レクチャーコンサート第1回 松本彰さんインタビュー

掲載日:2003年1月1日

 レクチャーコンサートシリーズ「ピアノはいつピアノになったか?」の初回公演「ピアノの誕生」で講師を務めるのは、新潟大学教授の松本彰さん。専攻はドイツ近現代史。お米とお酒、海の幸に恵まれた新潟を拠点に、幅広い研究活動を展開されています。ピアノが生まれたのは、今からおよそ300年前の1700年ごろで、イタリア人クリストーフォリが発明した楽器が最初と言われています。公演では、当時のクリストフォーリの復元楽器や、ピアノの前身の一つといわれるクラヴィコードの音色を聴きながら、楽器の特性や、当時の社会状況などを、分かりやすく話していただきます。このシリーズ全体の狙いをはじめ、初回のお話の内容を少し語っていただきました。
 

”トップバッター"で歴史家である先生に、先ず最初にこのシリーズ全体について、おききしたいと思います。今回のシリーズ、「いつピアノはピアノになったか」と題されていています。実際、「いつ」なのでしょうか。

ピアノが生まれたのは、いまから300年ぐらい前ですが、いま我々がピアノとして接している「現在のピアノ」と「昔のピアノ」はずいぶん違います。「現在のピアノ」は大人が2,3人がかりでやっと動かすことのできる重い楽器です。重いのは、中に大きな鉄の枠があって、そこにたくさんの鋼鉄の弦が張ってあるからです。黒塗りの外の木の箱も相当に重く、しっかりと作られています。指で鍵盤を押すとハンマーが弦を打つようになっていますが、鍵盤とハンマーのあいだの仕掛けはかなり複雑でいろいろな部品が組み合わされてできています。ピアノはたくさんの人がいろいろな機械を使って作るようになってはじめていまのような形になりました。それは、19世紀の中ごろ、つまり今から150年ぐらい前のことです。ピアノは時代の最先端の技術の結晶として工場で作られ、見本市で大評判となり、おどろくほどの早さで世界中に広まっていきます。そのように「現在のピアノ」は、技術的には産業革命の成果であり、またそのような楽器を必要とする社会、たくさんの人がコンサートホールに集まって音楽を楽しむ、という市民社会における音楽のありかたが生み出したものです。まさに「近代」のシンボルと言っていいでしょう。ピアノについての本はたくさんありますが、最近のものとして、大宮真琴『ピアノの歴史-楽器の変遷と音楽家のはなし-』(音楽之友社[音楽選書]、1994)、西原稔『ピアノの誕生-楽器の向こうに「近代」が見える-』(講談社[選書メチエ53]、1995)の二冊をおすすめしたいと思います。 

同じピアノという名前でも、「現在のピアノ」と「昔のピアノ」とはずいぶん違うということですね。では「昔のピアノ」はどんな楽器だったのでしょうか。
   
それが、まさに今回のシリーズの大事なテーマですので、ぜひじっくりと、聴きながら考えてみていただければ、と思っています。ショパンが亡くなったのが、1849年、シューマンが亡くなったのが1856年ですから、その前といえば、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの時代でピアノ音楽史の重要な時代のかなりの部分がそこに入ります。最近では、「昔のピアノ」を使った演奏、いわゆる古楽器演奏、オリジナル楽器演奏が行われるようになってきて、CDなどもかなり出ています。最近では、「古いピアノ」のことを、「現在のピアノ(モダン・ピアノ)」と区別して「フォルテピアノ」と呼ぶことがあります。もちろん「フォルテピアノ」といっても時代によって、作られた地域によって、またメーカーよっても楽器がずいぶん違いますので、時代や地域の違いをていねいにみていくことが大事です。  そのころ、工場というより工房と呼ぶのがふさわしいような手工業の場で、手作りで作られていたピアノは、基本的にはほとんど木でできていたため、今のピアノよりずっと軽く、音も小さく、音色も「現在のピアノ」とずいぶん違います。古典派からロマン派の時代にかけて音楽家たちは、「現在のピアノ」は知らずにそれらの楽器に触発されてピアノに夢中になり、多くの名曲を生み出したのですから、ぜひその楽器の音を聴いてみたくなります。  幸い、大阪には堺に「フォルテピアノ ヤマモトコレクション」というすばらしいコレクションがあります。私もはじめて行ったとき、ほんとうにびっくりしました。ピアノの歴史を彩ったさまざまな名器がずらりとあり、それらが演奏可能な状態に調整・調律してあるのですから、驚きました。今回、そのコレクションのさまざまな楽器を使ってさまざまな時代のピアノ音楽を味わうことができるわけで、ほんとうに画期的なシリーズです。ぜひ連続して聴いていただけたら、と思っています。 

