ハンスイェルク・シェレンベルガーさん インタビュー

掲載日:2009年3月10日

世界の名門ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のサウンドを、首席オーボエ奏者として20年以上にわたり支えたハンスイェルク・シェレンベルガーが、パートナーのハープ奏者マルギット=アナ・シュースと4月24日(金)夜、ザ・フェニックスホールでデュオリサイタルを開く。かつて「帝王」としてこの楽団に君臨した巨匠カラヤンからアバド、そして近年のラトルへと、歴代の音楽監督の下、数々の名演を残した文字通りの名手。指揮者の真正面、木管前列中央で両肘を張った独特の姿勢で楽器を構え、歌心に満ちた音色を奏でる姿を音楽ホールやテレビで見たファンも多いだろう。2001年に退団後は独奏者、室内楽奏者のほか、指揮者としても活動を広げている。音楽家としての歩みやベルリンフィル時代の思い出、指揮者としての哲学、そして今回の公演についてインターネットを通じ伺った。

(構成:ザ・フェニックスホール 谷本 裕)

「脱オケ」奏者の獅子奮迅


ザ・フェニックスホール(以下PH) 子どもの頃の、音楽体験から話してください。

シェレンベルガー(以下S) 生まれはミュンヘンですが6歳の時レーゲンスブルク(※1)の近郊の小さな町に引っ越しました。両親は大変な音楽愛好家で、いつも音楽が流れている家庭でした。6歳で縦笛(リコーダー)を始めて音楽に親しみ、そのうちオーボエを習いたいと思うようになり、13歳の時、念願の楽器を親に買ってもらいました。地元の大聖堂のオルガニストと何度も共演するなど、町の音楽活動にかなり携わるようになり、17歳の時には幸運にもドイツの青少年音楽コンクール「ユーゲント・ムジツィールト」で優勝することが出来ました。これを機に、同じバイエルン州にあるアマチュア楽団にソリストとして招かれるようになって、プロの音楽家を目指しました。ミュンヘン音楽大学の学生時代は、仲間と現代音楽をたくさん演奏しましたし、カール・リヒター(※2)の指揮で一時代を画した「ミュンヘン・バッハ管弦楽団」でも演奏を重ねたり、積極的に町で演奏したものです。

PH その後、ケルン放送交響楽団に6年在籍した後、ベルリンフィルに入団。20年以上、トップ奏者として活躍したわけですが、この楽団の第一印象は、どんなものでしたか。

 ベルリンフィルは、独自の演奏スタイルを明確に持っていました。あのヘルベルト・フォン・カラヤンが創り上げたものです。当時のベルリンフィルは、オーボエに限らず管楽器パートの奏者たちが皆、強くて大きな響きをつくっていました。それでいて音が引き締まっているんです。幸い、私はこの伝統に最初から馴染むことができました。「流線型」と言うべき、あのオーケストラの強靭で流麗な演奏スタイル。忘れられません。

PH ベルリンフィルに在籍中、歴代の音楽監督を務めた指揮者の「持ち味」を聞かせてください。

S カラヤンは、例えて言えば「南国の温暖な嵐」。クラウディオ・アバドは「年代モノのバローロワイン(※3)を嗜む詩人」。今のラトルは「宇宙のファンタジー」でしょうか。むろん、他のマエストロからも、素晴らしい印象を得ました。ダニエル・バレンボイムがブルックナーの交響曲やヴァーグナーのオペラ音楽を振った時の、信じられないほど息の長い独特のフレーズ。あるいはピエール・ブーレーズがフランス近代の印象派音楽を指揮した折に示した、抜群のオーケストラコントロールと湧き上がるように豊かなファンタジー。リッカルド・ムーティの繊細かつ力強いモーツァルトも忘れがたいですし、ニコラウス・アルノンクールの深い学識や常識を覆すような斬新な解釈。そしてベルナルド・ハイティンクの極めて明晰で軽妙な解釈も素晴らしかった。ハイティンクの指揮からは、彼が音楽に本当に身を捧げ、作曲家を心底、敬っていることが伝わってきました。

