2月23日 今井信子さんと久々のデュオリサイタルに挑む

「独奏楽器」へ、レパートリー拡大 日本人初の世界的アコーディオン奏者 御喜美江さん

掲載日:2012年12月5日


「風」が奏でる、心の歌。

御喜美江(みき・みえ)さん。日本を代表するクラシックのアコーディオン奏者と言えば、必ず名前が挙がるアーティストである。1960年代にアコーディオンを始め、10代なかばでドイツに留学。本場のコンクールで優勝を重ね、日欧を往還しながら演奏を展開、「国際派アコーディオン奏者」の草分けとして知られている。ピアノやヴァイオリンなど他の楽器のために書かれた作品の演奏を手掛ける一方、オリジナルの新作委嘱・初演に早くから取り組み、独奏楽器としてのアコーディオンの可能性を拡大してきた。そんな名手が2013年2月、ザ・フェニックスホールに来演。盟友で世界的ヴィオラ奏者の今井信子さん(ザ・フェニックスホール音楽アドバイザー)ともども、久々のデュオリサイタルに臨む。今井さんのパワー、バイタリティ、アイデアに惹かれるという御喜さん。公演に向け、話を聴いた。

(ザ・フェニックスホール 谷本 裕)

アコーディオンに触れたことがある人は、多いのではないか。フォークダンスやノド自慢番組の伴奏の音色が脳裏に蘇る身近な楽器。だが、楽器の素晴らしさを深く知る人は少ない。ましてクラシック音楽の独奏楽器としての位置付けは今も、発展途上といって良いだろう。そんな楽器を御喜さんが始めたのは1960年代。一体、どんな経緯で。

―私、2歳くらいから、音楽が鳴ると放心したように聴き入っていたらしい。両親とも教師。音楽の才能があるならピアノかヴァイオリンでも習わそうかということになったんですが、父が猛反対。親戚にピアノを習っている子がいて、練習が厳しかったんです。「音楽で競争するなんてとんでもない」と“プロに成れっこない楽器”としてアコーディオンを選んだ。でも実は当時、労働運動が盛んで、うたごえ喫茶が大流行。父も通っていて、あの音色が好きだったんでしょう。夜、友人を連れ、酔って帰宅した父に起こされ「赤いサラファン」とか「黒い瞳」とかを弾かされた覚えがあります。

アコーディオンを女の子が習うこと自体、珍しかった。

―アコーディオンの生徒というと大半は中年男性。発表会は池袋の公会堂で、ネズミ色の背広姿で民謡や歌謡曲を弾き、終わるとトボトボ歩いて帰る。ところが、親戚のお姉ちゃんたちのピアノ発表会は、場所も立派な虎ノ門ホール。皆、綺麗なドレス姿で花束がいっぱい。帰りはハイヤーです。

そんな表面的な対照もさることながら、御喜さんの心を捉えたのは、レパートリーの質の差だった。

―彼女たちが弾いたのは、モーツァルトのソナタやショパンのバラード。その方がゼッタイ良いと思いましたね。その後、母の口添えもあってピアノを買ってもらえ、先生に習えるようにもなった。知人からプレゼントされたバッハのレコードに夢中で、学校から戻ると繰り返し聴いていました。高学年になると、音楽家になりたいと思うようになっていた。自分の楽器はアコーディオンと決めていました。

なぜだろう。

―相性が良かったんだと思います。ピアノは弾き手が働き掛けないと音が出ない。自分の「外」にある機械を操作するような感じがある。アコーディオンは違います。聖母が赤ちゃんを抱えるような姿勢で演奏するので、心臓と楽器が密着する。肺の位置に蛇腹があり、自分の呼吸と楽器の呼吸が合うと、音楽的にとても歌いやすい。心がそのまま歌になる。幼心にシックリ来たんじゃないかしら。

腕を上げた御喜さん。日本の中学を出て、ドイツに留学。最初に滞在したトロシンゲンは、アコーディオン製造で欧州を代表する「聖地」の一つだった。1970年代はじめにはコンクールで頭角を現し、演奏活動を本格化。ドイツで教職にも就き、著名な作曲家や演奏家とのネットワークも広がっていく。

