レクチャーコンサート第6回講師 岡田暁生さんインタビュー

掲載日:2004年6月1日

 ショパン、リスト、タールベルク、カルクブレンナー…。19世紀ヨーロッパ楽壇に現れ、聴衆を興奮の渦に巻き込んだピアノの名手・ヴィルトゥオーソたち。リストの<ラ・カンパネラ(鐘)>をはじめ、彼らの残した作品はこんにち、ピアノ音楽の中で重要な地位を占めている。独特の演奏スタイルはラフマニノフやルービンシュタイン、ホロヴィッツ、チェルカスキーといった巨匠に引き継がれたものの、伝統は殆ど途絶えつつある。ブラームスやシューマンらによる典型的な「ロマン主義」作品の傍らで、ヴィルトゥオーソが展開したのは、「ベル・エポック(古き良き時代)」を象徴する音楽。ヴィルトゥオーソとは何か。また彼らを育み、拍手喝采を送った人々や社会とは―。青年時代からホロヴィッツに心酔、近年、ヴィルトゥオーソに関するユニークな研究で注目を集めている岡田暁生さんを京都大学に訪ね、講演の一端を聞いた。 (聴き手:ザ・フェニックスホール「サロン」編集部) 

――「ヴィルトゥオーソ」とはどんな演奏家でしょうか 
 
演奏技術に長けているのはもちろんですが、それ以上に「魔術師」、「奇術師」、あるいは「エンターテイナー」といったメンタリティを持った人々です。それは、19世紀の「サロン文化」と、深く結び付いています。 
 
――ヴィルトゥオーソに興味を持ったきっかけは。
 
ロシアの巨匠ホロヴィッツの演奏です。1978年5月、ニューヨークにリサイタルを聴きに行きました。その春、幸い浪人せずに大学に合格できた。ご褒美の旅でした。デビュー50周年を記念し、アメリカ以外のファンを対象にした特別公演。中学、高校時代、彼のレコードを繰り返し聴いていたし、初の海外一人旅は胸が躍るようでした。ニューヨークは、20世紀前半までヴィルトゥオーソが必ず立ち寄った街。摩天楼の谷間に、古き良き時代の名残が感じられた。会場も19世紀末に建てられたカーネギーホール。プログラムはすべてショパンの作品。舟歌を皮切りにノクターン、マズルカ、そして十八番(おはこ)のバラード1番、ソナタの2番。英雄ポロネーズで締めくくる舞台でした。
 
――演奏はいかがでしたか?
 
舟歌冒頭の音は、鮮明に覚えています。それはオルガンのように柔らかかった。それにしても、聴き手の気持ちを、あれほど巧みに掴むピアニストは初めてでした。ホロヴィッツは聴き手が自分に何を求めているかを、知り尽くしていた。客席の嗜好を敏感に把握し、我々が想像していた以上のタイミングで、想像以上の身振りと共に演奏してみせる。聴衆の期待を満たし、最大の効果を上げる、心憎いばかりの「演出」でした。それこそが19世紀以来のヴィルトゥオーソの伝統と分かったのは、実は随分あとになってからです。ホロヴィッツの後、例えばポリーニやアルゲリッチといった新世代のピアニストがどんどん頭角を現してきたでしょう。でも彼らの演奏を聴いても、僕はホロヴィッツの演奏ほどには感動できなかった。また近年、リストやモシュコフスキ、ブゾーニ、モシェレスといったヴィルトゥオーソの残した難曲を手掛ける演奏家が出て来、CDも随分増えましたが、ガッカリすることが殆どです。
 
――なぜでしょう。
 
現代のピアニストの技巧は確かに素晴らしい。一音たりともゆるがせにせず、完璧に弾きこなす技巧は見上げたものです。しかし、それはリアリズムであって面白さに欠ける。往年のヴィルツオーソが輝いているのは、ある種の「芸人根性」ゆえです。これには多分、キャリアを築く仕組みが関係している。20世紀以降の演奏家は、音楽大学を優秀な成績で卒業し、国際コンクールで名を上げ、世に出る。でも、先生や審査員が褒める演奏は、生の聴衆の心を捉える音楽と必ずしも同じではない。僕の高校時代の友人の兄に、ジャズピアニストがいます。今、渡辺貞夫さん、伊藤君子さんとの内外での共演をはじめ、映画音楽の分野でも大活躍しているジャズの野力奏一さんで、彼は中学を出た後、父親のバンドで演奏を始めた。最初期の主な仕事場は京都の高級キャバレー。その後上京し、著名なジャズメンとセッションを積む中で、どう弾いたら聴衆は喝采してくれるか、ハートに刻み経験を積んだ。アカデミックな教育とは別次元の、芸人気質を実践で身に着けたわけです。ヴィルトゥオーソも、同じような「叩き上げ」。後の世代と違う味があった。 
 
