古典舞踏家 樋口裕子さんインタビュー 

掲載日:2003年10月1日

音楽家への滑走路2 エヴォリューションシリーズの出演者は今

第4回(1996年11月26日) 「舞踏組曲への道~舞曲史の一場面」

樋口 裕子さん 大阪市/古典舞踏家

 

 ルネサンスやバロックの時代、イタリアやフランス、英国の宮廷で親しまれた舞踏に取り組んでいます。踊りの順序を記した「舞踏譜」や様々な資料を基に振付し、当時の曲に合わせ、昔の装いで踊るのです。
舞曲に関心を持ったのは、同志社女子大で声楽を学んでいた時。同志社には毎冬、ヘンデルのオラトリオ≪メサイア≫を演奏する習慣があります。合唱団員として歌詞の意味などを調べる中で「神の救い」を描くシリアスな作品に娯楽要素のある舞曲も含まれているのを知りました。指揮によって軽やかにも、ロマンチックにも曲を演出する舞曲のリズムに惹かれ、卒業後もピアノ教師の傍ら、友達と舞踏の練習を続けました。
あの頃、関西で古典舞踏に本格的に取り組む人は殆ど居なかった。様々な方に教えを請い、手探りで研究と実践を重ねていました。京都や大阪、宝塚の自主公演で成果を一部発表してはいましたが、更に一歩、舞踏を深めたいと考え応募しました

公演には、関西の古典舞踏家でつくる「コートダンス・アンサンブル」で出演、イタリアルネサンスの作品と、バッハの≪フランス組曲≫でまとめした。演奏は京阪神の大学・高校に勤める音楽家の方々、衣装は交流のあった京都の衣装デザイングループにお願いしました。会場は満員。企画が新奇だったためか、券売は当初から良かったそうです。 冒頭、イタリアの作品はロウソクの光で踊りました。この曲は元々、貴族の館での祭事の幕開けを告げる作品。松明を掲げた小姓・騎士が庭で踊った故事に因みました。バルコニー席のお客様は、王侯気分だったでしょうね。
お客様の関心はバッハ。「メヌエット」や「サラバンド」などの舞曲の舞踏表現に注目されたのでした。彼の作品に振付けた舞踊譜は残っていないため、当時の様式を踏まえ、踊り手の感性に馴染むよう創作を試みました。彼の作品は元来、踊るために作られたものではないので、公演で取り上げることに議論もあったのですが、私はパフォーマンスとしてバッハを踊る意義は大きいと考えました。バッハの音楽で踊り、ルネサンスとバロックの双方の舞踏に取り組み、舞曲本来の楽しさをより多くの人に伝える-。私たちの活動の方向は、この舞台を通じて定まっていったのかもしれません。
今は母校・同志社女子大をはじめ、マスコミの文化教室で教え、奈良や宝塚などにもクラスを持っています。関西以外の公演も増えてきましたが、遠い時代の西欧の舞踏に今の日本で取り組む以上勉強は欠かせません。研究のためフランス語会話を習ったり、クラシックバレエを学んだりしています。来日する大家からレッスンを受け、夏は本場に講習を受けに行ったりもしますが、この世界は英・仏・米に研究の拠点があり、解釈が異なる。私は、原典に返る中で本来の姿を究め、様々な流派のスタイルを勉強することで異なる視点から舞踏を捉える目を養い、さらに日本人の良さや私の独自性を加えたパフォーマンスを探っていきたい。それが出来た時、舞曲は演奏のみの表現とは違った輝きを放つと私は信じています。
◇個性的な公演企画を公募し、審査で選ばれた方にザ・フェニックスホールを無料で使っていただく「フェニックスエヴォリューション・シリーズ」は、今年発足7年目を迎えました。これまでに出演した方々を訪ね、近況などを語ってもらいます(随時掲載します)。