関西の新鋭狂言師・茂山童司さんインタビュー

「アルボラダ木管五重奏団」公演で クラシックの演奏家と共演する狂言師 茂山童司さん

掲載日:2011年10月27日


関西のプロオーケストラの管楽器セクションからスタープレーヤー5人が結集、室内楽を奏でる「アルボラダ木管五重奏団」公演が11月20日(日)夕方、ザ・フェニックスホールで開かれる。メンバーの出身地はフランスやベルギー、アメリカ、ドイツ、そして日本と実に国際色豊か。そんなアンサンブルと共演するのが、地元・関西の新鋭狂言師・茂山童司さん。大蔵流の名門・茂山千五郎家(京都)の血を引く“サラブレッド”。弱冠28歳ながら、芸歴は既に25年を超す。各地の能楽堂や寺社仏閣、ホール、そして学校やライブハウスにも“出前”するなど、さまざまな舞台で出演を重ねている。異分野のアーティストとの共演にも積極的で、テレビでも幅広く活動。だれにでも親しまれ、美味しく、しかも奥が深い。そんな「お豆腐のような狂言」づくりを担う茂山家のホープ。四条烏丸のお店、扉のチャイムを鳴らして、才気溢れた青年が現れた。   

(ザ・フェニックスホール・谷本 裕)

「観衆」見つめ 変化続ける

―狂言師とクラシックの演奏家。一見、異質なアーティストを結んだのは、新作だった。今回、初演される「いそぽのふゎぶらす~語りと木管五重奏による天草版伊曾保(イソップ)物語~」(平野一郎作曲)は、テキストを語るナレーターが必要。せりふは安土桃山時代、九州で印刷された「イソップ物語」の邦訳である。その言葉遣いや節回し、つまりはリズムが古典狂言の言い回しにそっくり。異分野とのコラボレーションでも知られる童司さんに出演を打診したところ、快諾いただいた。舞いや演技も時折交え、30分ほどの作品の舞台回しを司る。今回のコラボレーションに、どのような思いを寄せているのだろうか。

演奏家の方々との出会い、大いに期待してます。高校生の頃、クラシックって、音が分厚くて何をやってるのか分かりづらいなぁ、と思ったことがありました。でも20歳を過ぎた頃から、モーツァルトの「魔笛」「フィガロの結婚」など、狂言風オペラを演じてきましたし、ウチの爺さん(故・茂山千之丞さん)の代役で急きょ、「トゥーランドット」の演出を金沢で任されたこともあります。京都ではここ数年、打楽器のデュオと度々ご一緒して楽しかった。クラシックも聴いて気持ち良いもんなんやって分かるようになりました。古典狂言は、基本的にせりふ劇。音楽に合わせ演じることは、あまりない。音楽って、聴いているだけで気持ちが悲しくなったり、盛り上がったりする。意味や心情が音だけでかなり伝わるなら、僕がくどい表現をしなくて良いはず。せっかくのコラボレーション、お互いの良い部分がちゃんと出るよう、バランスを考え演じたい。

―控えめな返答は恐らく、異分野とのコラボレーションを重ねてきた経験による。「古典芸能」というと文字通り、古くから伝わる作品を昔のまま、忠実に繰り返し上演するイメージが少なからずある。しかし童司さんの姿勢からは、それを「スタンダードナンバー」と位置付け、他流試合で新しい表現に挑む意気が感じられる。古典とコラボと。どう分けているのだろう。

そんなに区別してないですよ。強いて言えば、コラボレーションする時の気持ちは「引き算」。古典を演じる時は逆に「足し算」思考を働かせます。コラボの場合は作者が現に居て、意味や狙いをキチンと説明してくれる。やりたいことを、少し抑えてちょうど良いくらいです。一方、古典は台本があるだけ。筋書きも単純です。威張る主人と弱る太郎冠者(家来)、偽の山伏や坊様と庶民。強いヨメさんに手を焼く旦那の話…。先祖が記し残した台本は、粗筋に過ぎません。ト書きもなく、物語の周辺や経緯、役の心理は分からない。いきおい自分の解釈で、意味を加えていかなあきません。太郎冠者が主人に向かって、「畏まってござるぅ」と言う。嬉しそうか、面倒くさそうか。文脈を考え、芝居を新たに創っていく感じです。舞台ではお客様の反応を見ながら、その場その場で、変えていきます。

―そこで大きな役割を果たすのが、当意即妙のやり取り、いわゆるアドリブである。

僕ら、笑いの芝居をやってますでしょ。せりふの意味が分からないと、お話にならない。笑ってもくれません。お客様は舞台によって毎回、違います。地方性もありますが、やたら笑ってくれたり、こちらの勘所をキチンと理解して笑ってくれたり、本当に色々です。そんなお客様に満足してもらえなかったら、次はもう来てもらえないかもしれない。台本自体の価値っていうのは、そうありません。大事なのは、「今日のお客様に喜んでもらえるよう、どう演じるか」に尽きます。舞台で面白い実演が成立していること、それこそが「作品」なんですよネ。

―そんな生き生きしたアドリブが、フェニックスの舞台でも飛び出すのだろうか。

うーん、今回は残されたテキストを読むのが、主な仕事ですからね、全然違うことを言う訳にはいかないでしょうけど、って油断させたりなんかして…(笑)。アドリブって、せりふだけじゃないんですよ。いつもなら即座に返事するところを、長く間を置いてみたりします。本番の舞台で、偶然かマグレか、ふだん自分で考えもしないアイデアが、ふっと湧き出て、やってみる。それが望外にお客様にウケたりして、「おぉ!そうかコレか、コレやったんや、稽古でオヤジの言うてたことは」と、身体に染みて理解する。アドリブが、「型」を「芸」へと高めてくれる。場面場面を巧みに演じることで、芝居の細部も豊かになっていくんです。

