安倍圭子さんインタビュー

「独奏楽器としての」マリンバ 確立目指してきた大御所 安倍 圭子さん

掲載日:2013年3月21日

導かれ 支えられ 拓いた「道」

マリンバ。元々はアフリカ起源の民族楽器である。アメリカ大陸に持ち込まれ、20世紀に北米シカゴを拠点に近代的な改良が図られた。まずポピュラー音楽に使われ、芸術音楽、クラシック音楽でも用いられるようになり、同時に世界に広がっていく。こうしたマリンバとその音楽の展開を語る上で、欠かすことのできない日本人演奏家が居る。安倍圭子さん。南北米大陸、欧州、アジアなどでの演奏をはじめ、優れた作曲家への新作委嘱、放送・録音、教育やコンクールの審査などを通じた後進の育成、そして楽器改良など実に幅広い活動に半世紀以上、情熱を傾けてきた。80曲にも及ぶ自作もいまや世界のマリンバ奏者の重要なレパートリー。マリンバが「独奏楽器」としての地位を確立する上で原動力となった「開拓者」である。5月31日(金)のリサイタルは、およそ20年ぶりの関西公演。演奏に「マリンバ人生」についての語りを交えたトークコンサートである。今年76歳、かくしゃくとした安倍さんを東京・世田谷のご自宅に訪ねた。「草分け」ならではの信念とガッツに溢れたお話。時を忘れた。

(あいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホール 谷本 裕)

 

安倍さんがマリンバに出会ったのは1950年。通っていた山梨県のミッション系中学に、音楽を用いた布教で知られるアメリカのラクーア伝道団が来た。メンバーが讃美歌を奏でたのだ。

私も木琴を習っていました。卓上で弾くシロフォンです。マリンバには、シロフォンには無い共鳴管が付いている。パイプオルガンのような深い響きに打たれ、心を奪われました。この日から、マリンバは私の「道」になりました。14歳でNHKの洋楽オーディションに合格し、演奏活動を始めました。高校に進み、マリンバに取り組むようになって暫くすると、ピアノやヴァイオリンが羨ましくなってきたんです。私のレパートリーはサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」やビゼーの「カルメン幻想曲」など、他の楽器向けに書かれた作品ばかり。マリンバは単に、数ある打楽器の一つという位置付けで、オリジナル作品はほとんど無い。「レパートリーを作らないと、いつまで経っても独り立ちできないぞ」。若いなりに危機感を持ちました。大学を出、本格的な演奏活動に入っても、弾くのはやはり編曲物やラテン音楽、ポピュラー音楽。音楽家として命を賭けられるような高い水準の作品が、欲しくて堪らない。志を共有する仲間と組み、三善晃さんや外山雄三さんら同時代の気鋭の作曲家に委嘱し、コンサートを開きました。

それが62年の秋。極めて画期的な試みとして反響を呼ぶが、グループは2回のコンサートを開いたのみで解散する。マイナーな楽器の、現代音楽コンサートの財政が困難を極めたのだ。安倍さんは諦めなかった。68年、今度は単独で、再び日本人作曲家の委嘱新作だけのリサイタイルを東京で開く。新婚ほやほやの夫はレコード会社のディレクター。流行音楽を演奏する楽器からマリンバを解放し、独奏楽器として確立しようと斬新な公演を妻に提案したのだ。

私も彼も、マリンバが高い芸術性を持ち得ることを確信し、可能性を引き出したいと考えてもいた。そのころは放送局や劇伴の仕事が次々に入り、大忙しでしたが、公演の1年ほど前、全て後輩に譲ることにしました。小回りが利く若手は重宝がられる。でも、それだけではいつか誰かに取って代わられる。予定表が真っ白になるのは正直、恐ろしかったけれど、マリンバのソリストを目指し、「我が道を行く」決心をしたんです。委嘱新作の一つは本番の前々日に楽譜が届き、殆ど徹夜で暗譜し、舞台に臨みました。幸い、このコンサートで文化庁芸術祭の優秀賞に選ばれました。参加申請をした当初は「ポピュラー音楽の楽器だから」と参加を認められなかったんですよ。芸術性の高い試みであると夫が粘り強く説得してくれました。

パートナーの支援が生んだ成功。高評に背中を押され、安倍さんはこの公演のプログラムを録音する。翌69年、今度はそのレコードが芸術祭優秀賞に選ばれる。安倍さんは文化庁芸術祭の賞を立て続けに獲得し、日本国内でのキャリアを着実に築いていく。海外での活動に道を開いたのも、このレコードがきっかけだった。

同じ内容のLPを米国のレーベルが出してくれた。イリノイ大学のある作曲家が偶然、店頭で見つけた。たった75セントでバーゲンに出ていたそうです(笑)。同僚の打楽器科の先生に紹介してくれ、それを機縁に米国に本部がある国際打楽器芸術協会国際大会(PASIC)に招かれたんです。初の海外演奏は1977年。40歳になっていました。音楽大学で講習会を開き、81年にはニューヨークのカーネギーホールで、セルジュ・コミッショーナが指揮するアメリカ交響楽団と協奏曲を演奏しました。ツアーで貴重な出会いに恵まれ、オランダをはじめとする欧州の仕事に道が延びていきました。