―トロシンゲンには大メーカーの工場が町にあった。第2次大戦中、ヒンデミットをはじめとするドイツの作曲家が疎開して来て、アコーディオンのための作品を残しています。この楽器が生まれたのは西洋音楽史ではロマン派の時代。ピアノやヴァイオリンに比べると若い楽器で、本格的な作品が書かれるようになるのは、20世紀になってから。レパートリーの問題はドイツにもあったんですね。独奏楽器として確立するには、優れた作品を生み出すことが大事―。キャリアを重ねる中、強く思うようになりました。

その御喜さんが80年代に入り、東京で始めたのが「アコーディオン・ワークス」という企画公演だった。

―お茶の水の、旧カザルスホールの事業です。毎回、新作を作曲家に委嘱し、聴衆に披露する。印象が残っているのは高橋悠治さん。ベルリンやアメリカに渡り、クセナキスに師事して確率論や現代数学、コンピュータを用いた音楽で「天才」と注目されていた。一方で、「水牛楽団」を組織し、アジア各国の民衆の抵抗歌を紹介する活動もする。今を時めく音楽家でした。私はまだほとんど無名。ちょっぴり気も引けたんですけど、舞台裏で居合わせた折、声を掛けたんです。「アコーディオンは民衆の楽器。どうか温かい音楽を書いてください」って。自宅に楽器を見に来られ、デモ演奏を聴いてもらいました。

それまではどんな作品が書かれていたか。

―名人芸っていうのか、アコーディオンはピアノよりも、ヴァイオリンよりも速く弾けるんだ、こんな華やかな音楽も出来るんだ、ということをアピールする曲が多く、ピンと来なかった。もっと別の良さがあるはずなのに。でも、私自身、それがよく分からない。彼なら全然違う観点で楽器を捉え直してくれるに違いない、と思いました。

委嘱は話題作「谷間へおりていく」として結実する。以後、御喜さんと彼との協働が続く。今公演でも「白鳥が池を捨てるように」という作品が紹介される。ヴィオラとのデュオ作品で、こちらは今井信子さんが主宰するヴィオラの祭典「ヴィオラスペース」が契機。アコーディオン奏者に御喜さんを指名したのが、今井さんだった。

―「ヴィオラスペース」もカザルスホールが舞台でしたから、今井さん、私の「アコーディオン・ワークス」に関心を持って下さってたんだと思うんです。私がアコーディオンで試みていたことを、今井さんはヴィオラで試していたんですね。この二つの楽器って、音色がすごくよく混じる。弾いていて、不思議な気がします。

CDを聴くとそれを実感する。どちらが弾いているか分からないほどだ。

―アコーディオンは「風の楽器」。音を出した瞬間から、空気でニュアンスを付けていく。そして「風」は色んなものを繋ぎ合わせもする。ヴィオラも、そんな「風」に似ています。ヴァイオリンでなく、チェロでもなく、中間部の音域に、高原を渡るような「風」がスーッと入って行く印象かな。今井信子さんの音って、光と陰がすごくあるでしょう?その中で私のアコーディオンが音を奏でる。「風」の中に音を創る、とても素敵な瞬間です。

そんな御喜さんが今回、今井さんと演奏をしたいと願っているのが、アストル・ピアソラの作品。アルゼンチン出身。バンドネオン(ドイツで開発されたアコーディオンの一種)奏者としても有名だった作曲家である。

―ピアソラを最初に教えてくれたのは、(作曲家の故・)武満徹さん。1980年のある日、東京で御飯をご馳走になったんです。ちょうど、大きな作品を書き終えたとかで、ゴキゲンでした。お酒も進んだ頃、「友人にピアソラっていう作曲家が居るんだけど、知ってる?」って言うんです。初耳でした。リエージュ(ベルギー)の音楽祭で毎年のように会っておられたそうで、「彼の曲、アコーディオンで弾いたらゼッタイ良いヨ」って薦めてくれました。まずはCDで聴き、のちに自分が演奏するようになってから、さらに懐の深さが分かり、とても好きになりました。バンドネオンの名手でしたが、音楽には楽器の枠を超えた大きさ、バッハと同じような広い精神が感じられます。国境や文化を越え、多くの人々の心をつかむ。ボーダーレス時代の作曲家。世界には実に多くの種類のアコーディオンがあります。ネットワークを生かし“第2のピアソラ”を発掘したいですね。

