Prime Interview 浦久俊彦さん

掲載日:2024年1月17日

本公演はリベラルアーツ、建築、といったおよそクラシック音楽とは関係がないような言葉がタイトルの中心に並んでいます。それは意図した事であり、音楽を音楽としてだけで楽しむのではなく、もっと大きな芸術の枠の中で楽しんでもらおうという試みです。例えば今回のテーマであるJ.S.バッハと建築について、今回演奏するオルガン奏者の冨田一樹さん曰く、「教会に設置されているオルガンは様々で、また教会によって音の響きが違う事から、演奏前には必ず教会の音の響きを入念にチェックした上でオルガンの調整を行う」とのことです。また建築家の伊東豊雄さんは、台湾のオペラハウスをはじめ、数々の音楽ホールの設計に携わっており、音楽と建築についてのスペシャリストです。そんな二人をつなぎ新たな可能性を見出そうというのが本公演の企画とコーディネーターを務める文化プロデューサーの浦久俊彦さんです。浦久さんは著書「リベラルアーツ」の中で遊びを極めることの面白さについて語られています。インタビューでは本公演の狙いやリベラルアーツについてお聞きしました。

(インタビュー・構成/あいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホール 宮地泰史)

 

 

世の中を変える原動力となったイノベーションは

「遊び」から生まれる

 

 

 

――浦久さんは、著書「リベラルアーツ」の中で遊びを極めて賢者になると書かれていますが、浦久さんの考える遊びとはどのようなものでしょう?

 

 

 「遊び」という言葉は、仏教用語の「遊戯(ゆげ)三昧の境地(※1)」にもあるように、もともとは「何事にもとらわれない自由自在な精神」を意味する言葉です。日本では本来「あそび」とは、神霊や神々があそぶという神聖な芸能を指していました。それは「あそばせ」「あそばす」という貴人が用いた最上の敬語にも残っています。建築用語にもある「あそび」は、建造物から人間関係まであらゆる物事を円滑にするための太古の知恵でもあったのです。そして、「遊びの文化史」ともいえるホイジンガ(※2)の名著『ホモ・ルーデンス』では「遊びは文化よりも古い」という言葉のなかに人類の歴史のなかで「遊び」がいかに根源的なものかを説いています。

 

 世の中を変える原動力となったイノベーションは「遊び」から生まれる、とぼくは考えています。レオナルド・ダ・ヴィンチやスティーブ・ジョブズなど、偉大なイノベーターは例外なく「人生を遊ぶ人」であり「無駄なことをできる人」でもありました。ところが現代の日本では、残念ながらその「遊び」の自在さという精神が失われていて、まるで「遊び」が「勉強」や「仕事」の反意語のように用いられてきました。「遊んでないで勉強しなさい」とか、「遊ぶな、仕事しろ!」という言葉にそれがあらわれています。でも、本当は「遊んでいるように楽しく学ぶ」ことや「遊ぶように生き生きと仕事をする」ことが大切なのではないでしょうか。

 

 現代は「経済的な豊かさを追い求める時代」から、「文化的な豊かさを取り戻す時代」に確実にシフトしようとしています。「人が経済的・物質的に豊かになることが幸福と考えられた時代から、人と自然がともに幸福な世界とは何かを、ひとりひとりが考える文化をつくる時代」に転換しているいま、必要なのは仕事や学びを「work(労働)」ととらえるのではなく、「play(遊ぶ)」という精神です。時代が求めているのは「worker」より「player」なのです。

 

 「人生を遊びつづける」ことは、実はとてつもなく難しいことです。お金があって生活に困らない人はたくさんいますが、彼らが人生を遊んでいるとは限りません。そもそも人生を遊んで生きている人になかなかお目にかかれません。それは、ある意味ではとても厳しい生き方を貫くことでもあるからです。

 

 では、どうすれば人生を遊びつづけることができるのか?そのために身につけるべきこと。それが「リベラルアーツ」です。ぼくにとって「遊び」と「リベラルアーツ」は分かち難くつながっています。「LIBERAL」と「ARTS」というふたつの単語でできている「リベラルアーツ」という言葉を、できるだけ本意に近いかたちで日本語に翻訳すると「遊ぶためのわざ」という言葉になるのです。

 

――浦久さんが考えるリベラルアーツとは?

