伊東信宏さんが語る ~Knowing The Score”を観て~
ザ・フェニックスホールのレクチャーコンサートは、専門家のお話と生演奏で、音楽の深い楽しみをお届けする、ちょっぴりアカデミックなコンサートです。9月30日(木)夜に開く、「古楽の楽しみ マルコム・ビルソン教授の『楽譜の読み方』」は、「フォルテピアノ」と呼ばれる、ピアノの前身の古い楽器の演奏家として、世界的に知られるマルコム・ビルソン氏(アメリカ・コーネル大学教授)をお迎えし、お話と演奏を通じ、ハイドンやベートーヴェンのソナタの「真髄」に迫ります。コンサートタイトルの「楽譜の読み方」とは?この公演の企画・構成を担当してくださっている、大阪大学文学部教授の伊東信宏さんに聴きどころを紹介していただきましょう。
掲載日:2010年9月3日
伊東 信宏
外国語を、それが実際に話されている場から遠く離れた国で、文字だけ、テキストだけで学ぶと、珍妙な間違いが色々起こります。珍しい言語だけの話ではありません。英語ですらなかなか厄介なのであって、たとえばどう読むか、というレベルでも間違いは頻繁に起こり得ます。綴りと発音の間には、一応の規則があります。辞典の巻末には、おそらく発音についてのある程度の「マニュアル」のようなものが載っていると思いますが、この「マニュアル」が一応の規則です。ですが、それだけでは例外も多く、実際には思わぬ頓珍漢な間違いをおかしている可能性があります。というのは、他人事ではなくて、私も領収書にreceiptと書かれているのを見ながら、何のことだろう、と長いこと思っていました。それが「レシート」という聞き慣れた単語だ、ということにずっと気づかなかったのです。音楽の演奏について、実はこういう頓珍漢な間違いがしばしば起こっているのではないか—ビルソン教授のレクチャービデオを見て、真っ先に思い浮かぶのはそんなことです。
私たちは、「楽譜の読み方」を知っています。四分音符というのは、全音符の1/4の長さで、八分音符はさらにその半分。もしその八分音符にスタッカートが付いてたいら、短く切って演奏し、テヌートが付いていたら長さ一杯に演奏する。では、なにも記号が付いていなかったら?作曲家が特に指示していないのだから、この場合は八分音符分きちんと延ばす。それがマニュアル的読み方であって、それ以外のことを私たちは習ったことがありません。もし、それ以外の読み方をあえてするのなら、それはその演奏家の「解釈」の問題であって、才能、センス、インスピレーションの領域に関わることであり、そういうものは教えられるわけではなく、ただその人に備わってたり、いなかったりするものである、と私たちは普通考えます。だから、グールドがあんなに勝手な読みをしても、それは彼の「才能」の故に許されていることであって、あんなものを真似してはいけない、ということになります。ビルソン教授が、ビデオの中で紹介している極端な例は、プロコフィエフの曲をプロコフィエフ自身が弾いている録音を聴いて、それを真似して弾いたらレッスンで先生に怒られ「プロコフィエフが弾いたように弾くのではなくて、楽譜に書いてあるとおりに弾きなさい」と言われた、という話です。
ここで問題なのは、「マニュアル」と、それ以外の一回的「解釈」という二分法です。つまり、「マニュアル」をきちんと覚えて、後は各自「解釈」しなさい、ということですが、ビルソン教授がレクチャーを通じて発している一番重要なメッセージは、実はこの間に無数の段階の「細かい約束事」や「経験的な知」があり、その無数の段階ついては、単なるセンスや勘を働かせるだけではなく、調べたり、考えたり、比べたり、我々がやるべきことが沢山ある、ということではないか、と思われます。 たとえば、先の(スタカートなどの記号の付いていない)四分音符の長さの例で言うと、モーツァルトの時代には、基本的には現代で言う四分音符分の音価の半分くらいの長さしか延ばさない、というのが平均だった、と彼は主張します。そして、この原則はあくまで原則で、その四分音符が置かれた文脈次第で、これはより長くも短くもなる。ビデオの中では、この話はすらりと出てくるだけですが、おそらくこういう知見に到達するまでに、彼は同時代の演奏法の本を熟読し、同時代の楽器の特質に通暁し、様々な資料を調べ、古い録音を聴く、といったことをしてきた、と思われます。これは、「マニュアル」を下敷きにして、あとは才能と感覚で魅力的な演奏を行ってきた幾多の演奏家達と全く違うところです。古楽奏者としての彼のキャリア自体も、おそらくこの「マニュアル」と「解釈」という乱暴な二分法の間を埋める作業の帰結として行われてきたのだろう、という気がします。
このことは彼がアメリカで西洋音楽の演奏を教えてきた、ということとおそらく無関係ではないでしょう。アメリカでピアノを教える、ということは、遠い国で語学を教えるということと多少似ているからです。ドイツやイタリアでピアノを習ったり教えたりするときには、やはりお祖母さんがリストの弟子だったとか、先生の先生がショパンを聴いたことがある、といった話は珍しくありません。ちょっと見渡せば、古い楽器もあるかもしれませんし、かつての演奏法の名残りのようなものも感じられるかもしれません。けれどもアメリカではこういった例は稀ですし、かつての演奏上の約束事なども、早くに忘れられてしまいました。彼の手元に残っていたのは「マニュアル」のレベルに近いものでした。ですが、彼は「マニュアル」と「解釈」の間にあったはずのものに、とりわけ敏感で自覚的で、時間をかけてそういう知を再構成してきた、と言っていいと思います。そして、ヨーロッパでもすでにその種の経験的知が失われ、忘れられてしまった現代になって、彼の作業はとても貴重なものとして再認識されるに至ります。
私が強調したいのは、ビルソン教授の意見は、丸暗記して遵守せねばならない、規則のようなものではない、ということです。ここに私たちが読み取らねばならないのは、「常識」と思っている楽譜の読み方を疑い、それについて考えてみること、そしてそれを歴史から学ぼうとするという姿勢そのものです。彼のレクチャーは、そういう作業がいかに楽しく、実り多いことであるか、ということを示しています。彼が常に聴衆を挑発し、音をめぐって、楽器をめぐって、楽譜をめぐって、考えるようにしむけている様子は、爽快ですらあります。私たちが、彼のレクチャーや演奏から学ばねばならないのは、こういう姿勢そのものだ、と言えるのではないでしょうか。
■教育ビデオ『Knowing The Score』(楽譜の解釈)
ビルソン教授の職場である、コーネル大学の講堂で行われた、レクチャーの記録。現代のピアノとモーツァルトの時代のピアノとを 並べて、実際にそれらを弾きながら、楽譜をスクリーンに映し出し、録音を聴き、活気に満ちたレクチャーが展開されます。ハイドンの活動したエステルハーザ、あるいはウィーンのブラームス・ ホールでの演奏も収録。2005年発売。
いとう・のぶひろ 1960年京都生まれ。大阪大学文学部教授。文学博士(大阪大学)。主な著書に『バルトーク』(中公新書、1997年、吉田秀和賞受賞)、『中東欧音楽の回路 ― ロマ・クレズマー・20世紀の前衛』(岩波書店、2009年、サントリー学芸賞、木村重信民族藝術学会賞受賞)。2001年度から「ザ・フェニックスホールレクチャーコンサートシリーズ」企画・構成担当。
- 9月30日(木) 午後7時 開演 レクチャーコンサートシリーズ 古楽の楽しみ マルコム・ビルソン教授の『楽譜の読み方』公演詳細はこちら♪