Prime Interview 中川賢一さん

縦横無尽にライヒの音楽を奏でる

掲載日:2021年1月12日

ピアニストの中川賢一を軸に編まれた、スティーヴ・ライヒ(1936 – )の作品だけで構成された一夜。ライヒの作品は一般的にミニマル・ミュージックとして分類され、「限られた素材でパターン化された音型やリズムを繰り返す音楽」と説明されるが、実際の鳴り響きは曲が書かれた年代で相当に違っている。今回は1967年に書かれた《ピアノ・フェイズ》がもっとも古く、2007年の作品である《ダブル・セクステット》との間に、一人で演奏する「カウンターポイント」のシリーズが並んだ(編曲が2011年のものがある)。「《ダブル・セクステット》をミニマル・ミュージックとは感じません。同じ音型も少しは繰り返されますが、ドラマ化されたロックです」と中川は言う。「とにかく難しいことを考えずに聴いてください。すっと心に入ってくる音楽です」というライヒの多様な音楽を浴びるように楽しみたい。《ダブル・セクステット》用の録音が行われた8月に、中川から話を聞いた。
(取材・文:小味渕彦之/音楽学、音楽評論)

 

 

「ドラマ化されたロック」浴びるように楽しみたい

 

――同時代の音楽、そして、ライヒの作品に興味を持ったきっかけを教えてください。

 元々は小学生の時です。作曲家の近藤譲さんが当時司会をされていた『現代の音楽』というFMの番組を聴いていました。子供って、おばけが好きなのと同じで、怖いものに惹きつけられるんです。それからです。ライヒの作品は大学(桐朋学園大学)に入って、学園祭で《ピアノ・フェイズ》を2年ぐらい連続してやったんですよ。最初は「あんなの演奏できるのか?」って思ったんですけど、なせばなるで、だんだんやってるうちにできてきたんですね。自分として一番大きかったのは留学したベルギーのアントワープに「Champ d’Action」というアンサンブルがあるんですが、そこで《エイト・ラインズ》を弾いたんです(1998年1月30日)。すごく鮮烈で、とにかく難しいんです。でも、あまりにもいい曲だなと思いました。同じ時期にイクトゥスというアンサンブルで《テヒリーム》を聴いて、これには本当に感動して、ぜひやってみたいと思ったのがライヒの原体験です。

 

――今回もプログラムに《ピアノ・フェイズ》が入ってますね。本来は2台のピアノで演奏する作品ですが、ピアニストは中川さんお一人です。どうやって演奏するんですか?

 ライヒに怒られるかもしれませんが、僕が回数を決めて録音したものと共演します。実はこうした一人バージョンは何度もやっていて、アウトリーチ活動の中でも、その一部だけを弾いてみたりしています。ライヒの作品ってシンプルなものが原点で、自然現象なんだけど、計画的な規則性があることが単純に美しい。感情が入っていないのに、そこに感動するのはおもしろいです。異様で神秘的でわからないものって、人間って求めますよね。子供の頃に機械音が「グォーン、グォーン」と聞こえてきた時に、気持ち悪いんだけど、逆に気持ちよかった。人間の美しいものへの反動があるように思います。ライヒが審査員だった2008年の武満徹作曲賞の本選の演奏会で、僕がアンサンブル・ノマドを指揮していたので、ライヒ本人に会うことができました。これはうれしかったです。ライヒって哲学的なところもあるんですが、音楽に対してフレンドリーな、ライブな音楽の良さを求めてるんだなと感じました。人間的に温かい人だなと思いました。

 

――スティーヴ・ライヒって誰なんだという人もいると思うんですが、ライヒの音楽ってどういうものなんでしょうか。

 単純に和音の選び方がカッコいいんですよ。ポップスとかジャズを好きな人も、そう思える音の選び方をしている。決してスタイリッシュに創ろうとしていないはずなんだけど、音楽のすべてがお洒落。すぐに身体に入ってくるリズムと和音でありながら、実はとっても深い音楽で、宇宙とか自然の摂理、輪廻までも感じます。それを親しみやすい形で作っていて、最初の1秒からすぐに入り込める。今は物理的に「密」になっちゃいけない世の中だけど、ライヒの音楽と心ではすぐに「密」になることができるんです。もちろん作曲家だから恣意的なものは入ってくるんだけど、ライヒはこれしかないというところまで削ぎ落としてくる。たとえば《ピアノ・フェイズ》のような曲は、いくらでも書けると思いますけど、これ1曲しかない。同じアイディアを二度と使わないというのは、自信があるわけだし、心から出てきたものだと思います。ライヒの音楽は「まったく媚びていない」んです。受けをねらって書いたら、ああはならないでしょうね。

 

――《ダブル・セクステット》の魅力はなんでしょうか。

 ずばり「ロック」、つまり「ビート」です。それを、コンテンポラリーの室内楽の基本形とも言える編成を2つ重ねてやるところです。今回6人のバージョンでやりますが、タイトなグルーヴでいける感覚がある。攻めのアンサンブルですね。これが12人だとシンフォニックになる。こちらは逆に包み込むようなアンサンブルになります。

 

――今回のように6人でやる場合は、ご自分たちの録音との共演になります。

 面白さは、普通はない自分たちとの共演ということ。現代だからこそできるやり方ですね。その自分と演奏するところが面白いんですが、逆にクセが全部見える。「この野郎、自分!」っていうのが発見ですね。みんな自分自身の演奏を見つめ直すいい機会になると思います。同じ人同士の組み合わせが6つあるというドッペルゲンガーみたいで、変な感じです。

 

――オール・ライヒで構成された演奏会って、意外に珍しいですね。

 2つ理由があって、まずは単純に難しい。あとは、昔の曲をやるよりも、現代音楽のコンサートだと新作が求められるからかもしれませんね。でも本当は現代音楽じゃないんですよ。たとえば《ピアノ・フェイズ》は1967年作曲だから、すでに生まれて50年以上経っているわけです。ベートーヴェンの「運命交響曲」が1808年作曲で、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が1868年完成なんですよ。「マイスタージンガー」ができた時に、「運命」は現代音楽って呼ばなかったはずですよね。これだと《ピアノ・フェイズ》を延々と「現代音楽」って呼び続けるのかもしれない。たとえば知らない人にライヒを聴かせたら、きっと「現代音楽」とは呼ばないですよね。プログレシヴ・ロックの横にライヒがあったっておかしくない。残念ながら、どの時代もアートを日常に持ってきたいという意識はあるんだけど、特別な存在のままで広がらないですね。でも、ビル・エヴァンスだって、オスカー・ピーターソンだって、今、街のBGMでは普通です。ライヒも、ちょっとでも近づけたらなぁ。ライヒの作品は比較的初期のものばかり知られているから、メロディがないと言われてしまいます。垣根を自分たちで作ってしまってるんですよ。とにかく難しいことを考えずに聴いてください。すっと心に入ってくる音楽です。