれ。ヴラド・ペルルミュテールに師事。パリ国立高等音楽院で学ぶ。1975年クララ・ハスキル(スイス)、78年リーズ(英)の2つの国際ピアノコンクールに優勝。フランス人ながらモーツァルトやシューベルト、ブラームスなどドイツ・オーストリアの作品演奏にも秀で、盛んなリサイタル活動を展開。ラインスドルフ指揮パリ管、サヴァリッシュ指揮スイス・ロマンド管などの名門楽団との共演、ルツェルン、エディンバラ、エクサンプロバンスといった国際音楽祭への出演を重ねる一方、ドミトリ・シトコヴェツキ(ヴァイオリン)、リン・ハレル(チェロ)とのトリオをはじめ室内楽にも取り組んでいる。パリ国立高等音楽院で後進の指導にあたり、2006年放映のNHKテレビ「スーパーピアノレッスン」の講師も務めた。シューベルトのピアノ・ソナタ全集、ドビュッシーの前奏曲第1巻&映像第1集などCDも数多い。近年はオーケストラの指揮も手掛けている。