伊東信宏さん インタビュー
11月29日 レクチャーコンサート 「ジプシー・ヴァイオリンの作り方 ―バルトーク・エネスク・ブラスバンド」 講師
掲載日:2008年8月31日
お話と生演奏で音楽の面白さを届けるレクチャーコンサート。2006年度から20世紀の音楽を特集している。08年度は「ドナウ川水域」がテーマ。ドイツ南西部・黒い森に源流を持ち、ウィーン、ブラチスラヴァ、ブダペスト、ベオグラードといった町を貫いて中東欧を流れ、黒海に注ぐ大河・ドナウ。流域には古来、多様な民族が混住、多様な音楽がはぐくまれた。豊かな音楽文化を象徴する個別トピックを設け、11月と来年2009年1月の2回、公演を開く。11月29日(土)の公演は「ジプシー・ヴァオリンの作り方-バルトーク・エネスク・ブラスバンド」。お話は伊東信宏・大阪大学准教授。 “流浪の民”として知られ、独特の音楽文化を持つジプシー(ロマ※1)の大衆音楽を手掛かりに、芸術音楽のジャンルで対照的な芸術音楽を生み出した2人の作曲家、バルトーク(※2)とエネスク(※3)について話す。公演の狙いや聴きどころを語ってもらった。
(ザ・フェニックスホール 谷本 裕)
「ドナウ」が醸す対照の妙
―本年度のテーマ、「ドナウ水域」について、まずお話し下さい。
20世紀の、特に東欧地域の音楽について考える時、現在の「国」や「国境線」を前提にすると、あまり理解出来ないケースが少なからずあるんです。それより、国境を跨(また)いで広がる「生活文化圏」に着目して捉えた方が、面白いものが見えてくる。例えば、古くからの交通・運搬手段だった河川をはじめとする水路はその一つ。今回、スポットを当てたドナウ川水域では20世紀、ヨハン・シュトラウスのワルツやオペレッタをはじめ、シェーンベルクの十二音音楽、ヤナーチェクのオペラ、ジプシーの音楽、そしてバルトークの作品などが生まれました。ここは、元々は「ドナウ帝国」とも呼ばれたハプスブルク帝国(※4)の旧領地とも重なる部分が多い。王侯・貴族ら社会の富裕層が好み、育てた洗練の極みの音楽から、大衆音楽の最たるもの、卑俗なものまで実に多彩です。それらはいっけんバラバラに見えますが、実は結び付ける何かがある。土俗的な音楽と、洗練された音楽が関連を持って存在する例は、例えばスペインにも見られます。ファリャやモンポウといった作曲家の作品などはその例ですが、ドナウの場合は、「洗練」と「土俗」、それぞれの「両端」が突き抜けたような強い魅力を持っている点がユニークです。
―今回の公演では、ジプシーヴァイオリンがその「カギ」を握るようですね。伊東さんとジプシーヴァイオリンの出会いは?
大学院でバルトークに関する修士論文を書いた後、ブダペストに留学し、その後も短期の調査旅行をするなどで度々、ハンガリーやルーマニアなどを訪れています。研究者として大衆音楽(民謡)を収集したバルトークの歩みを追うのですが、たとえばモルドヴァ(ロシア)の田舎に調査に行きます。踏切の遮断機を、列車の運転手がいちいち降りては開け閉めする。そんなローカル線が走る、のどかな小村。そこで、ジプシーのバンドを何度か聴くことがありました。金管楽器を主体とした文字通りのブラスバンドであったり、ズルナ(トルコのチャルメラ)やエレキギターを含むさまざまな楽器のバンドであったり、実に多種多様です。ブダペストのような、都会のレストランに出演するグループとは違い、まさに「村の楽師」で、着衣は薄汚れ、裸足の人もいる。こうしたバンドの他に「タラフ」と呼ばれる、弦楽器主体のグループも数多くあります。僕は村で聴いたことはありませんが、録音を通じて、また都市のホールなどで繰り返し親しんできました。彼らの演奏は、音程が悪いし、やたら装飾音やポルタメント(※5)を付け、ガラが良くない。村で感じた、ある種の「いかがわしさ」は共通しています。でも、センチメンタルな旋律や勢いに任せた超絶技巧も散りばめられています。バルトークは、こうした大衆音楽はあまり評価していなかったのですが、僕はとても面白かった。それまでの現地調査で、ルーマニア在住のハンガリー人が保存する伝統的な民族音楽には度々触れましたが、ちょっと博物館的に感じたので、この音楽がよけい印象に残ったんだと思います。