 

 

 ぼくにとって「リベラルアーツとは?」という問いは「世界とは何か?」と問われているようなもので、とても一言で答えられる類いのものではありません。その問いに答えるには一晩でも語り尽くせませんがそれでもいいですか(笑)?

 

 「リベラルアーツ」は西洋語がそのまま日本に輸入されたので西洋由来のものと考えられていますがそうではありません。西洋のリベラルアーツである「自由七科」だけでなく古代インドの「五明」や古代中国の「六芸」など、洋の東西を超えて古代から継承されてきた人類の叡智のことです。日本の古典である『風姿花伝(※3)』や『葉隠(※4)』なども広い意味ではリベラルアーツです。

 

 では、その世界のリベラルアーツと呼ばれるものがどのような精神から生まれてきたのか。その根源には人類がずっと問い続けてきたひとつの問いがあります。「世界とは何か?宇宙とは何か?」という問いです。洋の東西を超えたリベラルアーツの精神とは、あえて一言で言えば「世界を読み解くための『視点』であり、世界を読み解くための『言語』である」といえます。

 

 

――リベラルアーツを踏まえた上で、今回の公演の面白さとは?

 

 

 「音楽」と「建築」という、まったく異なるようにみえるものが、なぜ、つながるのか?この公演の企画は、このひとつの問いからスタートしました。

 

 「音楽」と「建築」は、ともに「空間」と「時間」というふたつの領域を貫いて存在しているだけに、切り離せないほど深く関わっています。古代ギリシアの哲人ピュタゴラスが「万物は数なり」という言葉によって、それまで耳だけが感じていた音と音が調和する関係を、単純な整数比という数の比率で解き明かしたように、古代から音楽の美しい音色や和音の響きは、建造物の美しさとつながっていると考えられてきました。「神の家(ドムス・デイ)」としての教会建築は、中世キリスト教にとって、もっとも神聖なプロジェクトですが、中世の建築家たちは、完璧なプロポーションを宇宙の調和として数の比率に求めました。そこで活用されたのが、「音楽的な調和比の美」だったのです。

 

 「ゴシック建築は巨大な石造の交響楽である」と語ったのは、19世紀フランスを代表する文豪ヴィクトル・ユゴーですが、20世紀を代表する建築家のひとり、ル・コルビュジエは、「音楽は動いている建築である」と語ったように、偉大な文学者や建築家たちも、建築と音楽を結びつけて考えてきました。

 

 バッハの対位法的な音楽は、まるで緻密に構成された音による建造物を思わせます。ドイツでオルガンと古楽を学び、ライプツィヒ第20回バッハ国際コンクールで日本人初となる第一位を受賞したオルガン奏者・冨田一樹が奏でる緻密なバッハの音楽に流れる「構造美」と「自然と建築がひとつになること」を目指してきた日本を代表する建築家・伊東豊雄が語る建築の「美しさ」をつらぬくものは何か――。このことを、ぜひ来場されるすべてのみなさまとともに考え、体感していただき、「音楽」と「建築」をつなぐという「知的興奮の世界」で、みなさまとともに遊びたい。これが、今回のテーマを選択した理由であり、今回の公演の面白さともいえるでしょう。

 

 

 ※1 仏のように自由自在な境地
 ※2 ヨハン・ホイジンガ(1872-1945)。オランダの歴史学者。著書に「中世の秋」「ホモ・ルーデンス」などがある。
 ※3 世阿弥が記した能の理論書。
 ※4 武士の心得について書かれた江戸時代の書物。