日本での歩みが徐々に海外へ広がり、多くの人々に助けられ世界の舞台へ活動を広げた安倍さん。しかし当時は、欧米でもマリンバの認知は必ずしも進んではいなかった。

1984年、ドイツのフライブルクの音楽祭からオファーが来ました。地元のオーケストラと伊福部昭先生のマリンバ協奏曲を共演するのです。現地に着くと、マネジャーがキャンセルしたいという。コンサートのメーン曲はショスタコーヴィチの交響曲第11番。1時間を越す難曲です。指揮者が「マリンバの曲などに割く時間は無い」と言い始めたのです。悔しかった。練習場の前で彼を待ち、「安倍圭子です。あなたと演奏するため、日本から来ました」と懇願したんです。でも、「あなたが音楽家なら、あのシンフォニーが如何に大変な作品か、分かるでしょう」と、けんもほろろです。音楽祭を主宰する外科医に、訴えました。「もうだめだ」。でも彼は違った。「一度は聴かせてみなければ」。翌日夕、ワイン工場で演奏付きのパーティーがある。紳士淑女が集まる晴れの場で、デモンストレーションをしようというのです。オーケストラの演奏の最中、舞台袖にマリンバを密かに用意しました。逸る思い。汗が流れます。プログラム前半が終わり、休憩に入った瞬間、「ケイコ!今だ!」。合図で楽器をステージに押し出し、一心不乱に弾き始めました。静まる会場。指揮者はもちろん、居合わせた全員が聴き入っています。弾き終えた。喝采がやまない。もう一曲、弾きました。指揮者が握手を求めて来ました。「良い音楽を本当にありがとう。マリンバが、こんなに素晴らしい表現が出来るなんて、思ってもいなかったよ」。協奏曲は予定通り、共演出来ることになりました。時間が無く、ぶっつけ本番でしたが、成功を収めることができました。

30年前、クラシック音楽におけるマリンバの「地位」を示すエピソードだ。こうした開拓者ならではの修羅場を少なからず経験したが、一方で多くの豊かな出会いに恵まれてもいた。

86年、米インディアナ州の小さな町の音楽祭に招かれました。ある夜、宿に白い馬がひく馬車が迎えに来て、オペラハウスまで送り届けてくれた。静まり返った夜、蹄の音だけが鳴り響く。まるで中世の女王にでもなったかのような、幻想的で豊かな時間。主催者の婦人からの、心憎い贈り物でした。帰国後、彼女から手紙が届きました。「あなたの才能を、あなたを求める人のために使ってください。マリンバはあなたの『天職』です」と書いてある。あぁ、そうか、そうだったのか-。「天職」を意識したのは、その時初めてでした。欧州で活動する機会が増え、長く重い音楽の歴史と伝統の中で日本人の私に出来ることは一体何か、思い悩んだ時期が続きました。仕事と家庭、育児の両立に苦しい思いをし、止めてしまおうかと考えたこともあります。でも私はマリンバが大好きで、それ無しの人生は全く考えられませんでした。私たちはだれもが異なる才能を持ち、様々な仕事に就いている。出会いに支えられ、導かれ、皆それぞれ、別々の「道」を歩んで行くのです。私もそうでした。そんな思いを込めて、大阪で自作の「道」を演奏します。

取材協力:ジーベック音楽出版


■プログラム
安倍圭子作曲:「古代からの手紙」
「ガレリア・インプレッションズ」~6本撥のための~ 
「祭りの太鼓」
ショロム・セクンダ作曲/安倍編: 「ドナ・ドナ」~ソロ・マリンバのために~ 
安倍圭子作曲:「道Ⅱ」
「竹林II」~2台のマリンバのための~
「風紋Ⅱ」~2台のマリンバのための~
「マリンバ・ダモーレ」
テッポ・ハウタ・アホ作曲: 「鯨によせる詩」~マリンバとテープのための~ソリスト 安倍圭子に捧げる、
テープのための悲哀なる幻想と 即興

■プロフィル
あべ・けいこ
 1937年、東京生まれ。国際的マリンバ奏者。演奏活動は60カ国に及ぶ。マリンバの新たな奏法を次々と開拓しながら音楽表現の幅を拡げ、数多くの作曲家への委嘱活動を実践。同時に、安倍自身のオリジナル作品も生み出すことにより、マリンバを独奏楽器として確立させてきた。強烈な集中力を持った自由自在な表現力は、芸術性の高い独自のマリンバの世界を築き上げ、音楽史上に残るアーティストとして世界各地で高い評価と地位を得ている。文化庁芸術祭優秀賞を受賞。93年国際打楽器芸術協会(本部・アメリカ)からホール・オブ・フェーム栄誉賞を世界初のマリンバ演奏家として受賞。マスタークラスで指導した世界の音楽大学は110校を超え、世界初演した作品は180曲以上。自作曲は86曲に上る。出演した主な国際音楽祭は60カ所、発売されたCD、DVD、ビデオは50タイトルに及ぶ。桐朋学園大学名誉教授、上海打楽器アソシエーション文化コンサルタント、名古屋音楽大学大学院客員教授。

■公演情報
「安倍圭子マリンバリサイタル」
は、2013年5月31日(金)午後2時開演。入場料2,500円(指定席)、友の会2,250円。学生1,000円(限定数。ザ・フェニックスホールチケットセンターのみのお取り扱い)。共演に、2002年大阪国際室内楽コンクール・フェスタ特別賞を受賞したマリンバ奏者・臼杵美智代(日本音楽集団団員。京都在住)。チケットのお求め、お問い合わせは同センター(電話06-6363-7999 土・日・祝を除く平日10時~17時)。