PH オーケストラの仕事に、いつも満足していましたか。

[指揮法] 巨匠に学んだ至芸

S あの巨大なオーケストラのメンバーであること自体、幸せなことでしたが、実は自分の音楽生活の中では、どちらかというと大きなものではなかったんです。室内楽をやったり、ソリストとしてリサイタルを開いたりすることも、同じくらい大事でした。団員代表としてオーケストラのマネジャーとしての仕事にも携わりましたし、自由ベルリン放送の番組に携わったりもしました。そのどれもが満足できるものでしたから、自分のことを「オーケストラ専門の音楽家」と思ったことはないです。

PH 退団のきっかけは。

 オーケストラで働き始めた時から、「自分はこの中だけで仕事をし続けるタイプではない」と自覚していました。年をとって腕が落ち、苦労する管楽器奏者がいることは知っていました。同じ轍(てつ)は踏みたくなかったんですよ。時機が到来したら指揮活動を再開して、それを一生懸命やろう、と決めていました。ベルリンフィルでは幸い、いろんな指揮者の至芸に触れる機会に恵まれましたし、オーケストラの「内情」も身を以って知ることも出来ました。タクトを取る「機」は、次第に熟していったと思います。

PH そもそも、指揮にはいつから取り組んでいたんですか?

 1965年、17歳の時、米ミシガン州の(充実した教育プログラムで)インターロッケンキャンプに参加した時です。指揮法クラスに参加し、コンクールで最優秀になりました。ミュンヘンや、その後学んだドルトムントでの学生時代も、指揮法のレッスンを度々受けていました。初めてプロを指揮したのは1995年、イタリアの「パドヴァ・ヴェネト管弦楽団」(※4)。ラッキーにも成功を収めることができました。いま、活動の7割を指揮に充てており、月平均、2つの事業に携わっています。レパートリーは、交響楽作品だけに限らず、モーツァルトやハイドン、そして現代のオペラ作品も得意にしています。

PH 「指揮者の条件」は何でしょう。

 まず、鋭い耳を持つ卓越した音楽家であること。次に、自分の心の中の音楽的なアイデアに、オーケストラのメンバーがコミットしたくなるよう、どう動機付けをすれば良いかを理解していることが大切です。

PH そういえばシェレンベルガーさんは以前、望ましい指揮者像について「自分は独裁的にはなりたくない。“チーム”のメンバーになりたい」と仰っていましたね。

 指揮台に立った時、オーケストラの管楽器奏者に対しては、元ベルリンフィルのオーボエ奏者の立場で習得した経験を伝えることができますが、ヴァイオリンをはじめとする弦楽器奏者からは逆に、弦楽器というものの特性、とりわけボウイング(弓遣い)について、私の方も学ぶことも多いのです。でも、指揮という仕事は本当に限りないもので、「マスター」なんて簡単に出来ません。オーケストラを取り巻く多くの人々が興味を感じるような、面白いアイデアや考えを持っていることも大事ですし、何より重要なのは、音楽の世界を動かしている仕組みをキチンと踏まえ、政治的な判断も出来る人間でもあることではないでしょうか。

PH ご自身が率いているハイドン・アンサンブル・ベルリンについて教えて下さい。

[シュース] 実生活もパートナー

 このアンサンブルは、かつてハイドンが仕えたハンガリーのエステルハージ公の宮廷オーケストラを再現した合奏体です。1991年から2001年にかけ、(100曲を超えるハイドンの交響曲のうち)60番までを取り上げ、釣り合いが取れるような他の作品と組み合わせて舞台に載せました。今は、5月にミラノで上演するハイドンのオペラ「Infedelta delusa(裏切られた誠実)」の準備を進めています。

PH さて、ザ・フェニックスホールでの公演はオーボエ奏者として、ハープのマルギット=アナ・シュースさんとのデュオですね。

 彼女は、世界最高のハーピストの一人。伝説的な教師ピエール・ジャメの弟子で、バンベルク交響楽団で仕事をした後、1988年から現在までベルリンフィルで数多く演奏しています。素晴らしいソリストであり、同時に抜群の室内楽奏者でもあります。私とは1988年からデュオとして活動を始め、プライベートでも妻。文字通りのパートナーです。一緒になったのは1991年で、これまで無数の舞台を踏んできました。結婚していることもあって、とても個人的な、特別な思い出がたくさんあります。数週間前、私たちはトルコの或るオーケストラと一緒にドイツとトルコを巡演しました。指揮は私、彼女はソリスト。曲はアルベルト・ヒナステラのハープ協奏曲。難曲でしたが、演奏はとてもうまくいきました。3月から彼女は、私が創設した「カンパネラ・ムジカ」というレーベルで、CD録音も始めます。

