Prime Interview ザビエル・ラックさん

美しさと親しみに溢れたフルート

掲載日:2022年5月11日

昨年2月に3枚目のCD『フルート・ソナタへの旅』をリリースしたフルート奏者のザビエル・ラックが、7月15日(金)、ティータイムコンサートに登場する。オーストラリア・シドニー出身。イギリス、オーストリアに学び、ウィーン国立歌劇場管弦楽団、およびウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の契約団員としてプロ・キャリアを開始。その後は各国のオーケストラとの共演を重ねている。メルボルン大学時代にはパシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌(PMF)に参加のため初来日し、ウィーン・フィルの首席フルート奏者であったヴォルフガング・シュルツや武満徹と出会っている。
現在のラックのもう1つのプロフィールは、神戸女学院大学音楽学部で教える教師としてのそれだ。世界での経験をこの関西で後進に伝える彼の音色は、美しさと親しみに溢れている。ハープの福井麻衣、ヴィオラの東条慧とのアンサンブルは夏の午後に日陰の涼しさで聴く者の耳と心を癒すことだろう。
(取材・文:逢坂聖也/音楽ライター)

 

 

良い生徒を育てたいという気持ちが
年々強くなっているような気がします。

 

 

 

――最新のCD『フルート・ソナタの旅』に、ラックさんはドビュッシーの『フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ』を今回のコンサートと同じメンバーで収録しています。コンサートではこの作品と、武満徹の『そして、それが風であることを知った』が1つの世界を作っているように思えます。

 

 その通りです。この2つの作品は同じ美的世界にあります。2人とも私の大好きな作曲家で、これらの作品はフルートのとても大切なレパートリーでもあります。

 

――とても美しい共通した詩情のようなものが感じられる2曲ですね。

 

 ドビュッシーはこの曲が完成して演奏されるのを聴いた時に、友人宛ての手紙に「笑えばいいのか泣けばいいのか私にはわからない。あるいは泣き笑うべきなのか」という詩のような言葉を書き残しています。この曲は彼の晩年に書かれた作品で、その頃彼はすでに病気がとても悪かったのですが、そこにはすごく小さな悲しみとすごく小さな幸福という相反する複雑な思いが込められているかのようです。そして武満の作品には4つの異なるテンポと4つの異なる強弱記号があり、そのすべての扱いが重要になってきます。  

 

――このドビュッシーと武満の作品を取り巻くようにロータやピアソラなどが置かれていて、そのことでコンサートがとてもバラエティに富んだものになっている印象があります。

 

 彼らの作品はドビュッシーや武満とは異なる華やかな音色の世界です。似ているところもあるのですが、音色はそれぞれ違っていて、演奏するのがとても楽しいです。ピアソラの『タンゴの歴史』はフルートとギターで演奏されることが多いのですが、今回はフルートとハープで演奏してみようと思っています。
 

――ハープの福井麻衣さん、ヴィオラの東条慧さんとは、これまでにも共演されているのですか?

 

  福井さんは私と同じ学校で教えているので、何度か一緒に演奏したことがあります。東条さんとはこの CD を録音するのにあたって初めて一緒に演奏しました。お2人とも素晴らしい演奏家で、福井さんは英語がとても堪能と言うこともあり、私自身とても助けられています。また東条さんはパリとベルリンで勉強されていて音楽的なコンセンサスも取りやすく、今回の共演も大変、楽しみにしています。

 

――ドビュッシーや武満徹を大好きな作曲家と話していましたが、それはどんな理由からですか?

 

 ドビュッシーを聴いて私はフルートを吹きたいと思ったのです。10歳ぐらいの時、オーストラリアで祖母に連れられてシドニー交響楽団のコンサートに行きました。プログラムに『牧神の午後への前奏曲』があって、そのフルートソロを聴いた時に私は初めて、自分もこんなソロが吹ける演奏家になりたいと思ったのです。

 

――武満徹の作品との出会いは?

 

 それも若い頃です。初めて聴いた時に恋に落ちましたが、PMF札幌で実際に武満さんに会ってよりファンになりました。18歳か19歳の頃だったと思います。私が初めて日本に来たのがその時でした。私の先生であるヴォルフガング・シュルツがPMFで講師をしていて、彼と初めて会ったのもその時です。私はシュルツ先生からアルト・フルートを渡されて、武満さんの曲を一生懸命勉強した記憶があります。『声』とか『巡り』とか『海へ』を吹きました。武満さん本人にレッスンしてもらったんです。初めて吹く曲ばかりだったので失礼ではないかなと思いましたが、武満さんからたくさんのアドバイスをもらって私にとっては忘れられない経験になりました。

 

――すばらしい経験ですね。そのあとラックさんはイギリスに渡り、さらにオーストリアでウィーン・フィルの契約団員としてプロのキャリアを重ねていきます。

 

 きっかけはシュルツ先生の勧めでウィーン国立歌劇場で吹いたことでした。その後ウィーン・フィルのメンバーのひとりが病気になり、欠員を埋めるためのオーディションがあったんです。それを私が受けて合格し、契約団員としてのポジションに就くことができたのです。

 

――その後は長く務められたのですか?

 

 契約団員として随分長くお世話になりました。今もウィーンとの関係は続いていて、1年に何度かは国立歌劇場やウィーン・フィルのコンサートで演奏しています。去年のウィーン・フィルの日本ツアーでは来日できなかったメンバーの代わりに私が吹いていたんですよ。

 

――たくさんの国や土地での学びと実践があったわけですが、現在はラックさんご自身が先生でもありますね。教える立場になって大きく変わった事はありますか? 

 

 自分がどのように吹いているかということを、説明する技術を身につけなければいけなくなったということでしょうか。またどのように吹いているのかを常に意識しながら吹かなければいけない、そんなところが大きく変わったと思います。技術的なこともそうですし、どういう風に説明すれば生徒たちが良くなるかということをいつも考えながら今は吹いています。これまであまり意識せずに自然に吹いていましたから、説明するとなるとやはり難しいです。でも自分の演奏にもそれがすごく助けになっていると思います。

 

――ご自分が教えている成果や生徒たちの成長に満足していますか?

 

 とても満足していますよ。演奏家になることだけをずっと目指してきましたが、自分の方向性を少しチェンジして教員になったことで生徒に教えることが好きになってきたし、良い生徒を育てたいという気持ちが年々強くなっているような気がします。学校という環境の中で室内楽やソロの作品をさらに勉強する機会にも恵まれましたし、その中でもまず優先順位として良い生徒を育てたいということが自分の目標にあります。何というのでしょうか…良い先生になりたいです(笑)。

 

――7月のコンサートをお客さまにどんな風に楽しんでいただきたいですか?

 

 長く続いているコロナの影響や騒然とした世界の問題などいろいろありますが、少しの間だけ皆さんがそうしたところから離れて幸せな気持ちになれる金曜日の午後であればいいなと考えています。そう思いながら演奏します。そしてドビュッシーが言ったように、泣いたり笑ったり、両方の気持ちを感じてもらえるコンサートになればいいと思います。