―クラシック音楽の「花形」であり、同時に泥臭い民俗音楽のスターでもある楽器ヴァイオリンの「2面性」を感じますね。
今回の公演では、ドナウ水域を象徴するような「洗練」と「土俗」を、バルトークの「ヴァイオリンソナタ第2番」(1922年)と、エネスクの「ヴァイオリンソナタ第3番」(1926年)を通して示してみたいと考えています。2人は共に1881年の生まれで、出生地も現在のルーマニア領内の、近い場所です。少年期、彼らの家の外で流れていた民俗音楽は恐らく、ほとんど同種のものだったと思われますが、2人の作風は大きく異なっています。バルトークはピアニストとして、またエネスクはヴァイオリニストとしても広く知られましたが、その2人が実は1924年、生涯に一度だけ、共演しています。その折に取り上げられたのが、このバルトークのソナタでした。
―2人を結ぶ「糸」ですね。
バルトークは、両親ともに教師というインテリの家庭に生まれ、早くから英才教育を受けました。幼少時代から「村の音楽」には背を向け、芸術音楽を志して頭角を現し、リストをはじめとするドイツ・ロマン派を目指します。長じてルーマニアをはじめとする東欧各地の民謡を収集し、研究を重ね、そこから構成的で緻密な作品を生み出しました。この曲は当時、情熱的かつ奔放な演奏で一世を風靡(ふうび)していた女性ヴァイオリニスト、イェリー・ダラーニに献呈されています。このソナタの特色は、「村の楽師」のヴァイオリン音楽が、バルトーク一流の前衛性と結合されている点にあります。西洋芸術音楽の粋であるソナタ形式に、「村の音楽」を持ち込むというアイデアは従来、ないものでした。エネスクは、バルトークの創意に強く共鳴しました。自分の中の「村の楽師」の音楽が描かれていたからです。僕は、この作品が契機となって2年後、エネスクの「ヴァイオリンソナタ第3番」が生まれたと考えているのです。
―エネスクは、どんな音楽家だったのですか。
彼もまた、ルーマニアの小村の生まれです。ただバルトークとは対照的に幼い頃、地元のジプシーからヴァイオリンの手ほどきを受けたと言われています。有り余る才能に恵まれ、その後、ウィーンやパリで高い音楽教育を受け、特に後者では社交界の寵児となりました。フランス風の、洗練された物腰を身に付けてはいましたが、本来、彼の中にあった「村の楽師」が磊落(らいらく)で情熱的、あるいは本能的、衝動的ともいえる楽風を形作っていたのです。ここが、後天的に民謡を学んだバルトークとは対照的です。ただ、ソナタという抽象的な形式にそういった「村の楽師」的な要素を盛り込むことに抑制が働いていたのではないか。バルトークのソナタは、そんな逡巡を「解放」したに違いありません。エネスクのソナタからは、自分の本当の音楽を思い切り表現する意気込みが感じられます。
―今回の演奏家をご紹介ください。
ヴァイオリンの谷本華子さんは、作品の表面的な美しさだけでなく、内部の妖しさみたいなものを巧みに表すことが出来る演奏家。しかも、それが演歌調にならない、日本でも稀有な名手です。一方、ピアノの加藤さんはがっちりした構成力と、壮大なスケール感を持つ方。バルトークのソナタは元々、構成感に長けた作曲家がピアノを、また情熱的な演奏で知られたダラーニがヴァイオリンを弾くことを念頭に作られましたが、そうした文脈からも、正に理想的なコンビといえるでしょう。実は加藤さんと僕は、同時期にハンガリーへ留学しており、なんと当時、仲間共々ご一緒したことがあったそうです。また谷本さんも実は、ハンガリー出身のヴァイオリニストに就いて学ばれたことがあり、いずれも今回の出演をお願いした後で知ったのですが、思いがけない「ハンガリー繋がり」に、驚いています。また本公演の前には、大阪に拠点を置くジプシー楽隊「フレイレフ・ジャンボリー」が「村の音楽」を奏でてくれます。コントラストに溢れた公演を、お楽しみいただければ嬉しいです。
立体的に聴いて~
いずみホール公演と連携