第一回は「ピアノの誕生」ということですが。
   
ピアノは、1700年よりちょっと前、イタリアでクリストーフォリによって発明されました。「生まれたばかりのピアノ」、それがどんな音だったか、それは聴いてみてのお楽しみです。  1700年ごろ、と言えば、イベリア半島ではスカルラッティが、フランスではクープランが、そしてドイツではバッハが活動をはじめた時代、つまりバロック音楽の最盛期です。スカルラッティ、クープラン、バッハの曲は、現在ではピアノで演奏されることもありますが、当時は、ピアノという楽器そのものがまだ知られていませんでした。ピアノは発明されてすぐ広まったわけではありません。当時、それらの曲はチェンバロ(イタリア語。ドイツでもそのように呼ばれました。英語ではハープシコード、フランス語ではクラヴサン)で演奏されていたのです。チェンバロは外見はピアノと同じような形をしていますが、発音の原理がまったく異なります。ピアノがハンマーで弦をたたくのに対し、チェンバロは弦を爪でひっかくことによって音を出します。原理上、音の強弱が鍵盤ではできません。最近は、チェンバロで演奏されたCDもたくさん出ていますし、生での演奏を聴かれたことのある方もいると思います。  クリストーフォリの発明した「生まれたばかりのピアノ」は、「ピアノ(弱音)もフォルテ(強音)も出せるチェンバロ」と呼ばれました。つまり、いわば「ちょっと風変わりなチェンバロ」として、表現の可能性を求めて発明された「新しい楽器」だったわけです。 

ピアノのもとはチェンバロ、ということですか。

 ピアノが生まれる前に用いられていた代表的な鍵盤楽器は実は三つです。チェンバロ、クラヴィコード、オルガンです。それぞれ発音の原理が全く異なり、音色も演奏のしかたもずいぶん違い、また置いてあるところも違うので、当時の音楽家は、さまざまな場でそれら三つの鍵盤楽器を用いて、さまざまな音楽を演奏していました。たとえばバッハは、宮廷のサロンではチェンバロで優雅な組曲を弾き、教会ではオルガンで壮大なコラール前奏曲などを弾き、自宅の居間では、クラヴィコードで自作のインヴェンションなど精緻な練習曲を弾いて弟子に音楽を教えていました。「場」によって、三つの鍵盤楽器をかなり自由に使い分けていたのです。現在では、ドイツ語で「クラヴィーア」と言えばピアノのことですが、当時は、それら鍵盤楽器(英語でいえばキーボード)の総称で、バッハの鍵盤楽器曲は「クラヴィーア練習曲集」として出版されました。  鍵盤をつけた楽器はすべて「クラヴィーア」なのですから、ピアノは「新しいクラヴィーア」です。ピアノは鍵盤楽器音楽の豊かな伝統を引き継いでいるということになりますが、特に大事なのは二つの有弦鍵盤楽器、チェンバロとクラヴィコードとの関係です。さきほども述べたように、最近、コンサート、そしてCDなどでチェンバロの音を聴くことができるようになってきましたが、クラヴィコードの生の音を聴いたことがある方はほとんどいらっしゃららないのでは、と思います。クラヴィコードは音がたいへん小さく、大きなコンサート会場で演奏することは不可能なのです。  今回は、せっかくの機会ですので、クラヴィコードも持ってきて、実際にその音をぜひ聴いていただきたいと思っています。ザ・フェニックスホールの空間ならば、クラヴィコードという楽器の魅力を味わうことができると思うからです。 

ピアノはクラヴィコードとの関わりも深いのですね。
   
「ピアノの誕生」を考える上で、クラヴィコードとの関係はきわめて重要です。ピアノの歴史について書いてあるものなかには、チェンバロより大きな、ダイナミックな音の楽器を求めて、ピアノが発明された、と書いてあるものがありますが、初期のピアノは、チェンバロよりはむしろ音は小さいのです。18世紀のドイツではとくにクラヴィコードがブームになり、「クラヴィコードの時代」と呼ばれることがあります。多くの音楽家が音こそ小さいものの、指先で強弱がつけられ、繊細な表現が可能な楽器、クラヴィコードに夢中になり、その方向が初期のピアノ音楽に重要な意味を持っているからです。  「生まれたばかりのピアノ」である「クリストーフォリ・ピアノ」は、「強弱の出るチェンバロ」であるとともに、「音の大きなクラヴィコード」でした。「現在のピアノ」と比べれば音はかなり小さいわけで、大きなコンサートホールではなく、宮廷のサロンのような場に楽器を置いてみることが大事です。ザ・フェニックスホールでは、聴衆が同じフロアーで楽器を取り囲み、ごく近くでその音色、音楽を楽しむことができます。ぜひ、「生まれたばかりのピアノ」の魅力を味わっていただけたら、と思っています。 

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まつもと・あきら
新潟大学人文学部教授(西洋史)。1948年東京生まれ。早稲田大学第1文学部西洋史学科卒業後、東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程修了。1980年から83年までドイツのフライブルク大学に留学。帰国後、新潟大学に赴任。91年にはベルリン自由大学でも学んでいる。専攻はドイツ近現代史。論文として「鍵盤楽器の社会史のためのノート」『春秋』387、388、389、391号ほか。日本クラヴィコード協会会長。新潟市在住。54歳。 

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