バリトン歌手 三原剛さんインタビュー

掲載日:2012年10月1日


水際立った美声、気品に満ちた舞台姿、知性と感性に裏付けられた豊かな表現で我が国を代表するバリトン三原剛さんが11月、フェニックスに登場する。取り上げるのはリヒャルト・シュトラウス(1864-1949)の「イノック・アーデン」。英ヴィクトリア朝の詩人テニスンの物語詩をテキストとし、朗読とピアノのために書かれた珍しい「メロドラマ」(テキストを歌わず朗読し、ピアノなどの器楽と音楽的な表現をするジャンル)である。オペラや歌曲で活動を広げる三原さんが「語り」に挑戦するのは、今回が初。だが、「イノック」はおよそ10年前、三原さんが深く尊敬する師であり、この5月、惜しくも亡くなった声楽界の長老、畑中良輔さん(バリトン、日本芸術院会員。こちらのページ参照)に勧められ、発表を期していた特別な作品である。演奏家として、また教育者として超多忙な三原さんを、大阪芸術大学の研究室に訪ね、公演に寄せる思いを伺った。

(ザ・フェニックスホール・谷本 裕)

 

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「イノック・アーデン」の、あらすじ(ページ上部)をご覧いただきたい。哀詩である。原作は英語。R・シュトラウスはドイツ語訳を採った。今公演は日本語。訳は畑中さんが自ら翻訳したテキストを用いる。大正生まれで日本の声楽の草分けとして活躍、新国立劇場オペラ部門の初代芸術監督を務めるなど幅広く活躍した大家である。

畑中先生は、歌手としての僕を見い出し、職業演奏家への道を開いて下さった恩人です。僕、学生時代は教員志望だったんです。採用試験に合格して喜んでいたら、卒業直後の4月初頭に開かれるバッハの「ヨハネ受難曲」公演の独唱の仕事の話が来た。出るなら教員は諦めるしかない。悩みに悩んだ末、演奏家の道を選びました。幸い、順調に多くの舞台に立てるようにはなったんですが、共演の諸先輩と比べると、自分の声は明らかに響いていない。研究や模索を繰り返してもなかなか思うようには改善できず、歌をあきらめようかと考えたこともあった。でも1990年夏、たまたま参加したドイツの講習会で、やっと自分なりの響きをつかむことが出来、気持ちも解放された。帰国後は、初めて挑んだコンクールで優勝も勝ち取れ、意気も上がっていたちょうどその折、神戸のオペラ公演で畑中先生に会ったんです。

1991年秋。三原さんは31歳になっていた。

舞台でのご活躍はもちろん存じ上げていましたし、声楽の教科書や楽譜に名の記されている「雲の上の人」。その方に褒められたことで、深い自信を得ることが出来ました。ご自宅で個人レッスンを受けるようになってからは、東京での僕のリサイタルに遠山一行さん(評論家)や湯山昭さん(作曲家)、栗林義信さん(バリトン)といった錚々たる方に声を掛けて招いて下さったり、バリトンの大御所、中山悌一さんにレッスンを受けられるよう取り計らって頂いたり…。光栄なことに「最後の弟子」と呼んで下さった。大切な舞台に臨む際は必ず、指導を仰いできました。今の自分は、先生抜きには考えられない。

その師匠から勧められたのが、他ならぬ「イノック・アーデン」だった。

10年ほど前、「イノック」を知ってるかって尋ねられたんです。「メロドラマ」と言われても、当時はお昼のテレビ番組かな、と思ったくらい(笑)。全く知りませんでした。先生が敬愛する名手フィッシャー=ディースカウの録音がちょうどその頃、日本でも出て「素晴らしいからぜひ聴きなさい。いつかは君も手掛けなくてはいけないよ」と言われたんです。早速、確かめましたが、「語り」のレパートリーは、全く未知の世界。何より当時は、歌の訓練を積まなければならない時期、挑戦するのは早いと考えてひとまず、しまい込んだのですが、ずっと心に残っていました。

だからこそ三原さんは今回、出演を決めたに違いない。ただ、その時点では、畑中さん訳の日本語版があることを知る人は、三原さんを含め殆どおらず、独自の翻訳版作成が課題だった。転機をもたらしたのは今回、ピアノで共演する小坂圭太さんである。

共演を打診したら、畑中先生の日本語訳を持っていると言うんです。先生の監修で以前、関東で開かれた「イノック」公演を彼は弾いていたんです。小坂さんは一つのハーモニーの色合いや響きを幾通りにも弾き分けられる、稀有なピアニストです。一般に歌曲では伴走者との阿吽の呼吸が大事ですが、特に「イノック・アーデン」のような作品は、一つひとつの音づくりを対等な立場で探れるパートナーが欠かせない。その点、彼とは以前から日本歌曲でご一緒していて、気心も知れている。その彼から畑中先生の訳の話を聞き、不思議な力に導かれていることを感じました。

