連載 What is the Next New Design?13
デザイナー松井桂三さんとの90分 アップル 目玉も回る「アメリカの夢」
掲載日:2008年3月10日
ザ・フェニックスホールの公演チラシやパンフレットの制作をはじめ、アートディレクションを担当するデザイナー松井桂三さん(KEIZO matsui Dramatic(有)代表・大阪芸術大学教授)。青年時代は大阪芸大で学び、ヨーロッパからアジアを放浪。その後、ビジュアルデザインの名門・高島屋宣伝部に勤務し、独立。1984年にはアパレルメーカーの米国進出に伴うブランド戦略を担当、フリーランスとして順調に歩み出した。ニューヨークから帰国した松井さんを待っていたのは新進のコンピューターメーカー、アップル・コンピュータ(現アップル)の手紙だった。
(聞き手 ザ・フェニックスホール「サロン」編集部)
久々に古巣の高島屋宣伝部に顔を出してみたんです。懐かしい面々と一しきり歓談したあと、だれかが白い封筒を差し出した。米国発の国際郵便。ボク宛てです。差出人はアップル・コンピュータでした。
アメリカではパソコン時代が到来し、空港や街中にリンゴをあしらった同社の広告が出ていました。フォーチュン誌の長者番付に社長のスティーブ・ジョブズが名を連ね、一躍脚光を浴びていました。胸を躍らせながら封を切りました。
中には便箋が一枚。「アップルは今、デザインコンサルタントと、パッケージシステムの改良を担当するディレクターを求めている。アメリカ人、イタリア人、日本人の計10人が候補でミスター・マツイ、あなたもその1人だ。近く日本に行く。一度、会ってほしい…」。確かそんな内容でした。
写真/アップルのコンピュータ1号機。クパティーノの本社で松井さん撮影。
担当は、デザインセクションスタッフのロバート(ロブ)。こちらから返事を送ると、すぐまた手紙が来、数週間後のある朝、内平野町のボクの事務所に、彼ともう1人のアメリカ人、東京の同社の出先の日系米国人スタッフがやって来ました。
早い話、「面接」ですが、アメリカの二人はいずれもデザイナー。ご同業です。ネクタイなんてしてません。ただ、ラフな語り口の中にも、ボクを評価をしてくれてることを感じました。そのころ、国際的に知られるスイスのデザイン年鑑にボクの作品が掲載されていて、彼らは見てくれてたんですね。ボクは、これまでの仕事を机上に並べ、英語で懸命にプレゼンテーションしました。が、相手もさるもの、その時はポーカーフェースで「感触」が全然つかめない。
気がつくと、もう昼です。天満橋にあるOMM(大阪マーチャンダイズ・マートビル)最上階のレストランで食事をご馳走しました。今は変わりましたが、当時ここにあった店は巨大な円盤の上に載っていて、回る仕掛け。居ながらにして街がパノラマ展望できる。大阪城や通天閣を指差しながら会話は弾み、「2週間以内に採否の返事を正式にするヨ」というロブの言葉でお開きになりました。
で、事務所に戻ったんですが、その日の夕方、電話がかかってきた。受話器を取ると、「Congratulations!(おめでとう)」です。「是非お願いしたい。近々、本社まで来てくれ」ということになりました。日本企業なら、持ち帰って会議して、上司のハンコをもらってから、ということだったでしょうが、そこは実利的なアメリカ流、しかも新進気鋭企業。意思決定が素早かった。
ボクは、デザインというのは常に「昨日へのアンチテーゼ」だと思っているんです。今までの常識の「逆」を発想することで、だれも見たことの無いデザインが生まれる。例えば、手紙は通常、平たいもの、ですよね。封書を開いても、たいてい2次元の世界です。でも敢えて、開くと風船が飛び出てくるような招待状を作ってみる。新鮮な驚きが、その企業の斬新なブランドイメージづくりに貢献する。ほかに無いもの、だれも作っていないもの。それを模索してきた自分の腕がアメリカの一流に認めてもらえて、素直に嬉しかった。
渡航の航空券を手渡され、カリフォルニア州北部、クパティーノにある本社に行くことになりました。IC関連の企業・工場が多数立地するシリコンバレーです。サンフランシスコの空港から出迎えの車で1時間半。クパティーノの町中、ガラス張りのビルが何棟も連なっている。道端には、リンゴに虹のような7色をあしらったマーク。そこが世界でヒットする新型コンピュータ「マッキントッシュ」を製造している、巨大企業の本拠でした。
当時、アップル社の製品のパッケージはパソコン本体にせよ、ソフトにせよ、複数のデザイナーの手になる意匠が混在していた。草創期の飛躍を経験し、企業としてのアイデンティティを確認する時期を迎えていたんじゃないでしょうか。高度な精密技術と簡便性。信頼性。そして他のメーカーとは異なる高級感。それらを、統一したブランドイメージとして打ち出したい、デザインの力によってより明確にしたいという願いが、関係者の話から感じられました。
一夜明け、翌日は工場見学。ICやLSIを搭載した基盤をパソコンに組み上げていく一連の作業と、出荷の様子を半日かけて見ました。そのあと更に、サンフランシスコの町中のPCショップに案内され、商品が店頭でどう見えるかも、視察しました。
その後、いよいよオフィスで業務契約です。提示額は為替レートの関係もあり、日本での平均的なクライアントの10倍にもなった。いま、野球選手が大リーグに進出し、高収入が話題になりますが、あの時代、ボクが経験した「アメリカンドリーム」です。
この滞在で印象に残ったことの一つに「寿司」があります。夜、ロブが同僚のデザイナーと案内してくれたのは、回転寿司でした。大きな円型カウンターの机に、川のような溝が掘られている。そこへ、屋形船に載った寿司が次々に流れて来るんです。天満橋の回転レストランへの、彼らなりのお返しだったのかなぁ。
4泊ほどして帰国し、一月後にはロブたちが来阪。その後、またボクが出掛けたり。半年強、往復を重ね、無数の商品のパッケージを開発していくんです。ビジュアル的に洗練されていることはもちろんですけど、ともかく多様な人種が暮らす国。市場を開拓する上で、マッキントッシュの特質がだれにでも直接伝わることが求められた。こうして出来上がったパッケージはその後、社長の交代などを通じ、徐々に変化してきました。でも今も「KEIZO」の馨りは残っているように思います。
お互い、ファーストネームで呼び合うフランクな雰囲気の協働は本当に楽しかった。自信を深めることも出来た。何より、ニューヨークに事務所を開く伏線となりました。
(続く)