Prime Interview アンティ・シーララさん

ベートーヴェンのスペシャリスト

掲載日:2024年7月1日

アンティ・シーララは、1997年ウィーン・ベートーヴェン国際ピアノコンクールで第1位(最年少)、2003年リーズ国際ピアノコンクール優勝という快挙を重ね、世界的に注目を集めるピアニストとなった。以降、ヘルベルト・ブロムシュテット、エサ=ペッカ・サロネン、ネーメ・ヤルヴィらの指揮のもと、ベルリン・ドイツ交響楽団、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団、ウィーン交響楽団、日本ではNHK交響楽団に読売日本交響楽団、東京都交響楽団など世界各国の一流オーケストラと共演している。幅広いレパートリーを誇るが、彼にとってベートーヴェンがレパートリーとして確固たる存在感を放っており、これまでに全曲演奏はもちろん、ツィクルス演奏も数多く行ってきた。とりわけ後期の三大ソナタは度重なる演奏と共に録音もあり、いずれも高い評価を受けている。今回ザ・フェニックスホールでその重要作品をどのように演奏してくれるのか期待が膨らむなか、シーララにベートーヴェンや作品への想いなどを聞いた。 
(長井進之介 音楽ライター)

 

 

シーララが奏でる

ベートーヴェンの後期3大ソナタ

 

 

 

 

 

――あまりにも明らかなことではありますが、シーララさんにとってベートーヴェンは非常に重要な存在ですね。あなたにとってこの作曲家はどのような存在なのでしょうか。

 

 ベートーヴェンの音楽は、つねに私の音楽人生と共にあるものです。そしてそれぞれの時期に様々な意味を持つものでもありました。彼の音楽には、激しい葛藤から諦めに至るまで、もしくはありふれたものから高貴な明快さまで、多彩な側面があるのです。演奏するたびに、彼の音楽から何かしら共感を見つけることができます。

 

――ベートーヴェン作品を演奏する際、どのようなことに喜びや難しさを感じるのでしょうか?

 

 彼の音楽の力強さ、美しさ、天才性から得られる喜びには事欠かないですし、彼の偉大な作品に触れるたびに私は驚かされています。しかし、同時にそのことが演奏することを非常に難しくもしているのです。というのも、楽譜に書かれたベートーヴェンの要求には際限がなく、それに直面したときに演奏者として萎縮してはならないからです。

 

――シーララさんがベートーヴェンの演奏において、大切にされていることはどんなことなのでしょうか。

 

 表現というものは、音楽に対する個人的な理解から来るものだと思います。音色やテンポ、構成といった表面的なことだけでは本質を表現することはできないでしょう。その音楽がなぜそのように書かれているのかを知り、その考えを演奏の中でできるだけ明確に表現しなければならないのです。

 

――シーララさんはベートーヴェンのピアノソナタを演奏するにあたってどのようなことを学ばれ、深めていらっしゃるのでしょうか。特に彼の作品の場合、他ジャンルの作品に触れるという事は非常に有益なことかと思うのですが…。

 

 私にとってベートーヴェンは生涯の伴侶とでもいうべきものであり、その時々によって異なる側面に重点をおいて演奏をしてきました。作品についての新たなインスピレーションは、他の作品のパフォーマンスから得られることもあれば、詳細な分析などからも得ることができ、突然にひらめくようなこともあります。演奏のために前もって計画を立てることは、いつも簡単なことではありません。

 

――今回演奏してくださる後期の三大ソナタについて、シーララさんは既に録音もされていますし、度々演奏をされていることからも、32曲のピアノソナタのなかでも特に思い入れのある作品のように見受けられます。どのようなところに特別さを感じていらっしゃるのでしょうか。

 

 もちろん、これらのソナタについてどこが特別なのかを語れと言われれば、何冊も本を書くことができるでしょう。しかし、もし一言で表すとしたら、彼の音楽的思考の統合を象徴しているものだと言えるでしょう。未来への道を示すと同時に、信じられないほど個人的で感動的な作品なのです。

 

――第30番、31番、32番はそれぞれ全く異なった曲想で、様々なイメージを喚起する楽曲です。演奏する際に、何かイメージや物語のようなものを想像するといったことはあるのでしょうか。それぞれの楽曲について何か考えていらっしゃることがあれば教えてください。

 

 この質問に対する答えは非常に広範囲に及ぶものとなりますね。あまりにも偉大な作品のため、これらについてわずかな言葉で説明することは非常に難しいでしょう。しかしまず言えることは、これらのソナタには多くの対比がありながら、同時に関連性も存在するということです。そのために一部の人々はこの3曲を“三部作”と解釈しています。幻想曲風ソナタを思わせる第30番の第1楽章をはじめ、第30番と第32番の終楽章における変奏形式の独創的な使用、第31番の終楽章で歴史的ジャンルであるフーガを用いていることなど、形式的には多くの魅力的な側面を見つけることができます。そして第31番の第2楽章や第31番のアリオーソとフーガの間には、しばしば厳しい二面性が存在するように思えます。どういうわけか、これらの音楽は、ソナタ形式を核としながら、統合と和解をテーマにしているのです。3つのソナタの間には、第31番の第1楽章にただよう優しさから、第32番の第1楽章におけるほとんど暴力的な表現まで、感情的に大きな幅があるのです。

 

――シーララさんはミュンヘン音楽大学とシベリウス音楽院で後進の指導にあたられていらっしゃいます。もちろん学生それぞれの個性に合わせた指導をされていることは承知しておりますが、ベートーヴェンの作品を学生に指導される際に何か共通して重要視されているようなことがあれば教えてください。

 

 ベートーヴェンの作品と同じように、生徒も千差万別なので、議論のポイントもおのずと違ってきます。多くの場合、伝統的なピアニズムや音楽的な美徳だけに注目するのではなく、根底にある音楽的なアイディアを探し、それを通して表現を見出そうとすることが重要なのです。実際、伝説的なベートーヴェン弾きであるアルトゥル・シュナーベルは、「ベートーヴェンの音楽では、しばしば最も困難な道を選ぶ必要がある」という言葉を遺しています。

 

――あなたの祖国、フィンランドにおいてベートーヴェンはどのような存在なのでしょうか。例えば日本では音楽大学の試験やコンクールの課題で必ずベートーヴェンの演奏が課されますし、ベートーヴェンの楽曲は一生勉強し続けるべきものだという認識が根付いています。フィンランドでもやはり同じような傾向でしょうか。

 

 私は現在、主にドイツで仕事をしていますが、フィンランドにしてもドイツにしても、ベートーヴェンの地位が弱まっているとは思いません。音楽を学ぶ上で非常に多くのことがベートーヴェンの作品に基づいており、彼と彼の作品を無視して私たちの音楽の伝統を理解することはできないと思います。

 

――シーララさんは来日の機会も多くていらっしゃいますが、日本の音楽ホール、聴衆についてどんなイメージをもたれていらっしゃいますか?

 

 日本のホールや楽器は一般的にレベルが高く、聴衆は非常に熱心で、知識も豊富であることが多いです。日本を訪れて演奏することを、いつもとても楽しみにしています。