Prime Interview デジュー・ラーンキさん

深く熟成されたみずみずしいピアニズム

掲載日:2020年1月14日

デジュー・ラーンキがティータイムコンサートに登場する。初来日は1975年。当時の音楽雑誌のバックナンバーを繰ると、ラーンキの行く先々にアイドルのように若い女性たちが押し寄せている様子が写されていて、今や隔絶の感がある。ハンガリーの若手ピアニスト三羽烏としてアンドラーシュ・シフ、ゾルタン・コチシュとともに脚光を浴びてから早くも50年近くが経つわけだ。三人一緒にひとくくりにされてしまったが、実のところそれぞれのキャラクターは当時からどれも違っていた。その中でラーンキが奏でる音楽は一際みずみずしく、今に至るまで真っ直ぐに深く熟成してきたように感じている。ラーンキ自身は若い頃のファンの熱狂ぶりには、一切無関心だったと聞いたことがある。おそらく当時からラーンキの音楽へ向かう姿勢は、全くぶれずに定まっていたはずだ。こうして培われた彼が奏でるピアノの響きを、今こうして間近で味わうことのできる機会を心待ちにしたい。
(取材・文:小味渕彦之/音楽学、音楽評論)

 

 

ベートーヴェンとシューマンの

調和のとれたプログラム

 

――近年のラーンキさんの演奏会では、ベートーヴェンが主要なレパートリーになっているように思います。今回のリサイタルのプログラムでも、前半にベートーヴェンの作品が3曲並びました。今、改めてベートーヴェンの音楽に取り組む意味を教えてください。

子供の頃からずっと、どんな時でも、私はベートーヴェンの作品に取り組んできました。(番号の付いた32曲の中で)20作品ほどのピアノソナタ、5曲のピアノ協奏曲すべて、同様に多くの室内楽作品です。だから、私にとってベートーヴェンの音楽は、私の音楽生活の中で基礎的な役割を果たしているのです。
ブダペストのリスト音楽院で私の師であったパール・カドシャが言っていた「ベートーヴェンは最も偉大な作曲家だ。なぜならば、ベートーヴェンはほとんど多くの人々の精神に到達することができるからだ」という言葉を、私は思い出しています。
もちろん、こうしたことを言葉で説明するのは本当に難しいことです。ですが、間違いなくベートーヴェンの音楽は、私たちの最も重要な、そして最も深い感情へ向かう道程を見つけることができ、それに気づかせてくれるのです。

 

――op.27の二つの作品の間に、6つのバガテルという晩年の作品が配置されています。この選曲と演奏順についてその意図をお聞かせください。

私は《6つのバガテル》という小品集を心から愛しています。この作品は若々しいエネルギーと、親密でベートーヴェンの心の奥底にある時の流れに満ち溢れています。ベートーヴェン自身もまた、この《6つのバガテル》をとても気に入っていました。op.27の二つのソナタとは、書き上げた時期が20数年も違っているにもかかわらず、作品の性格と調性において、とても良く調和するのです。そして私のこれまでの経験を顧みても、これは最高の組み合わせだと言えるでしょう。

 

――後半はシューマンの幻想曲が選ばれていますが、前半のベートーヴェンとの関連はありますか?シューマンの作品はあなたにとって大切なレパートリーだと思いますが、今回この幻想曲を選んだ意図を教えてください。

もちろん、私は常にプログラムというものを全体として考えています。作品すべてによって組み立てられたものが、持続的な過程を創造するべきです。そして聴衆に対して、一つの大きな、そして複雑な、それでいて均衡のとれたという印象を与えなくてはなりません。
シューマンの《幻想曲》は、私が初めてこの曲を弾いた50年前から、ベートーヴェンの作品とプログラムの半分ずつ配置されることで、よいアンサンブル(=調和)を創り上げていると、私は確信しています。 

――大阪でのコンサートは久しぶりだと思います。この街への印象と、聴衆へのメッセージをお願いします。

私はこれまで大阪で12回の演奏会を開いてきました。最初は1975年で、一番最近は1995年になります。ただし、オーケストラと共演しての協奏曲となると、2012年に弾いています。そして、ここからそう遠くはない兵庫県西宮市では、2年前と4年前にリサイタルを開催しました。
大阪に滞在した時の思い出は素晴らしいものばかりです。この街を初めて訪れてから40年以上になりますが、いつも、とても素晴らしく、フレンドリーな聴衆の皆さま、卓越したコンサートホールの数々、そして、美味しい食べ物!と、信じられないほどの思いをしてきました。あなた方の街である大阪を再び訪れることを、心から楽しみにしております。
  

―――――デジュー・ラーンキが綴る言葉の一つ一つから、彼が奏でるピアノとも共通する、真っ直ぐな思いが伝わってきた。メールで尋ねたそれぞれの質問に対しての、簡潔な言葉で綴られた答えには、ラーンキが音楽に向かう姿勢そのものが映し出されているように感じた。どんな時でも真摯に取り組むラーンキが表現する音楽からは、私たち聴衆が、ともすれば忘れてしまいがちな音楽と向き合う時の一番大事な関係を、思い出させてくれるように思う。