――彼らの公演の特徴は。
 
電光石火の超絶技巧や音量で聴衆を圧倒し、「スゴイ」と言わせて見せる。聴衆の熱狂的な喝采は、ヴィルトゥオーソであることの証です。ただ、圧倒してばかりだと聴衆はすぐ飽きてしまう。時には焦らせたり、蕩(とろ)けるように甘い夢の世界を作り出したりもする。現代の「俊才」ピアニストとは異なり、ある種の良い加減さや「はったり」もヴィルトゥオーソには重要な資質だったのです。目も眩むようなパッセージを物理的に弾くことではなく、あたかも弾いているかのように聴衆に錯覚させること、正に「眩惑」が、彼らの舞台の成否を握っていたと思われます。 
 
――聴衆はどんな人々だったのでしょうか。
 
産業革命や市民革命を経て、富と自由を手にし、都市で贅沢な暮らしを営み始めた新興のブルジョアたち。ドレスやタキシードでおめかしをし、馬車に乗ってサロンに出掛け、きらめくシャンデリアの下、噂話に興じる。おしゃべり好きで見栄っぱりで。。。それは19世紀に生まれた、"似非(えせ)上流階級"。いまウィーンフィルのニューイヤーコンサートに集うある種の人々と相通じる部分もあるかもしれない。貴族の生活に憧れ、懸命に真似ようとしたのです。彼らの文化は絢爛豪華ではあっても、どこかに安っぽい通俗性が拭いきれない。貴族とブルジョアの違いは、持てるお金の多寡ではなくて、生活のために働いているか、いないか、です。日々の仕事を持つ限り、彼らや子弟が身に付けられる教養にもおのずと限界がある。一日中音楽を楽しみ、子弟に習わせるため作曲家を邸に住まわせる貴族と、夕方の数時間だけを鑑賞やレッスンに充てるブルジョアとでは、芸術理解にも差が出てしまう。こうした人々を主な対象としたヴィルトゥオーソの音楽にも勢い「分かりやすさ」が好まれたのではないでしょうか。
 
――「通俗的」な音楽とは。


 例えば<乙女の祈り>。ポーランドのバダジェフスカの作曲した作品で、ご存じの方も少なくないと思います。絵に描いたようなサロン音楽で、ペダルにせよアルペジオ(分散和音)にせよ、甘い効果が濫用され、涙を誘うような楽句が頻繁に現れる。同じサロン音楽でも、ショパンの作品だとこの種の効果は要所に限られ、逆に難解な部分が少なくない。俗耳に入りやすいバダジェフスカのとは対照的です。ただ白状すると僕自身、芸術音楽の研究を生業としていながら、実は<乙女の祈り>に退屈しないメンタリティがある。それは、自分の中に、俗っぽさがあるからと言わざるをえません。幼い頃から進んで聴いていたのも、ロッシーニの歌劇の序曲や、ヨハン・シュトラウスの喜歌劇「こうもり」全曲。バッハのフーガやモーツァルトのソナタでは決してなかった。でも、学生によく言うんです。19世紀の文化状況の総体を本当に理解するためには、シューマンやブラームスらが手掛けた典型的な「ロマン派音楽」だけではなく、サロンでヴィルトゥオーソが体現した通俗的な音楽も共に理解することが不可欠だ、と。そこには時代の「縮図」が見て取れるからです。
 