レクチャーコンサート「ジプシーヴァイオリンの作り方 バルトーク・エネスク・ブラスバンド」は、同じ11月の13日(木)夜に行われる大阪・いずみホールの専属楽団「いずみシンフォニエッタ大阪(ISO)」第20回定期演奏会と連携している。ザ・フェニックスホールとの「2ホール連携事業」は2006年度、現代音楽の振興を狙いとしてスタート。レクチャーコンサートの企画・構成を担当する伊東信宏さんと、ISO音楽監督の西村朗さん(作曲家)のお2人を共同プロデューサーとし、これまでに「武満徹」「環バルト海」といった共通テーマで連携公演を開いてきた。7月2日夕、大阪市内でお2人が対談した。西村さんは「ISOは今回、ドナウ水域という共通テーマからルーマニアのニクレスク、ウクライナのカプースチン、ハンガリーのクルターク、オーストリアのシェーンベルクと実に多彩な作曲家の作品を選ぶことが出来た。苦労もあったが、2ホール連携の意味がある」と語った。ISO公演では、川島素晴さん(ISOプログラムアドバイザー)の新作「シンフォニア『ドナウ』」も初演される。「多彩な個性の中から、この地域ならではの共通性を見つけてほしい」とも述べた。一方、伊東さんは今回のレクチャーコンサートの狙いをあらためて話した。「バルトークとエネスクは対照的な音楽を生み出したが、それは同じ音楽的な源泉から出ている。この地域特有の、“多様性の中の共通”は面白い」と話すなど、2つの公演で「ドナウ水域」を立体的に聴き取る意義を強調した。連携事業は09年度は休み、2010年度に再開する見込み。
撮影 竹内マサキ
〈いずみホール/ザ・フェニックスホール連携企画〉
ドナウ川は、ドイツ南部の黒い森(シュヴァルツヴァルト)に水源を持つ。ヨーロッパを東に流れ、アジアとの境界に位置する黒海に注ぐ。長さは2800キロ以上で、日本列島の長さにほぼ匹敵する大河。ドイツ、オーストリア、スロヴァキア、ハンガリー、セルビア、ブルガリア、ルーマニアなど10に及ぶ国々を貫く国際河川で、北海とも水路を通じ結ばれ、古くから人々や物資、情報の流れる水脈として機能した。そして、この水域には極めて多数の民族が暮らし、ドイツ語・西スラヴ語・南スラヴ語・ウラル系のマジャール語・ラテン系のルーマニア語といった多彩な言語、カトリック・ルター派・カルヴァン派・東方教会・ユニテリアンといったキリスト教諸派に加えユダヤ、イスラムといった宗教が混交、豊かな芸術・文化を育んできた。ザ・フェニックスホールのレクチャーコンサートは2008年度、この地域に光を当て、こうした交流と創意によって20世紀に生み出された音楽の姿をザ・フェニックスホールでの2回の公演と、連携する大阪・いずみホールでの公演で紹介する。
ドナウ川と周辺の国々 (C)ザ・フェニックスホール
※1 ジプシー 北インド起源で、欧州に移動してきたといわれている少数民族。楽師、鋳掛け、占い、薬草販売などを生業としてきたとされる。社会的に差別されてきた歴史があり、近年は「ロマ」と呼ばれることが多いが、ジプシー・ヴァイオリン、ジプシー音楽といった呼称は今も使われており本稿ではこれを採る。
※2 バルトーク・ベーラ(1881‐1945) ハンガリー最大の作曲家。ピアニスト。10歳で自作の公演を開き、のちブダペスト音楽院に学ぶ。民謡の収集を基礎に、シェーンベルクやドビュッシー、ストラヴィンスキーなどからの影響のもと、独自の音楽を創造。
※3 ジョルジェ・エネスク(1881‐1955) 20世紀のルーマニアを代表する作曲家。ヴァイオリニスト、指揮者としても活躍。ウィーンの音楽院を経て、パリ音楽院に移り、フォーレやマスネらに師事。ルーマニアの民俗的な要素を取り入れた創作で知られる。
※4 ハプスブルク帝国 15世紀半ばから20世紀初頭にかけ、オーストリアのハプスブルク家が君主として統治した中東欧の帝国。10を超す民族がモザイク状に内在しており、統治は困難を極めたが、異質な文化が混交する中で多様な文化が開花した。
※5 ポルタメント ヴァイオリンなどの弦楽器を演奏する際、ある音から別の音に移る時に、指盤上の指を滑らせてなめらかに奏でる奏法。曲想によっては官能的な感じが増すなどの効果がある。