Prime Interview ジョヴァンニ・ソッリマさん

規格外の巨匠、ザ・フェニックスホールに降臨

掲載日:2020年3月3日

 いま話題のボーダーレスな規格外のチェリスト、ジョヴァンニ・ソッリマ。2019年夏の東京公演は「美しき野獣」ともいうべきその自由奔放な演奏でセンセーションを巻き起こしたが、早くも再来日公演が実現、ザ・フェニックスホールでも「無伴奏チェロ・コンサート」が開催される。
 1962年シチリア島パレルモ生まれ。リッカルド・ムーティやヨーヨー・マらが賞賛し、シンガーソング・ライターのパティ・スミスと共演し、ピーター・グリーナウェイ監督の映画『レンブラントの夜警』などの音楽も担当し、オペラもいくつか作曲。クラシックのみならず、ロック、ポップス、民族音楽など、あらゆるジャンルにまたがる自在な音楽世界をもつチェリスト・作曲家として、すでにヨーロッパでは不動の名声を確立している。
 いったい、ソッリマとはどんな人物なのか?その音楽観とは?
(取材・文:林田直樹/音楽ジャーナリスト・評論家)

 

 

チェロの中には、

いろんな色や音が無限に詰まっている

 

――ドヴォルザークの「チェロ協奏曲」のときには、ご自身が演奏していないときでも、オーケストラを聴きながら、音楽の流れに乗って、弓を持ったまま、身体を揺らして、激しく気合いを入れていましたね。

 

 協奏曲だって、映画や絵画と一緒です。登場人物と背景があり、一つの作品ができるわけですから。ソリストは自分が演奏していないときでも演奏するのは当然です。

 

――ステージ上でのあなたは、美しい野獣のように自由に見えました。どうやってそういう風になれるのでしょう?

 

 (笑)ありがとう。物心ついたときから自然と、私と音楽との関係は特別になっていった。それだけです。さまざまな音楽を経験することで、音を学び、音を書き、探求し、成長してきた。私にとって、人生における音楽とは、手に触れることはできないが、確実にそこにある、信じられるものなのです。 
 仕事という面はありますよ。それで生計を立てているのだから。でもそれ以上の何かです。自分にとって音楽は、いつも大切に思う、まるで人物、あるいは生きている有機体のようなものですからね。

 

 

――クラシックとそうでないジャンルとの間を自由に行き来しているのは、キャリアの始まりからですか?

 ボーダー、国境なんていうものは、子供の頃からないと思っていました。いわゆる壁というものは、全てが、人間にとっての敵だと思う。壁にはろくなものがない。ベルリンの壁しかり、トランプの壁しかり(笑)。ヴィヴァルディもモーツァルトも、その時代のロック・スター、ポップ・スターだったと思いませんか。バッハもストラヴィンスキーも現代音楽も好きだけれど、同時にフランク・ザッパもピンク・フロイドも好きだしね。 

―― クラシックでは楽譜の通りにしろとアカデミックな世界では教育されます。どんなに楽譜が読めて指の技術があっても、即興はできないのが普通です。そんな純クラシックの人たちに、どうやって即興をやるコツを伝えますか?

 

 自由になるためには、むしろちゃんとしたクラシックの教育が必要だというふうに思いますね。決してアカデミックな教育をぶっ壊そうと思っているわけではない。その重要性が分かった上で、もし自由になりたければ、足元を固めろよと思っている。クラシックの安定性は、その後自由になるための全要素を含んでいる。
 即興はなかなか教えられるものではないが、自分の生徒にいつも言っているのは、古楽、特にバロックをやれということだ。ジャズではなくてね。あえてバロックを。なぜなら、バロックは60%は楽譜に書かれているが、残りの40%は自分の知識を使って、即興をするものだから。
 たとえば1720~40年ころにフランス語で書かれた、ヨーロッパの音楽の装飾についての500ページくらいの本があるんだけど、それを見るとまるで即興とは自由なジャングルだなと思いますよ。17~18世紀の方法を学ぶことは、とても重要だ。そもそもクラシックが即興をしないなんていうのは、前世紀の話ですからね。いまはもうどんどんボーダーレスになって、あちこちで状況は変わってきているよ。 

 

――あなたは、これまでのチェロからは考えられもしなかったような、特別な音をいっぱい出すことができるように感じます。チェロの持つあらゆる可能性を探求していますよね?

 

  チェロの中には世界そのものがあるんだ。楽器のなかに、いろんな色や音が無限に詰まっている。打楽器の音もあれば、ギターの音だってあるし、肉声もある。三味線の技術でチェロを弾いたこともありますよ。人間のファンタジーには限界はない。  

 

――演奏家・作曲家としてのバランスは?

 

 作曲家としての活動はチェロの演奏とイコール、半々ですね。作曲していないときでも、いつでもそうできるように、頭は動いている。両者は決して衝突しないし、長いフライトの移動の合間に、頭の中で曲が書けていたりする。チェロも作曲も、ギリシャ語もラテン語も、同時に勉強していたので、そうやって同時にやるということには慣れています。これまでにも合唱、オペラ、ギター、ピアノ、オーケストラのための作品を書きましたが、実践的なこと、哲学的なことと、その両方を同時にやっている感覚ですね。  

 

――音楽的なルーツをお教えください。

 

 私にとって、参照すべき作曲家、影響を与えた世界は、何と言ってもやはりバロック音楽。それが提起しているもの、様式、フレーズが語り掛けてくるものは、とても大きい。当時のマラン・マレやヘンリー・パーセルだって、スコットランドやアイルランドの要素も取り入れていますからね。ヴィヴァルディはクレージーなくらいに前衛的な実験をやっていたし、ハイドン、バルトークだってそう。
 私にとっての作曲上のお手本は、人々の会話だったり、町を歩いていて聴こえてくる音楽だったりする。これっていうものはない。もちろん、ロッシーニのような熱いけれどもエレガントな音楽のモダンさは好きだし、特にボッケリーニは音楽上の祖父のような存在だと思っている。ボッケリーニは、指板で何ができるかということを、GPSのように探れるんだということをやった人だし、初の音楽民族学者の一人ではなかったかと思う。ルッカで生まれ、ヨーロッパを回り、スペインに住み、そこでファンダンゴなどいろんな民族的要素を取り入れて行った。彼の作品は10%くらいしか私たちは知らないと思いますよ。

 

――シチリアのパレルモの生まれですね。今も住んでいらっしゃる?

 

 もちろん。最近はパレルモも随分生活の質が向上しましたよ。多様な豊かさを持つ広いイタリアの中でも、シチリアの独自性は、地中海の中心にある島として、いろんな文化を磁石のように吸収し、ギリシャ、ノルマン、アラビア、スペイン、ドイツの影響も受けてきた。ちなみにソッリマという名前はスペイン、アラビア、ユダヤのミックスです。 

 

――今回の「無伴奏コンサート」はどんな感じになりそうですか。

 

 バッハの曲もあれば、民族音楽との融合もある。タイル画のようにいろいろな要素を組み合わせてやるつもり。でもヴィヴァルディだって実際はそうだったと思う。ヴェネツィアもシチリアもバルカン半島も、すべてを取り入れていた。今回も音楽で旅するような内容にしたい。楽しみにしていて下さい。