――19世紀は、どんな時代だったのでしょう。
 
産業革命以来、発達を遂げた機械文明の影響を大きく受けています。一つのキーワードは「鉄道」です。蒸気機関が生んだ文明の利器は、人々に「加速」という感覚をもたらした。車窓に風景が広がり、見る間に飛び去る体験は人類に初めてのものでした。エクスタシー(恍惚感)をもたらすスピードは一方で、大事故、カタストロフ(破滅的な惨事)への不安と裏腹でした。「右肩上がりの時間」特有の「繁栄の不安」。そんな空気を、ヴィルトォーソの音楽は体現している。例えば、静かで美しいメロディが突然、大音響で寸断される。こんな表現は19世紀に初めて現れた。もう一つのキーワードは「万博」。万国博覧会は最新メカを展示し、人々を魅了した。リストの作品を分析すると、自らの最新メカ、すなわちテクニックを披露する場として曲を織り成したように思えてくる。火花の散るような素早い楽句、重音、オクターヴ、両手の交差…といった聴きどころが次々現れる様は、まさに技術の展覧会。この伝統はホロヴィッツはじめ、後世のヴィルトゥオーソが生んだ作品にも受け継がれた。彼らにとって楽譜は、即興的に技巧を見せびらかすための見取り図に過ぎなかった。 "技術に取り憑かれた"この世紀には、今も活用されている「ハノン」をはじめ、演奏技術を引き上げるためのピアノ教則本が出、道具も多数開発された。聴衆も無意識に「機械としての人間」像を、ヴィルトゥオーソに重ね合わせたことでしょう。実際、19世紀ほど新技法が開発された時代はない。≪ラ・カンパネラ≫のようにピアノを鳴らす作品は、それまでなかった。20世紀になってもその伝統を受け継ぐホロヴィッツに聴衆が熱狂したのは、破綻するかもしれないような加速を演奏で試み、時には音を外しながらクライマックスを突き進んだ末、大団円を迎えるスタイルが、時代の感性に直裁に訴えかけたからでしょう。
 
――サーカスの「綱渡り」を見る心理と似ているようにも思います。では、現代における、ヴィルトゥオーソ音楽の魅力はどこに。
 
かつてモダンだったものがレトロな存在になった時、醸し出されてくる独特の懐かしさってありますね。蒸気機関車が持つ魅力です。それは、人間の儚(はかな)さみたいなものを教えてくれる。「昔は皆、これに酔っていたけれど、今は時代遅れになってしまったんだなぁ」―。そんな感慨やノスタルジーと共に、人間の浅さや弱さ、小ささを感じないではいられない。今はパソコン、インターネットの時代でしょ? メールで情報を送信する時に、空気の抵抗感なんて無い。デジタル世界では、仮想体験はいくらでも出来るけれど、人の「肉体」は消え、味も匂いも、汗もなくなる。一方、ヴィルトゥオーソが生きた世界は、すべてアナログ。馬車にせよスポーツカーにせよ、地面に載っている感覚や振動、頬をなでる風を、皆が生で感じていた。技術の、エスカレートの起点があるとはいえ、まだ人間らしさを留めていた、あの時代に戻りたいのかもしれません。
 
――共演の北住さんをご紹介ください。
 
10年程前、「すごいピアニストがいる」と勧められて拝聴し、息を呑みました。彼のリハーサルを覗いたことがあるんですが、一人っきりでさらっている時は、どうもやる気が感じられない。ところが、家族や知人が来ると、当日のプログラムに無い曲まで演奏する。「聴いてくれる人がいると、いつまでも弾いていられるんだ」と言っていました。彼には、ホロヴィッツと同じヴィルトゥオーソ気質がある。今回の公演はテーマから言っても、余人を以っては代えがたいと思っています。今回演奏するリストの≪ノルマの回想≫はその後、北住さんのリサイタルで仰天した思い出の曲。また≪花火≫はホロヴィッツの、≪スペイン狂詩曲≫はホフマンの、それぞれ十八番。巨匠へのオマージュという意味合いを込めています。この2曲の、モシュコフスキの作品は北住さんが恩師の故・伊達純先生の遺品を整理していた折、楽譜が出てきたそうで、彼にとっても思いのある作品ではないでしょうか。エラールのピアノの響きを、心から楽しみにしています。

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♪ヤマモトコレクションで練習する北住さん(左)と見守る岡田さん(中央)。右は山本宣夫さん。♪  
 

◇ おかだ・あけお ◇

 京都大学人文科学研究所助教授。1960年京都市生まれ。大阪大学文学部、同大学院を経てドイツのミュンヘン大学、フライブルク大学で音楽学を学ぶ。大阪大学文学部助手、神戸大学発達科学部助教授を経て2003年春から現職。著書に『<バラの騎士>の夢-リヒャルト・シュトラウスとオペラの変容』(春秋社 1997)、『オペラの運命-十九世紀を魅了した「一夜の夢」』(中公新書 2001 第23回サントリー学芸賞芸術・文学部門受賞)、『ピアノを弾く身体』(監修、春秋社 2003)、『音は生きている』(共著、勁草書房 1991年)など。文学博士。沙漠のオアシスに生息する、特殊なメダカの育成が趣味。