福田 進一さん インタビュー
ギター1本 境界越えて
掲載日:2009年5月16日
(聴き手:ザ・フェニックスホール 谷本 裕)
――コンサートは、ピアノの山口研生さんとのジョイント。ソロやデュオで舞台を分けていただきます。
山口さんとご一緒するのは初めて。楽しみにしています。ピアニストとはこれまで小林道夫さんや野平一郎さんらと共演してきました。小林先生とはCD録音もしています。今のギターの原型とされる古楽器(19世紀ギター)を初めて使い、フォルテピアノやチェンバロと組み合わせたのです。近い時代の古楽器同士で音量のバランスが良く、音色も似通っていて、録音で聴き分けるのも難しいくらい。緻密な合奏が出来ました。今回は現代の黒いピアノと、ふだん僕が使っている現代ギターの組み合わせ。どんな舞台をつくるか、ご期待下さい。
――福田さんはプログラムをどんな思いで編まれたのですか。
ロドリーゴ(※1)は、「アランフェス協奏曲」で有名なスペインの作曲家。今年は没後10年の節目です。演奏する「祈りと踊り」は、僕がパリのコンクールで優勝した時に弾いた思い出の曲。実はこの曲自体、1961年、当時60歳のロドリーゴが、同じコンクールの作曲部門に応募、優勝を獲得した曰(いわ)く付きの作品。長く忘れられていたのを日本人の僕が取り上げたものだから随分、話題になりました。プログラム後半のヴィラ=ロボス(※2)はブラジルの作曲家。こちらも没後50年の節目です。彼の音楽に触れる度に感じるのは、「男らしさ」ですね。
――どんな意味ですか。
余計なことを言わない。管弦楽を除く器楽曲、中でもギター作品は、一つの曲を一つの主題で創り上げています。器用な作曲家の中には、小品でも曲想を次々に変える人もいる。僕のもとにはアメリカやドイツ、フランスの若い作曲家からしばしば新作が届きます。でも、その大半はコンセプトが定まっていない。半世紀前のヴィラ=ロボスの創作に、今では失われつつある潔さやダンディズムを感じ、尊敬してもいます。
――物事にシロクロをはっきり付ける、という部分が、福田さん自身にあるのではないでしょうか。
確かに。だから共鳴するのかもしれません。ヴィラ=ロボス以外にもピアソラ(※3)やジョビン(※4)ら南米の作曲家の作品には、強い個性が感じられる人が多い。スペインやポルトガル、イタリアからの移民が集まり、同じ大地で交流し、せめぎ合ったからこそ、彼らの音楽には強烈な存在感が備わっているんじゃないか。こうした特質は時代や場所を問わず、偉大な作曲家に必ず見られるものです。僕は若い時期から様々なジャンルのギター曲の作曲家に惹かれてきました。それでも主張が明確なバッハやベートーヴェンといったクラシックの作曲家は、やはり別格。プログラムには大バッハの「シャコンヌ」も入れています。
――そういえばヴィラ=ロボスには、「バキアーナス・ブラジレイラス(ブラジル風バッハ)」という名作もありますね。ギター作品ではないけれど、バッハに惹かれていた部分があったんでしょう。
ヴィラ=ロボスに関して更に素晴らしいと思うのは、ギターの特性を知り尽くしていた点。複数の音でハーモニーを作った場合、実際には倍音がどんな響きを醸すか、緻密に計算している。彼と同水準で創作したのは恐らく、武満(徹)さんだけでしょう。野太さと繊細さと。作風は一見、異なっていますが、深い部分で通じるものがあります。
――昨年、発表されたCD「翼」は、1997年のCD「イン・メモリアム」に次ぐ武満さんへのオマージュでした。武満作品の演奏は、福田さんの「ライフワーク」ですね。
僕の恩人です。青春時代、大阪万博の鉄鋼館(※5)で武満さんの仕事に触れたり、梅田の楽譜屋さんでお顔を見かけたり。憧れの作曲家でした。留学中にお会いしたこともあったんですが、本格的に交流が始まったのは25年前。1984年、フルートの工藤重典さん(※6)と東京で開いたデュオ公演が契機です。武満さんがアルトフルートとギターのために書いた作品「海へ」をプログラムに入れたんです。本番の2週間ほど前のある夜、自宅の電話が鳴った。受話器を取ると細い声で「武満です」っていう。相方の工藤さんは大変な冗談好きでしたから、最初は「成り済まし電話で、からかってるに違いない」と思ったんです。でも、正真正銘のご本人で(笑)。市販の楽譜に誤記があり、修正のアドバイスでした。当日もリハーサルから来てくださり、緊張しましたが、演奏をとても喜んでいただいた。翌年、2枚目のCDを出した時、ライナーノートの原稿を引き受けてもらったり、雑誌で「福田は、ギターに新しい風を吹き込む新人」と持ち上げていただいたり。帰国したものの、東京の楽壇にはあまり縁がなく、悩んでいた時期。背中を押して下さったお陰で道が開けていきました。