取材協力:クリスタル・アーツ、AMATI

■アコーディオン
蛇腹(じゃばら)式のフイゴ(空気袋)を手で動かし、奏でるリードオルガンの一種。楽器本体に風を送り、大小様々な薄い金属片(リード)を鍵盤やボタンの操作で振動させて演奏する。発音原理上はハーモニカやリードオルガン、雅楽で用いられる笙(しょう)や?(う)と同じ。1822年、ベルリンの楽器製作者クリスチャン・フリードリヒ・ブッシュマンがオルガンの調律向け楽器「ハンド・エオリーネ」として制作したのが最初といわれ、さらに1825年、ウィーンのオルガン製作者シリル・デミアンが一つのキーで和音を奏でられる楽器「アコーディオン」を考案、1829年にはオーストリア王室特許局から特許を取得。強弱の微細な表現が可能で和音が奏でられることから歌の伴奏に適し、「小さなオーケストラ」と言われた。オルガンなどに比べ軽量で、持ち運び可能なことから、早くから大衆に愛された。船乗りや行商人といった旅人や移民が持ち運び、世界各地に普及。土着の音楽に適合する改良が重ねられた。アルゼンチンでタンゴに用いられる「バンドネオン」、ロシア民謡で知られる「バヤン」はその典型。アコーディオンとしてもフランスのミュゼット、オーストリアのシュランメルやスイスのアルペン音楽、あるいは北欧のトラッド音楽などに欠かせない楽器。西洋芸術音楽(クラシック)の世界に本格的に入り込み始めたのは20世紀に入ってからだがジャズ、ロック、ワールドミュージックなどで盛んに用いられてきた。日本には1887年(明治20年)ごろから導入され、大正年間から国産が始まり、昭和に入ると歌謡曲や宝塚少女歌劇でも用いられるなどで普及していく。
(この項の執筆に際し、渡辺芳也著 『アコーディオンの本』 1993年 春秋社 を参考にした)

プロフィル みき・みえ
 東京生まれ。4歳からアコーディオンに親しみ、16歳でドイツ・トロシンゲン市立音楽院へ留学。1973・74年ドイツ・クリンゲンタール国際アコーディオンコンクールで連続優勝。 ドイツを中心に演奏活動を開始。日本では77年岩城宏之指揮札幌交響楽団でデビュー。87年サントリーホール、88年カザルスホールのオープニングシリーズに出演。シャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団、小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラ、スイス・ロマンド管弦楽団などと共演。自主企画公演「御喜美江アコーディオン・ワークス」をほぼ毎年開催。55以上の作品が彼女のために書かれ、クラシック・アコーディオンの世界的第一人者として幅広い支持を得ている。90年ドイツ・ノルトライン・ヴェストファーレン州政府芸術奨励賞を受賞。現在、ドイツ・フォルクヴァンク音楽大学教授、中国・新疆音楽大学名誉教授。教育者としても、数多くの国際コンクール優勝者、音楽大学教官を全世界に送り出している。CDも多数あり、最新盤CDは「S’IL VOUS PLAIT」(キング・インターナショナル)。美しい写真と自然体で綴られるブログ(http://mie-miki.asablo.jp/blog/)も好評。


今井信子presents「今井信子(ヴィオラ)&御喜美江(アコーディオン)デュオ」公演は、2013年2月23日(土)16時開演。プログラムはJ・S・バッハ「ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ 第1番 ト長調 BWV1027」、高橋悠治「白鳥が池を捨てるように」(1995)ほか。また、2000年第10回芥川作曲賞、2005年第53回尾高賞、2008年ユネスコ国際作曲家会議一般部門グランプリ(パリ)を受賞するなど、日本を代表する作曲家として内外で活躍する望月京(みさと)氏に、あいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホールが委嘱した新作の初演がある。入場料4,000円(指定席)、学生1,000円(限定数。ホールチケットセンターのみのお取り扱い。)チケットのお求め、お問合せはザ・フェニックスホールチケットセンター(電話06-6363-7999 土・日・祝を除く平日10時~17時)。