長岡京室内アンサンブル代表森悠子さんインタビュー

掲載日:2003年1月1日

独特の様式感覚と緻密な合奏、そして洗練された音楽性-。長岡京室内アンサンブルは1997年の発足以来、作品が本来持つ美しさを清新な演奏で蘇えらせ、高い評価を得てきた。昨春は東京デビュー、地方発のユニークな演奏団体として注目を集めた。音楽監督の森悠子さんは長くフランスで活躍、現在米シカゴを軸に活動を広げるヴァイオリニスト。アンサンブル育成の狙いを聞いた。

――結成のきっかけから聴かせてください。
96年暮れに長岡京に帰省した折、むし歯が痛くなり、近くの歯医者さんに治療に行ったんです。院長の戸渡(孝一郎)先生は音楽が大好きな方で、私を診ながら、「ここでプロの演奏団体をつくって下さいよ」って言われたんです。地方から個性溢れる音楽文化発信に情熱を燃やされていたんです。ちょうど私もその頃、自分の弟子たちに室内楽を通じ音楽の深さを教え、練習の成果を発表する場が欲しいと考えていました。先生の支援をいただけることになり、早くも翌春、地元の光明寺総本山御影堂で発足出来ました。このアンサンブルはつまり、診察椅子の上で育まれたわけです。近年、日本には室内アンサンブルが多数出来ましたが、実は奏者が重なっていたりして特色ある音があまり聞こえてこない。長岡京から、独自の音色を発信できたらと願っています。

――オーケストラでなく、「室内アンサンブル」にこだわったのはどうして。
リヨン高等音楽院や京都フランス音楽アカデミーなどで長く教えてきて、日本の音楽教育に足りないものを感じていたことが大きいです。一つは正しい音感。室内アンサンブルは室内楽の延長です。第1ヴァイオリン奏者の数は4人ですが一つの音を3、4人でぴったり合わせるのは難しいもの。一人ひとりが他人に頼らずに自分の音を出し、しかも全体として揃わなければならないわけですから。その条件の中でまずパートとしてまとまり、さらに他のパートと一緒に、音楽的に美しい響きを生み出す感覚を養いたいと思った。もう一つは拍感。聴いていて自然な"音楽の波"をアンサンブル全体でつくり出すには、音楽のフレーズについてのイメージを団員が共有していれば良い。こんな音楽づくりには室内アンサンブルが最適。長岡京アンサンブルには指揮者はいませんが、合奏の際は、目で合図しなくても音楽の流れは狂いません。体はそっぽを向いても、演奏はきっちり揃います。以前パリで、「女と影」(クローデル作)を題材にした能楽公演を見た時、まさに阿吽(あうん)の呼吸で舞う2人の能楽師に感銘を受けました。日本の美を支える「気」の文化を西洋音楽に取り入れ、息の合った音楽をしようと思ったんです。生活してきたフランスは個人主義的なお国柄。オーケストラは練習中もおしゃべりが少なくありません。ドイツの指揮者などは統制に困り、中には怒鳴る方もいますが本番は素晴らしくまとまるので結局は降参(笑)…。強力なリーダーシップがなくても、自発的に芸術をつくりあげる気風は日本の伝統芸能と似ているのかもしれません。

――これまでの舞台では斬新な楽曲解釈が注目を集めてきました。
私は原典版の譜面に忠実にやっているだけなんですよ。70年代から、バロック音楽をはじめとする古楽の演奏に携わっています。フランス放送新管弦楽団に入り、(近年、古楽演奏で世界的に高く評価されている)指揮者ジョン・エリオット・ガーディナーらの考えに強い影響を受けました。長岡京アンサンブルのレパートリーはバロックから現代まで幅広い。使っているのは現代の楽器ですが奏法を工夫し古楽の響きを醸しています。プログラムにはできるだけモーツァルトの作品を入れてきました。音楽の基礎ですからね。彼の父レオポルトが書いた教則本(1775年)のファクシミリ(写真複写)を読んで当時の奏法を学び、これを忠実に守って譜面を読み込むと、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のようなポピュラーな曲もボウイング(弓使い)に関する指示が実は、細かく変化していることが分かってきて、新しい解釈・表現が生まれるのです。こうした譜面の読み方を生徒に教えたい。当初は戸惑うメンバーも少なくなかったですが、最近は自発的に読もうとしています。音楽に向かう時は、オイストラフとかハイフェッツ、カラヤンやフルトヴェングラーといった著名な演奏家の真似をするのではなく、自分の力で演奏を生み出すことが大事です。

――舞台は、個性的な演奏家養成の教育の場でもあるんですね。
森さんご自身は、教育に寄せる思いは。 15歳のころ、斎藤(秀雄)先生から「お前は教える才能がある」と言われ、自由学園の楽団を教えに行ったりしてたんですが、当時は「演奏家としてのはどうなのか」と反発もしました。自覚を持って教え始めたのは50歳を過ぎてから。フランスでは由緒あるシャン城で毎夏開かれるヴァイオリンマスタークラスの副監督を務め、イダ・ヘンデルやワディム・レーピンらと共に世界の若者を教えています。シカゴでも弦楽四重奏団を育てていますし、主に20代後半の若者を対象に演奏の姿を原点から問い直す移動音楽道場「CEM」の活動を12月から始めたり、教育活動は増える一方ですが、次代の先生養成はやりがいがあること。先日も指揮者の(井上)道義さんに「斎藤先生、どこで見てたんだろうね。先見の明があったんだなぁ」って冷やかされました。どんなに年齢を重ねても、私の活動の主軸はアンサンブルを育てることと思っています。

 

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もり・ゆうこ 高槻市生まれ。6歳からヴァイオリンを始め、相愛子供音楽教室、桐朋学園高で学ぶ。同大学卒業後、故・斎藤秀雄氏の助手を務め、チェコスロヴァキア、フランスに留学。パイヤール室内管などを経て1989年リヨン高等音楽院助教授(96年まで)。サイトウ・キネン・オーケストラに参加(84‐91年)。88年から京都フランス音楽アカデミー音楽監督。99年から米ルーズヴェルト大シカゴ音楽院教授(ヴァイオリン・室内楽・オーケストラ科)。仏政府から芸術文化勲章シュヴァリエ賞を受賞。 長岡京室内アンサンブル 97年3月結成。国内外で活躍する日本、フィンランド、フランス、スペイン各国の弦楽器奏者12人が在籍、年2回定期公演を重ねている。ジュリー・パロック(ハープ)、ヴァディム・サハロフ(ピアノ)、デビッド・シュレーダー(チェンバロ)、フィリップ・ミュレール(チェロ)、フセイン・セルメット(ピアノ)らと共演。99年音楽クリティック・クラブ賞受賞。

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