――武満さんは、ギター音楽を数多く書かれていますね。
彼に最も身近な楽器はピアノでなく、ギターでした。生前に愛用されていた楽器を、弾かせてもらったことがあります。弾き込んでおられたことが、直に伝わってきました。琵琶でも尺八でも、楽器を研究し尽くして作曲されましたが、ギターへの愛着はとりわけ強く、楽譜に書き付けた音は一つ残らず、頭の中で完璧に鳴り響いていたことでしょう。また技術的にギターは何が出来、また出来ないかも細かく知っておられた。ある時、武満さんの新作を弾くギタリストが彼に、「この箇所は演奏不能です」と伝えてきた。「君はどう思う?」と意見を求められたことがあります。送られてきた譜面には、ギター史上、初めての、実に独創的な音の組み合わせ、コスミックな響きが記されていました。僕は答えました、「もちろん、可能です」と。作曲家としてのファンタジーと、演奏家の立場で可否を判断できるセンス。それらを兼ね備えていたからこそ、斬新な作品が次々に生まれたのです。
――実際、協奏曲から独奏曲、室内楽といった純音楽作品だけでなく、ビートルズの歌の編曲や映画音楽など、ポピュラーな作品も多いですね。
本当に素晴らしい曲ばかりですよネ。武満さんの作品にはいつも「人生のテーマ」みたいな要素が最初から有り、ヴィラ=ロボス同様、決してブレないんです。武満さんはクールで、前衛的な音楽もたくさん書きました。でも同時に、すごくロマンチックな音楽も求め続けていました。そんな音楽の「力」を彼は愛し、信じてもいました。彼にとってギターは、いろんな側面を持つ自分の音楽を、最も自由に表現できるメディアだったんです。
――彼の音楽を、海外のギタリストはどう見ているんでしょうか。
この数年、ドイツ、フランス、アメリカなどでレッスンを重ねています。受講の題材に、武満作品を選ぶ若者が増えています。彼の音楽の核心には、異文化の人間にも通じる「共通の分母」があるんでしょうね。ただ、武満さんの目指した美的な概念や具体的な演奏技術、おのおのの曲に相応しい音色は、西洋の人々にはすぐには分かりづらい部分もある。パリの学生の中には、基本的な事柄をキチンと理解しないまま、「我流」で通そうとする者も少なくありません。長々話していると腹が立ってくる。ラチがあかないので「コムサ(こうしろ)!」と弾いて見せ、押し切ることもあります。でも僕は、武満演奏の「伝統」を体現している積もりは無いんです。ウィンナワルツはもはや、ウィーンの人しか演奏できないということはありません。同様に、いつかは彼らの、個性的な武満演奏が生まれる日がやってくるでしょう。実はギター音楽で「本場」と目されているスペインの若者が最近、国外に出て来ようとしない。ドイツやリヒテンシュタインで行われる国際的な講習会だと、日本の参加者の方が多いくらい。伝統の上に、あぐらをかいては、いけません。交流を重ね、新しいアプローチを常に探り続けなければ、音楽は衰退します。ギターは元来、クラシックもジャズもボサノヴァも演奏できるボーダーレスな楽器。クラシックのヴァイオリニストやピアニストは赤道を越えることはあまりないですが、僕はこれ一本で世界中、どこにでも出掛けてきた。つまり、武満さんの言葉を借りて言えば「音楽のフリーパスポート」なのですから、交流やせめぎ合いはギタリストの「条件」です。
――福田さんが音楽監督の山形のギター音楽祭は、アジアの名手が集ってくる。「他流試合」が楽しみです。
