Prime Interview 伊藤悠貴さん

ラフマニノフの神髄に迫る

掲載日:2021年7月7日

15歳からロンドン在住の伊藤悠貴は、2010年ブラームス国際コンクール第1位をはじめ、ウィンザー祝祭国際弦楽コンクール第1位など数々の受賞歴を誇る。ラフマニノフを得意とし、2018/19年シーズンにはロンドンのウィグモア・ホールと東京の紀尾井ホールにおいて、史上初となるオール・ラフマニノフ・プログラムによる演奏を行い、大絶賛を博した。彼の演奏は、作品の内奥へとひたすら迫る真摯なもの。緊迫感に満ち、しかもおおらかで自然体。聴き手の心を作品へと自然に近づける。今回はオール・ラフマニノフ・プログラムを初めてザ・フェニックスホールで演奏するが、この選曲はどのような意図があるのか、また、ラフマニノフに対する深く強い思いなどを聞くことができた。伊藤悠貴はチェリストおよび指揮者として活発な活動を行い、さらに作曲・編曲などもこなし、加えて執筆活動も行うという才能豊かな逸材。ロンドンを拠点に、世界に飛翔するたのもしい存在である。
(取材・文:伊熊よし子/音楽ジャーナリスト)

 

 

アシュケナージとの思い出深いソナタを演奏

 

――今回の選曲のコンセプトをお話いただけますか。

 

 ラフマニノフ・プロを組むときは、いつもテーマを少しずつ変えています。今回はザ・フェニックスホールの親密的な響きを考慮し、ラフマニノフの歌曲(伊藤悠貴編)を前半に組み、作曲家の人生の変遷をたどりたいと思います。「6つの祷り」は人の一生を意味し、生と死にまつわるテーマが根底に流れています。編曲に関してはオリジナルを重視するのはもちろんですが、ラフマニノフの場合は音をある程度削る作業が必要となります。
 ラフマニノフに魅せられたのは8歳から10歳のころで、和声に惹かれました。録音を聴いたのですが、いままで聴いてきた他の作品とはまったく違っていて強烈な印象を受けました。ハーモニーの美しさがすばらしいなと思い、その思いはいまでもまったく変わりません。周囲の人には、大人になったら好きな作曲家や作品などの好みは変わるといわれたのですが、20年たっても変わらない。ずっとラフマニノフひと筋です。
 ぜひロシアのラフマニノフゆかりのイワノフカ村を訪ねてみたいのですが、まだ実現はしていません。モスクワやサンクトペテルブルクには行っているのですが、これだけ長い間ラフマニノフに愛を捧げているのですから、
イワノフカは行かないとね(笑)。

 

――チェロを始めたきっかけと、ロンドンを拠点に活動を始めた経緯を聞かせてください。

 

 5歳で、最初はヴァイオリンを始めたんです。でも、僕はずっと立って弾いているのに、先生はすわっている。それがどうしても気になって、両親に「すわって弾きたい」といったら、「じゃ、チェロにしなさい」ということでチェロを習うことになったのです。不思議な理由でしょう。
 15歳で親の仕事の関係でロンドンに移り、着いた翌日にロシア出身の先生にレッスンを見てもらうことになりました。時差もあり、ことばもわからず、すごく大柄な先生だったので怖くて、大変でした。でも、ロンドンはすごく僕に合っていて、ここにいたら最高の勉強ができると感じました、音楽のみならず芸術全般や文学なども。その後、両親は他国に移ったのですが、僕はロンドンに残って寮生活を送り、とにかくすべてが英語の授業なので語学の勉強を必死に行いました。学生時代は自分が果たして音楽家になれるのかと常に自問自答。壁にぶつかってばかりの日々でしたが、ターナーやコンスタブル、ドラクロワの絵画を見たりして、感性を磨きました。
 僕は往年の名手、アルフレッド・コルトー、モーリツ・ローゼンタール、アルトゥル・シュナーベル、オットー・クレンペラーが大好きで、古い録音をよく聴きます。一度でいいから彼らと話をしたかった。100年生まれるのが遅すぎましたね。

 

――プログラムの後半はチェロ・ソナタが組まれていますが、これも得意とする曲ですね。

 

 実は、このソナタには大切な思い出があります。以前、僕が通っていた王立音楽大学にウラディーミル・アシュケナージが訪れたことがあり、演奏を聴いてもらう機会を得ました。アシュケナージは年に1回学校のオーケストラを振りに来ていたのですが、そのときは僕と一緒にラフマニノフのチェロ・ソナタを演奏したのです。アシュケナージは「この曲、20年ほど弾いていないなあ」といいながら、ピアノを弾いてくれました。もう感激しすぎて、詳細は覚えていないくらいです(笑)。

 

――そういう生涯の宝物のような音楽家との出会いは、他にもありますか。

 

 

 ずっとダヴィド・ゲリンガスに師事していますが、先生はひとりの作曲家の作品に絞ってリサイタルを行うことは、とても勉強になるといってくれます。そのなかで、「いろんな色を出せないとダメだ」というのです。ひとりの作曲家のプログラムがつまらないと思われたら意味がないと。今後もゲリンガス先生から多くのことを学びたいですね。
 もうひとり、2012年に小澤征爾指揮オザワ祝祭合奏団と共演したことがあるのですが、この小澤さんのカリスマ性には驚かされました。アンサンブルは日本の精鋭10人ほどで構成されていましたが、小澤さんが指揮台に立つと音が瞬時に変わるのです。僕も自分の音が変わることに驚きました。マエストロのもつ集中力のすごさはことばにはできません。奏者からもてるすべてを引き出すことができるのです。カザルスの「鳥の歌」他を演奏しましたが、一生忘れられない共演です。

 

――今後もラフマニノフの作品をずっとレパートリーの根幹に置いていこうとお考えですか。

 

 2023年はラフマニノフの生誕150年のメモリアルイヤーですから、この年まではずっと集中して弾き続け、ここでいったん区切りをつけて違う世界へと目を向けようと考えています。僕は後期ロマン派のマーラー、R.シュトラウス、ヴォルフなどの歌曲が好きで、そうした作品を編曲してチェロで弾きたいと思っています。ブラームスやシューマンの歌曲もいいですね。いい歌手との出会いがあったら、声楽とチェロのデュオも夢見ています。

 

――いまの楽器との出合い、相性はいかがですか。

 

 3年前に日本ヴァイオリンから貸与された、1734年製のマッテオ・ゴフリラー(1659~1742)のチェロを使っています。ゴフリラーはヴェネツィアで活動した弦楽器製作者です。まさにヴィヴァルディが生きていた時代の楽器で、その歴史や伝統などの息吹を感じることができます。最初はチェロが5台用意されていて、製作者の名前は伏せられていました。僕はゴフリラーを弾いた途端、「これだ!」と直感し、この楽器を貸与させていただくことが可能になりました。以前、ロンドンでアマティの楽器を弾いていたことがあるのですが、どうしても合わなくて自分の思う音が出せず、1カ月で返却したことがあります。でも、他のチェリストはすごく合うといっていました。
 弦楽器というのは本当にミステリアスなもので、相性があるんですね。そのゴフリラーを友に、今回はラフマニノフの神髄に迫りたいと思います。