―舞台はナマモノ。そこで成長してきた役者らしい述懐である。こうしたアドリブ重視の姿勢は実は、茂山家のお家芸。野村家のような東京の狂言師と大いに異なる特徴だ。お客様の目線で芸を展開する家風の「根」は、狂言を取り巻く財政基盤の変化にあったそうだ。

狂言は鎌倉時代、庶民の芸能でした。京都や大坂でいえば、町衆に支えてもらってたんです。ところが江戸時代になって、能楽と一緒に幕府や大名に召し抱えられた。武士の嗜む「式楽」(公的儀式に用いる芸能)になってしまったんです。明治維新でそんなパトロンが総崩れ。さぁどうする、という状況に陥った。ウチの爺さんに聞いたんですが、太平洋戦争前は長男とその息子くらいしか、狂言一本では生活できなかったそうです。終戦後も、日本の伝統芸能を大切にする気風が薄れ、ウチの爺さんも闇市でモノ売ったり、喫茶店のマスターをしたりしてました。ある日、露店に上等な面(おもて=狂言や能で使うお面のこと)が売りに出されてるのを見て、一念発起したらしい。復興目指し歌舞伎や落語、文楽といった上方の古典芸能の方々と寄り集まった。ほいで一緒に舞台をつくるようになったんです。いま、専業の狂言師が多いのは、叔父の千作ともども盛んにした爺さんの功績が大きいんですね。

―そうした営みは同時に、今日のコラボレーションのルーツでもある。

ウチの家では、伝来の古典に取り組んで守っていく者のほか、コラボレーションに積極的な者、役者としてマスメディアに出て「狂言の顔」になる者、といった役割分担をしてます。一家が皆、いつも同じ活動をするのじゃなく、リスクを分散し、変化の中でも生き残れる態勢なんです。

―童司さん自身の、これからの役割は。

僕自身は多様化っていうか、狂言を壊しにかかっている気がしてます。狂言は、普通の人々の生活に「不可欠」じゃない。喜ぶ人がいなくなったら、無理に残す必要なんてありません。だからどんどん、変化させる、崩していくつもりです。そして人々が、今でいう狂言という芝居を、すっかり忘れてしまった頃、僕は地獄か天国かから、こっそりそれを見つめていたい。後輩たちが「これは新しい表現だ」なんて言って得意になっているのを、「あぁ、ソレな。狂言から出てんにゃで」と、ほくそ笑んでみたいですね。カタチは変わっても、エッセンス自体はきちんと受け継がれている。それが本当の意味の「伝承」じゃないですか。狂言そのものが、中国伝来の古代芸能や猿楽、あるいは散楽を源流に、時の素材をどんどん取り入れて発展してきたように、お客様と向き合って変化を重ねていくことが、何を措いても大事なんです。

※狂言 室町時代に生まれた芸能。同時期に生まれた「能楽」が幽玄な世界を表す歌舞劇であるのに対し、狂言は庶民的で滑稽な語り芝居である。奈良時代に中国から伝来した散楽や、平安時代の猿楽がルーツといわれ、室町初期には専門家集団が発生した。以後、興亡を経ながらも、650年もの歴史を刻んでいる。粋や格式を尊ぶ東京に対し、関西の狂言は愉快さを重んじ、アドリブを多用するなど明るく、開放的な芸風が特徴。古典のほか、新作も生まれている。


■プロフィル しげやま・どうじ
1983年生まれ。3歳の時、父・茂山あきらの主宰する「NOHO(能法)劇団」の『魔法使いの弟子』で初舞台、狂言『以呂波』で初シテを務める。1995年に同じ茂山家の若手狂言師である茂、宗彦、逸平が結成した「花形狂言少年隊」に入隊、共に活動。最年少ながら色々な役に積極的に取り組んだ。97年『千歳』を初めて手掛け、2000年より「心・技・体、教育的古典狂言推進準備研修錬磨の会 TOPPA!」を茂山家の千三郎、正邦、宗彦、茂、逸平と共に主催し、活動。06年より「HANAGATA」を正邦、宗彦、茂、逸平と共に再開。ほかに時代劇「かわら版 忠臣蔵」で大石主税役を務め、「Sense Dise:one」を企画・制作・演出。また詩人choriとのユニット「chori/童司」を組む。アメリカンスクールに通っていたこともあり、英語が堪能。NHK教育テレビ「プレキソ英語」に出演中。読書家である。昨年亡くなった茂山千之丞(せんのじょう)さんは、祖父にあたる。


「アルボラダ木管五重奏団」公演は、2011年11月20日(日)午後4時開演。
出演は、ニコリンヌ・ピエルー(フルート 日本センチュリー響)、フロラン・シャレール(オーボエ 京都市響)、ブルックス・信雄・トーン(クラリネット 大阪フィル)、東口泰之(バスーン 京都市響)、垣本昌芳(ホルン 京都市響)。

プログラムは、モーツァルト「歌劇『コシ・ファン・トゥッテ』K588 序曲」、ラヴェル「組曲『クープランの墓』」抜粋、フランセ「木管五重奏曲 第1番」ほか。茂山さんは、平野一郎「いそぽのふゎぶらすESOPO NO FABVLAS~語りと木管五重奏による 天草版 伊曾保(イソップ)物語~」(2011年 ザ・フェニックスホール委嘱初演)に出演。

入場料2,500円(指定席)、学生1,000円(限定数。ザ・フェニックスホールチケットセンターのみのお取り扱い)。

チケットのお求め、お問い合わせはザ・フェニックスホールチケットセンター(電話06・6363・7999 土・日・祝を除く平日午前10時〜17時)。