「庄内国際ギターフェスティバル in 響」が生まれたのは、僕の先生オスカー・ギリア(※7)が来日したのがきっかけでした。初回は2005年。町の人々が支えてくれ、昨2008年、2度目を開くことが出来ました。ウルグアイの名手エドゥアルド・フェルナンデスのほか、上海やソウルの先生、日本の実力派に集まってもらい、コンサートや講習会でアジアを繋ごうとしています。日本のギター音楽は長くアジアの中で抜きん出た存在でした。近年は中国や韓国からも優れた才能が出てきています。現在は、欧米に移るケースも多いのですが、近い将来は地元に根付くでしょう。音楽の「勢力地図」が変わる可能性があります。アジアには既にシンガポールやクアラルンプール(マレーシア)、バンコク(タイ)やカトマンズ(ネパール)に国際的なギター音楽祭があり、将来的には連携が必要でしょうが、当面は日・韓・中、これら環日本海3国の取り組みを続けたいと考えています。もちろん、地元の関西でももっと活動を広げたいですね。
2009年4月6日 協力:ミリオンコンサート協会
■プログラム バッハ:シャコンヌ ロドリーゴ:祈りと踊り(ファリャ讃歌)=以上、ギター独奏 アルベニス:イベリア組曲からマラガ、ラヴァピエス =ピアノ独奏 ヴィラ=ロボス:3つの前奏曲、ショーロス第1番 =ギター独奏 |
※1 ホアキン・ロドリーゴ(1902-1999) 作曲家。幼少期に失明したが音楽的才能に恵まれ、ヴァレンシア音楽院で学んだあと、パリ移住。デュカやエンマニュエルに師事。新古典主義の影響を受けながら、スペインの伝統を踏まえた創作を重ねた。ギター曲からスペインのオペレッタであるサルスエラまで、多彩な作品を残している。
※2 エイトル・ヴィラ=ロボス(1887-1959) ブラジルのリオデジャネイロ生まれ。10代終わりから国内を放浪、民俗音楽やポピュラー音楽に親しむ。作曲家グループ「フランス六人組」の一人ダリウス・ミヨーに見いだされ、渡仏。パリで活躍した後、母国で創作や教育に携わった。ブラジルの音楽と西洋の芸術音楽との融合を探った。
※3 アストル・ピアソラ(1921-1992) アルゼンチン出身の作曲家・バンドネオン奏者。幼少期にニューヨークに移住、少年期はジャズに親しむ。アルゼンチンに戻り、タンゴの魅力を発見。演奏の傍らヒナステラに作曲を師事。パリ留学を経てニューヨークで新しいタンゴを発表。帰国後はジャズやクラシックの要素を持つタンゴを目指した。
※4 アントニオ・カルロス・ジョビン(1927-1994) ブラジルの作・編曲家・ピアニスト。14歳からピアノを学び、ヴィラ=ロボスに影響を受ける。ナイトクラブで音楽の仕事に携わり、音楽劇「聖母懐胎祭のオルフェ」の音楽を担当。これが後、フランス映画「黒いオルフェ」となり注目を浴びる。「イパネマの娘」をはじめとするボサノヴァの世界を展開。
※5 鉄鋼館 日本鉄鋼連盟出展のパビリオン。高さ17メートル、一辺40メートルのホールがある。演出プロデューサー武満徹の意図に基づき、NHK技術研究所の藤田尚が設計。ホールの天井や床下や壁に1008個のスピーカーが埋め込まれ、ホール自体が一つの楽器だった。万博期間は雅楽や声明、現代音楽祭が開催された。
※6 工藤重典(1954-) 札幌出身。桐朋学園大学を経てパリ音楽院に進み、ランパルに師事。1978年パリ、80年ランパルと立て続けに国際フルートコンクールを制覇。一時、リール国立交響楽団に在籍したが、独立。世界各地でソリストとして活躍している。87年からサイトウ・キネン・オーケストラや水戸室内管弦楽団の奏者。
※7 オスカー・ギリア(1939-) イタリア出身。ローマのサンタ・チェチーリア、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステラの両音楽院で学んだ後、シエナのキジアーナ音楽院でアンドレアス・セゴヴィアに師事。63年パリ国際ギターコンクール優勝。優れた教育者で、福田のほかエリオット・フィスク、ステファノ・グロンドーナ、シャロン・イスビンといった名手を育てている。
■公演情報
「福田進一(ギター)山口研生(ピアノ)ジョイント・コンサート」は11月13日(金)午後2時開演。ベルリン在住、「モンテカルロ国際ピアノコンクール」日本人初の優勝者・山口が共演。入場料3,500円(指定席)。学生席1,000円(限定数。ザ・フェニックスホールチケットセンターのみお取り扱い)。同センター=電話06・6363・7999 土・日・祝日を除く平日午前10時-午後5時。