ヴェンツェル・フックス インタビュー

掲載日:2008年7月11日

「世界最高のオーケストラ」として知られるドイツのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。ニキシュ、フルトヴェングラー、カラヤン、アバド、そしてラトルといった巨匠指揮者の下、洗練された演奏で楽壇に君臨してきたが、サウンドを実際形作っているのは、一人ひとりのメンバーに他ならない。とりわけ管楽器奏者は「ソリスト」として、その「色」を大きく左右する。7月28日夜、ザ・フェニックスホールに来演する首席クラリネット奏者のヴェンツェル・フックス氏も、そんな「顔」の一人。世界を飛び回るフックス氏にメールで質問を投げ掛けたところ、「超特急」で返事が来た。

(ザ・フェニックスホール 谷本  裕)

 

名門支える「しなやかさ」
ザ・フェニックスホール(以下PH) ベルリンフィルのサウンドの特徴を教えてください。

 

ヴェンツェル・フックス(以下WF) ベルリンフィルの特徴はもちろん、そのサウンドそのものにあります。それは極めて力強く、技術的には世界の最高水準にあります。このオーケストラには、一人の独立した音楽家、あるいは文字通りの「ソリスト」が、団員として多数、在籍しています。先ほど述べた「高い水準」というものは実は、こうした団員たちが世界中でソリストとして、あるいは室内楽のメンバーとして演奏する中で培(つちか)われてきたものです。こうした、オーケストラ以外での活動が、このオーケストラの機能に大きな「フレキシビリティ(弾力性)」を与えているのです。
PH ベルリンフィルには、オーケストラ所有の楽器が多数あるそうですね。

 

WF その通りです。私もベルリンフィル所有の楽器を一揃い借りて使っています。でも、もちろん自分の楽器も持っています。オーケストラが楽器を持っていることは、ベルリンフィルのサウンドの性格を決める上では、そんなに関係はないんじゃないかな。私は、サウンドの「色」や、演奏のあり方の違いというものは、楽器そのものにではなくて、音楽家一人ひとりの頭の中にあると思っています。ちなみに、私が普段使っているのは、ヴルリッツァー製の楽器。これはドイツ式です。それと、日本のヤマハの楽器です。
PH 今回のリサイタルの選曲は興味深いですね。ウィーンで学び、キャリアを築き、さらにベルリンに移って活動を展開されているフックスさんは一見、純ドイツ=オーストリア系の演奏家にも思えてしまうのですが、プログラムにはドイツとフランスの作品がバランスよく並んでいます。

 

WF 今の時代は、あらゆる種類の音楽を手掛けることが非常に重要です。もちろん、ドイツ=オーストリア系の作品を演奏する時と、フランスのそれを演奏する時とでは、演奏法をさまざまに変化させなくてはなりません。ここでも重要なことの一つは「フレキシビリティ」。今回のリサイタルではどの作品を演奏する時も同じリード(植物のアシの茎を、薄く切り乾燥させたもの。楽器の吹き口に取り付けて鳴らす発音体)を用います。
PH プログラムに並んでいるウェーバー、シューマン、ブラームスといったドイツ・ロマン派の作品に対する、あなたの「愛」について語ってください。

 

WF よくご存知なんじゃないですか? ブラームスやモーツァルト、シューマン、ウェーバーといった作曲家がクラリネットのために書いた作品を聴いてみてください。こうした作品は、クラリネットをまるで人間の声のように響かせます。私自身、クラリネットはとても人の声に近いと感じていますが、これらはまさに完璧な作品です。ブラームスがクラリネットのために作った三重奏曲と五重奏曲、そして2つのクラリネット・ソナタはすべて、名手リヒャルト・ミュールフェルトのために書き下ろされています。ミュールフェルトは、ブラームスがドイツのマイニンゲンを訪問した時、そこの宮廷管弦楽団のメンバーを務めていました。最晩年のブラームスに、クラリネットがいかに美しく響き得るかを、彼は示してくれたんですね。ブラームスの先輩格のウェーバーも同じ。彼がクラリネットのための協奏曲や五重奏曲を作ったのも、ミュンヘンの宮廷楽団にいたハインリヒ・ヨーゼフ・ベールマンの演奏を聴いて、触発を受けたのがきっかけでした。さらに時代をさかのぼると、モーツァルトが協奏曲やクラリネット五重奏曲を書いています。これもやはりウィーンの名手アントン・シュタットラーが創作意欲を掻き立てたからでした。お分かりでしょう? この楽器が湛える大きな可能性こそ、作曲家がこうした名作を生む霊感の源でしたし、今もそうなのです。
PH 一枚のリードが発するクラリネットの音というものは、私たち日本、あるいはアジアには元々は無かった種類のものかもしれません。これはオーボエやフルートとは異なるところです。演奏をされていて、日本やアジアの聴衆の反応が、ヨーロッパと異なる点は何かありますか?

 

WF 確かに歴史的に見るとクラリネットは、アジアの古い音楽的な伝統からは珍しいものだったかもしれないですね。でもいまは、コスモポリタン(世界市民)の時代。私たちと皆さんとの間には、もはや「壁」なんてありませんよね。私が特に、日本に親しみを感じているのは、私自身の家族関係が大きく作用していると思います。というのも、私は日本人女性(金沢出身のフルーティスト)と結婚して20年になるからです!
取材協力 : プロ アルテ ムジケ