PH 今回のプログラムについて話してください。

 バッハのソナタは、元々はフルートと通奏低音(※5)のために書かれた作品です。今回は、フルートに代わりオーボエが、またチェンバロに代えてハープ演奏します。この作品は、J・S・バッハの作品とされています。でも、実は息子のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハのものだったようです。テレマンのファンタジーも、フルートのための作品ですが、高音域を受け持つ多くの他の楽器でも演奏されることがあります。マレの、「スペインのフォリア」は、通奏低音を伴う独奏楽器のための変奏曲集。これも、ハープと演奏します。一方、アントニーノ・パスクッリの「ベッリーニへのオマージュ」は、元々コールアングレとハープのために書かれた作品。イタリアのオペラ作曲家ヴィンツェンツォ・ベッリーニを追慕し、美しい旋律に彩られています。フォーレが残したハープのための即興曲は、ハープの独奏曲の中でも最も素晴らしくて、そして最も高い音楽性を要する作品です。一方、ペーター・ミヒャエル・ハメルの「3つの小品」は2008年、作曲家が私たちデュオのために書き下ろしてくれました。彼の音楽は異なる文化間の相互交流に影響を受けていて、特にインド音楽の要素が見られます。最後のサン=サーンスのソナタは、彼の遺作の一つ。オーボエとピアノのために書かれていますが、マルギット=アナはピアノのパートをハープで演奏します。私は、このスタイルでの演奏の方が、彼の音楽にはふさわしいと思っています。どうか、お楽しみに。

(2009年3月 取材協力:ヒラサ・オフィス)

 

 ■プログラム

 バッハ:ソナタト短調BWV1020
 テレマン:無伴奏オーボエのためのファンタジーより
第3番 ロ短調、第6番 ニ短調、第12番ト短調
 マレ:スペインのフォリア
 パスクッリ:ベッリーニへのオマージュ
 フォーレ:即興曲変ニ長調 作品86(ハープ・ソロ)
 ハメル:3つの小品
 サン=サーンス:ソナタニ長調 作品166

※1 レーゲンスブルク  ドイツ南西部、ミュンヘンの北約100キロにある都市。ゴシック様式で有名な大聖堂や、ドイツ最古の石橋など中世の面影を残した美しい町として知られる。

※2 カール・リヒター 1926-1981。ドイツのチェンバロ、オルガン奏者、指揮者。旧東ドイツ・ザクセン地方の出身で、ライプツィヒの聖トーマス協会オルガニストなどを経てミュンヘンに移住。51年、精鋭音楽家を集めミュンヘン・バッハ合唱団、55年ミュンヘン・バッハ管弦楽団を設立。大バッハの「マタイ受難曲」、「ロ短調ミサ」などの演奏で、世界的な注目を集めた。

※3 バローロ イタリア・ピエモンテ州産の高級ワイン。アバドはイタリア出身。

※4 パドヴァ・ヴェネト管弦楽団 1966年、パドヴァ出身の指揮者クラウディオ・シモーネが設立した室内管弦楽団。イタリア文化省、ヴェネト地方政府、パドヴァ市などの助成で運営されている。歴代音楽監督には初代シモーネのほか、チェリストのマリオ・ブルネロらが名を連ねる。モーツァルト演奏で定評のあったペーター・マークが首席指揮者を務めたこともあった。年間150程度の公演のほか、児童・生徒・学生対象の養育プログラムにも積極的に取り組んでいる。

※5 通奏低音 主にバロック音楽で聞かれる独特の低音。途切れなく続くことから、この名で呼ばれる。主にハープやリュートなどの撥弦楽器奏者が、作曲家が楽譜に示した音符を基に即興的に和音を補いながら演奏する。現在は、チェンバロで演奏されることが多くなっている。


○公演情報

「ハンスイェルク・シェレンベルガー(オーボエ)、マルギット=アナ・シュース(ハープ)」公演は、2009年4月24日(金)午後7時開演。料金は一般4,000円(指定席)、学生1,000円(限定数 ザ・フェニックスホールチケットセンターのみのお取り扱い)。チケットのお求め、お問い合わせは、同センター(電話06-6363-7999 土・日・祝を除く平日午前10時-午後5時)へ。