ハインツ・ホリガー インタビュー

10月フェニックスに来演する「スーパー」オーボエ奏者 ハインツ・ホリガー 思いのすべて 音楽が語る

掲載日:2012年7月4日

 

ハインツ・ホリガーのオーボエを初めて生で聴いたのは高校時代のことだ。京都・岡崎公園、疎水のほとりに立つ京都会館にイタリアの名門「イ・ムジチ合奏団」が来演。そのゲストがホリガーだった。コンサートに行ったのはそもそもイ・ムジチの十八番(おはこ)、ヴィヴァルディの「四季」全曲を聴くのが目的だったのだが、明るく、天を駆け巡るように滑らか、正に縦横無尽のオーボエにすっかり肝を抜かれてしまった。あれから30年余。日の出の勢いだったオーボエ奏者は今、73歳の大御所になった。ザ・フェニックスホールでのコンサートは、妻のハープ奏者ウルスラはじめ、気心の知れたチェロやピアノの奏者との室内楽公演。作曲家、指揮者、また教育者としても活動を広げ、「音楽家」として大成したホリガー。スイスから届いた彼の言葉を基に、今回のコンサートを紹介しよう。

(構成:ザ・フェニックスホール 谷本 裕)

プログラム(ページ下部掲載)を見て頂きたい。バロックのバッハからウィーン古典派のベートーヴェン、ロマン派の雄シューマン、そしてイサン・ユン(*1)や自作を含む現代作品まで幅広い年代のレパートリーを編んだ。概ねドイツ語圏の作曲家を選んでいる。現代の2作品以外は元々、他の楽器のために書かれた作品である。

―バッハの曲はヴァイオリンまたはフルートとチェンバロのためのソナタとして、ベートーヴェンの曲はピアノとクラリネットまたはヴァイオリンとチェロのための三重奏曲として親しまれています。私たちが異なる楽器で奏でることで、皆さんが普段気付かない側面に光をあてることが出来ます。音楽作品は必ずしも、作曲家が想定した楽器で演奏しなくてはならない訳ではありません。異なる楽器を用いることで曲の特性が表れてきます。シューマンの「カノン形式の6つの小品」もペダルピアノ(*2)のための作品。「ソナタ」もチェロでなく、ヴァイオリンのために書かれたもの。これらは本質的に別の楽器にも適応できる性格、開かれた性格を持っています。

オリジナルにこだわらない自由な選曲。これがこの公演の一つのテーマだ。それはホリガーの歩みや志向と関わっている。プロフィル(ページ下部)をご覧頂きたい。彼はオーボエ演奏のほか、指揮者としてベルリンフィルやウィーンフィルなどの名門でタクトを執ってもいる。さらに作曲家としてオーケストラ作品やオペラまでも手掛けている。オーボエ音楽だけに留まらない活動は、音楽家としての多彩な才能と広範な視野の証だ。

―オーボエという楽器は、私が聴いたり、感じたりしたことに、ある「形」を与えてくれる「道具」といっても良い。でもひょっとするとオーボエでなく、他の楽器を選んでいたとしても、上手くなっていたかもしれません。指揮を始めたのは23歳から。そして作曲は10歳からずっと続けていて、私にはとても自然な営み。こうした「外に向けた表現」と、自分の「内面から湧き出る表現」の双方に取り組めるよう、努めてきたのです。ですから、自分を単に「オーボエ奏者である」とか、あるいは「指揮者である」とか、「作曲家である」とか、分けて考えてはこなかったんです。私は「一人の音楽家」。全ての活動は、一つです。

彼の言葉は屈託がない。しかし、だれもが同じ活動を展開できる訳ではない。概ね既に存在する譜面を音楽として再現する演奏や指揮と違い、作曲は「無」から「有」を生み出す行為にも思われる。創作の霊感を得る、秘訣が何かあるのだろうか。

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―夜中に起きて森を歩き、樹の周囲を3度回って、黒ネコが出て来たら、インスピレーションが湧いて…。なんてネ、もちろん冗談です。温かいココアと、穀物ビスケットを摘み、気分転換した時、ふと良いアイデアが浮かぶことはあります。でも難しい。何か良いコツがあったら教えてほしいくらい。

ユーモアを交え、答えてくれたホリガー。そんな彼が、激しい思いを込める曲がプログラムにある。自作の「ロマンセンドレス」。2003年、スイス・ルツェルン音楽祭の委嘱で書いたチェロとピアノのための作品である。この作品は、作曲家ロベルト・シューマン(1810-1856)の、チェロとピアノのための「ロマンス」に関わる作品である。いったん書き下ろし、演奏もされたが、彼の死後、シューマンの妻クララ(1819-1896)が焼き捨て、幻の作品となった。「ロマンス」から「ロマンセンドレス」へ―。創作の背景にあるドラマを紹介しよう。

スイスの研究家ロマン・ブロートベックによると(*3)、シューマン夫妻は1853年9月、知人の紹介で作曲家ブラームスと知り合う。ロベルトは青年の才能を評価し、楽壇に紹介するが、妻クララはブラームスと恋愛関係になってしまう。ロベルトの「ロマンス」は、そんな出会いから間もない同年11月の初頭に書かれた。その直後、ロベルトは音楽監督を務めていたデュッセルドルフ市の音楽協会から除名されるなどの困難に見舞われ、翌54年2月にライン川に身を投げた。自死は果たされず、精神病院に収容され、結局56年に没する。

