連載 What is the Next New Design? 4

デザイナー松井桂三さんとの90分 旅「トルコ」 アラビア文字の美に驚嘆

掲載日:2005年4月1日


 ザ・フェニックスホールのアート・ディレクションを手掛ける国際的デザイナー松井桂三さんの半生を辿る。今回は連載4回目。旅先のミラノで、得意の絵で滞在費を稼いでいた松井さん。友人との出会いを機に帰国を決めるが、それは新たな冒険旅行の始まりだった。 
 
パリに居たのは大阪芸大の同期や一年先輩たち。彼らの友人の一人がパリ最先端のファッション情報を日本のメーカーに送る仕事をしていた。住まいは、花の都を代表する一等地サンジェルマン・デプレのアパルトマン。麻雀しながら話していると、かなり稼いで、豪勢な暮らしをしている。こちらは絵を描いて日銭を稼ぐ生活。日本とヨーロッパを結ぶ仕事ぶりを聞いて、「いつまでも、ぶらぶらしてる場合じゃないゾ」と考え、ローマに戻りました。 
 
暫くたった頃、スペイン広場で関西弁に声を掛けられた。吉田保夫。でミラノで修業中という。大阪の住まいが僕と近所で一気に意気投合。そのうち実は彼も僕と同じようなヒッピーで、嫌気が差しているのが分かってきた。パリでの話もあったし、あまりイタリア語が出来ないのがもとで、逗留先のペンショーネのおばさんとつまらない行き違いが重なったりして、僕も「ここらが潮時」とハラを固めた。
 
帰国を決めたは良いが、問題は経路。お互いカネが無い。列車や船でアジアを横断すれば安くで済む。一人旅は追剥(おいはぎ)が怖いけれど、仲間と一緒なら何とかなるだろう。吉田は北欧で放浪生活をする大学生2人を知っていた。旅は道連れ。一緒にシルクロードの旅に出ることになった。見たこともない場所に惹かれる意識。「旅愁」って、男のロマンじゃないですか。

ローマを後にしたのは、まだ暑さの残る10月のある日。3カ月ほどの滞在でしたが、ヒッピー仲間や画廊のオヤジら知り合いが結構出来たので、出立の朝はおセンチになりましたが、「また必ず来る」と自分に言い聞かせ、列車に乗り込みました。 

ヨーロッパから見ると、アジアの入り口はトルコ。ナポリを経て向かったのは、ブリンディシ。ブーツ型のイタリア半島の、かかと部分にある港町で、対岸はギリシャ。ペロポネソス半島パトラス行きの船に乗った。客室は船底の三等。朝起きたら、全身が痒くて居ても立っても居られない。南京虫らしく、全身真っ赤です。ギリシャの検疫でひっかかりましたが、また言葉が通じない。虫の絵を書き、検疫官に説明しました。行き先を告げると、トルコは入れないという。コレラで国境閉鎖中というんです。持ってるヴィザはトルコ、アフガニスタン、インド、パキスタン、、、と完全にシルクロード仕様。今さら東欧経由に方向転換もできない。ユースホステルで暫く待って古代ギリシャの神殿など見るうち、北部のピシオンの国境が開いた。イスタンブール入りも列車でした。

着いたらまず、宿探し。目指すは安宿、しかもフロントで値切る。長旅ですからね、ともかく倹約です。朝、バザール(市場)にパンを買いに行く時も、「10個まとめて買うから、1個付けてくれないか」。こちらとしては、オマケしてもらい、食費を浮かす魂胆ですが、言葉が出来ない上、この市場ではあんまりない習慣だったのか、パン屋とうまく話が通じない。野次馬が集まって来、「どうもコイツは計算できんらしい」みたいな話をしてる。でも最後は1個、サービスしてくれました。異国で受ける親切、ありがたいことです。一方でバザールにはいろんな人間が集まる。旅仲間が「手持ちのドル札を高いレートで交換してくれる」という誘いを受けて差し出したら、いきなり分厚い本の中にパタンと仕舞い込まれ、巻き上げられそうになったこともありました。よく食べたのはシシカバブ。羊肉の串焼き。庶民の味です。生タマネギが一緒なんですが、臭いがきつく、不用意にバスなどに乗ると、この臭いが車内に充満していて、頭がくらくらするほどでした。

宿は一緒でしたが、日中は仲間と別々に行動しました。僕がよく出かけたのはトプカピ宮殿。イスタンブールに君臨したオスマントルコの王の居城で、映画『泥棒貴族』の舞台。中は美術館で、大きなダイヤモンドやエメラルド、ルビーなどを装飾的に散りばめた短剣や椅子はじめ、家具、調度など王の宝物に見とれたものです。どれもガッチリした強さが特徴的で、例えば弥勒菩薩が代表するような、日本の伝統的な美術工芸などに一般的な、曲線の美は殆どなかった。惹き付けられたのがアラビア文字。ソフィア寺院や「ブルーモスク」の名で知られるスルタン・アフメット・ジャミイ寺院のそこここに、あしらわれていました。宮廷の中で、長い時間をかけ文字が洗練を重ねられ、デザインそのものに変貌を遂げている。庶民に意味を伝える機能は失われ、正にアートとして完成している。西洋のタイポグラフィー(※)とは違う、僕には初めての、美の世界が広がっていた。

五感を刺激する、イスタンブールの文物。その底流に流れるのはイスラム教でした。ローマやパリで出合った文物にも無論、感動しましたが、それらの背景にあるのはキリスト教。日本で馴染みがないわけではない。僕が大学で学んだデザインも、ヨーロッパの伝統が生んだバウハウス。ヨーロッパは自分の一部と言えなくもなかった。その点、イスラムとの出合いは新鮮で、驚きの連続でした。イスラム寺院に行った時のこと。「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)」。ムスリムの唱えるアザーン(礼拝の呼び掛け)が堂内に圧倒的な重量感で響いていた。壁を埋めるタイルの幾何学模様、床一面のペルシャ絨毯を彩るアラベスク(唐草模様)。足の裏がじっとりする感覚。むせ返るような人いきれ。堂中央には大階段。地に身を投げ一心不乱に祈る人々。僕は呆けたように立ち尽くし、異文化の衝撃に、ただただ心を震わせていました。
(続く)

(※)活字の大きさや書体、レイアウトなど、印刷する上での紙面構成や表現 
 

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▲ソフィア寺院前に集まった旅仲間たち=1970年松井さん写す