その訳を、三原さんはどう捉えただろうか。

読むうちに号泣してしまって、最後まで語り通せない。仕事で上京する新幹線の車中でも、読むと涙が止まらなくなるんです。ふだん取り組むオペラや歌曲だと、こんなことはそうない。私はおそらく、主人公イノック・アーデンの年齢に近く、また娘も2人居る。ドラマと自分が重なって、切実な気持ちになるのかもしれません。原作の、文学としての力が大きいんでしょうね。無論、シュトラウスの音楽の力も強い。畑中先生の翻訳の力も、かなり影響していると思うんです。

それはどんな点においてだろうか。

訳をすると、英語から日本語に言葉が替わるのは当然のこと、主語や述語などの語順も入れ替わる。作曲家が一つひとつの単語を念頭において作曲した抑揚や強弱などの音楽表現が変わってしまいかねない。でも畑中先生の訳を改めて確認してみると、そうした表現上の起伏と台詞とが見事に一体になっている。さすが、声楽を究めた方のテキストです。幼いころから文学に親しまれ、新聞で評論も手掛けられるなど、文章センスが素晴らしかった。これ以上の訳はありません。先生にはこの夏、蓼科の別荘で集中的にご指導を受ける約束でしたが、お亡くなりになり、残念ながら叶わないことになりました。自分の責任で、演奏を創り上げるという意味でも今回は新しい挑戦といえます。

朗読作品は三原さんには初。オペラ、あるいは歌曲公演に比べ、どんな違いがあるのだろう。

オペラやオペレッタにも、途中で台詞が出てくることは少なからずあります。ですから声の使い方が、ふだんと大きく異なるとは思っていません。オペラと歌曲を比べると、オーケストラを伴い、舞台装置や所作もあるオペラに比べ、歌曲の伴奏はピアノだけだし、演技もない。だから歌そのものの力、声そのものの力がより求められる。つまり、オペラよりも歌曲の方がドラマ性は高くなければならない。「イノック・アーデン」は、その歌曲とも異なる室内楽的作品です。旋律は歌わず、台詞の形で物語や感情をお客様に確実に伝えなくてはなりません。それを適切に果たせる発声と表現が、私の課題です。

公演には見所がもう一つある。グラフィックデザイナー松井桂三さん(大阪芸術大学教授 ザ・フェニックスホールアートディレクター)の舞台装置である。

お客様には松井先生の表現を手掛かりに、語りと音楽をじっくり聴いてほしい。お一人お一人が、ご自分のファンタジーを脳裏に描いていただきたいですね。もちろん私自身の物語イメージは出来上がっています。本番に向け、細かく作り込んでいきます。公演当日は、自分の中に、天から何か降りてきそうな気がしています。

取材協力:AMATI

 

■プロフィル みはら・つよし
大阪芸術大学卒業。1991年第22回日伊声楽コンコルソ金賞受賞。1992年第61回日本音楽コンクール第1位。同時に増沢賞、福沢賞、木下賞、松下賞を受賞。翌93年、第4回五島記念文化賞オペラ新人賞を受賞、後に五島記念文化財団奨学生としてドイツのケルンに留学。以後、国内外でリサイタルやオペラ、オーケストラとの共演など、意欲的な活動を展開。2006年ヘンツェのオペラ「午後の曳航」で、ザルツブルク音楽祭、フィルハーモニー(ベルリン)、オーディトリウム(トリノ)に出演するなど目覚しい活躍が続いている。バッハ、ヘンデルなどバロック期の宗教音楽を中心にモーツァルト、ハイドン、ベートーヴェン、ブラームス、フォーレ、ヴェルディ、プッチーニ、マーラー、オルフなどを歌い、古典派、ロマン派、近代・現代作品へレパートリーを広げている。第9回新・波の会日本歌曲コンクール第1位・四家文子特別賞、第7回グローバル東敦子賞、平成17年度大阪文化祭賞などを受賞。

 

「三原剛が語る『イノック・アーデン』」公演は、2012年11月18日(日)午後4時開演。バリトン三原剛、ピアノ小坂圭太(お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科准教授)の演奏で、プログラムはR・シュトラウスのメロドラマ「イノック・アーデン」作品38、歌曲「4つの歌」作品27から「明日」「ひそやかな誘い」。シュトラウス作のピアノソロも。入場料4,000円(指定席)、学生1,000円(限定数。ザ・フェニックスホールチケットセンターのみのお取り扱い)。チケットのお求め、お問い合わせは同センター(電話06・6363・7999 土・日・祝を除く平日10時~17時)。

 

R・シュトラウス:「イノック・アーデン」
ザ・フェニックスホールの公演では、日本語で行います。テキストは、三原剛氏の師で今年5月24日、90歳で急逝された畑中良輔氏(バリトン 日本芸術院会員)の翻訳を使用させていただきます。畑中先生は、この公演を非常に楽しみにしておられました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。