残ったクララとブラームスの恋愛は、プラトニックなもので終わるが、クララは夫が書いた「ロマンス」に、妻の道ならぬ恋を暗示するメッセージが潜んでいることを恐れたのかもしれない。彼女は、ロベルトが音名を使った語呂合わせや暗号操作に長けていたことを深く知っていたからである。作品を焼いたのは1893年。クララが亡くなる3年前である。焼却の事実は歴史に埋もれていた。1971年に発表された回想録により、ブラームスが知っていたことが明らかになった。こうした真実が、ホリガーの創作意欲を刺激したのである。

―非常にショックでした。「ロマンセンドレス」を書く前の15年ほどは、この史実が私を捉えて離しませんでした。どうしても、曲に書かなくてはならない。自分の中に、その気持ちが膨らんでいきました。音楽はそもそも、言葉を超える何か、言葉の背後にある何か、あるいは言葉と言葉の間にある何かを語ることが出来ます。その魅力に惹かれて様々な姿で音楽に携わる中で、音楽は私の「言葉」になってきました。悲しみ、絶望、そして怒り。私の思いのすべてを、音楽が語ります。この作品は、私の心情そのものなのです。

作品は、葬送行進曲に挟まれた4つの楽章から成る。夜や死、灰などを仄めかすタイトルが付されている。ホリガーはロベルトの残した様々な音楽断片を巧みに用い、創作を進めた。奏者として指揮者として、同時代の偉大な作曲家・演奏家たちと協働を重ねてきた音楽家ならではの、斬新な技法が数多く盛り込まれている。ブロートベックはこの作品を、「クララがロベルトの譜面を焼き払い、それを受け入れたブラームスに対する復讐の歌」であり、また「入り組んだ三角関係の、遅ればせながらの和解」と指摘している。公演では前述のシューマンの作品も取り上げられる。公演が孕んだもう一つのテーマとして楽しめるだろう。


*1 イサン・ユン(1917-1995) 日本統治時代の朝鮮半島に生まれ、京城(現・ソウル)や大阪、東京で音楽を学び、太平洋戦争後は朝鮮半島に戻り、独立運動に参加、投獄され拷問を受けた。戦後は教職に就き、40歳を前に欧州に留学。パリを経てベルリンで学び、同地で活躍するが、韓国中央情報局からスパイ嫌疑を受け、強制送還され、拷問の末、死刑宣告を受ける。ベルリンフィル芸術監督の指揮者カラヤンら在独芸術家の請願で釈放され、西ドイツに帰化。ベルリン芸大で後進の指導にあたり、旺盛な創作を続けた。アジアの伝統的な音楽語法と欧州の前衛技法を駆使し、全人類的なメッセージを発信しようと試み続けた。ホリガーは妻ウルスラともども、ユンが亡くなるまで25年以上の親交を持ち、「オーボエ、ハープと小オーケストラのための二重協奏曲」(1977年)はじめ、多くの作品が献呈されている。ザ・フェニックスホールに寄せたメッセージの中でホリガーはユンに触れ、「武満徹と共に、東洋と西洋両方の音楽思想の統合を成し遂げた、ほとんど唯一のアジアの作曲家」と述べている。

 

*2 ペダルピアノ パイプオルガンに見られるような足鍵盤が付いたピアノ。こんにちでは殆ど廃れている。シューマンのこの作品はドビュッシーもピアノ連弾のために編曲している。

*3 CD「Heinz Holliger Romancendres Clara Schumann」 ECM New Series 2055, 4763325 所収ライナーノーツを基に構成

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■プロフィル
1939年スイス北部のランゲンタール生まれ。ベルン音楽院でオーボエと作曲を学んだ後、バーゼルでピエール・ブーレーズに作曲を師事。パリ高等音楽院でピエール・ピエルロにオーボエを学ぶ。59年にジュネーヴ、61年にミュンヘンの両国際コンクールで優勝。バーゼル響首席奏者を務めた後、ドイツのフライブルク音楽大学教授に就任、後進の指導の傍ら多彩な活動を始める。明るくシャープな音色と傑出した技巧でオーボエの表現力を広げ、また豊かで温かい歌心によって現代最高の奏者として親しまれてきた。ソリストとしてのリサイタルやオーケストラとの共演のほか、ハープのウルスラ夫人らとの室内楽に取り組んでいる。ベリオやヘンツェ、シュトックハウゼン、ペンデレツキ、武満徹といった同時代の作曲家から新作の献呈を数多く受け、演奏を重ねてきた。自らも室内楽からオーケストラまで多彩な作品によって作曲家としての国際的評価を得ており、98年にはチューリッヒ歌劇場でオペラ「白雪姫」を上演。指揮者としてもベルリンフィル、ウィーンフィル、アムステルダム・コンセルトヘボウ管、バイエルン放送響、クリーヴランド管、ロンドンフィル、チューリヒ・トーンハレ管、スイス・ロマンド管、ローザンヌ室内管など主要なオーケストラや室内楽団に客演。ヨーロッパ室内管とは長年、共演を続けている。ヴェニス・ビエンナーレ・アビアティ賞、チューリヒ・フェスティヴァル賞などの賞を受けディアパソン・ドール、グランプリ・ドゥ・ディスクなど録音分野でも評価を確立している。

 

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「ハインツ・ホリガー(オーボエ)と仲間たち」は、2012 年10月13日(土)17:00開演。
ホリガーと、妻のハープ奏者ウルスラ・ホリガー、チェロのアニタ・ルージンガー、ピアノのアントン・ケルニャックが出演。
入場料4,000円(指定席)、学生券は完売
チケットのお求め、お問い合わせはザ・フェニックスホールチケットセンター
(電話06 6363 7999 土・日・祝を除く平日10時~17時)。