フレンチスクールの魅力

マチュー・デュフォー フルート・リサイタルに寄せて 安藤 史子

掲載日:2009年11月10日

  フランスは、歴史に名を残すフルートの名手を幾人も出しています。それは19世紀に活躍したドイツのテオバルト・ベーム(1794-1881)が改良した新しいシステムのフルートを、いち早く取り入れたことから始まったフレンチスクールの功績とも言えるでしょう。

ベーム式フルート(1847年特許)は、現在使われているフルートとほぼ同じ構造で、従来の楽器より簡単な運指と大きな響きを得ることが出来ました。しかし、当時のドイツはオーケストラ音楽が中心で、他の木管楽器と音色がブレンドしないという評価からすぐには使われず、彼はこの楽器をパリに持ち込みます。
抵抗に遭いながらもここでは徐々に受け入れられ、1860年にはパリ国立音楽院の公式楽器となりました。この音楽院は1795年、「音楽は社会道徳を向上させる」という理念で設立され、優れた教授の下、優秀な生徒を世に送り出していました。そこでの採用は、当時の「世界公認」を意味しました。
採用を決めたのは、フルート科教授ドリュ(1860-1868の教授)。その後アルテス(1868-1893)によって新しいシステムのためのメソード(教則本)が書かれました。このテキストは今日も用いられています。そして19世紀後半の“ベル・エポック”の時代、フランスのフルートの演奏水準はヨーロッパ最高峰に達します。パリ国立音楽院の卒業試験課題曲として印象派作曲家の作品が作られ、名曲が多く残されました。
ドリュのクラスを卒業し、この頃活躍したタファネルの功績も大きく、彼の教育は技巧的な演奏だけでなく、音楽の芸術性や精神を尊重する、近代的な「美」を追求するものでした。独自の教育システムは「エコール・フランセーズ(フレンチスクール)」と言われるようになり、ゴーベール、モイーズ、クリュネルなど優秀な生徒を育てます。
タファネルの後任はゴーベールが務め、その後、モイーズへと受け継がれます。しかしモイーズは1941年、ナチスドイツの侵略に抵抗しパリを離れ、不在をクリュネルに任せます。1945年、終戦でパリに戻ってきた時、クリュネルの席はそのまま残ります。歴代1クラスしかなかったフルート科に2人の教授が並び立ち、2つの流派へ枝分かれする事になりました。モイーズのクラスにはニコレ、ジョネ、グラーフがおり、一方、クリュネルのクラスにはランパル、ラルデ、ラリュー、デボスト、ゴールウェイ(モイーズにも師事)らが学びました。
今回、登場するマチュー・デュフォーはパリに生まれ、幼少より才能を光らせ、楽々パリ国立音楽院に入学出来たはずですが、あえてリヨン音楽院に進み、教鞭を執っていた黄金期のマクサンス・ラリューの下で研鑽を積みました。デュフォーの感性や美意識を考えると、ラリューを選んだのは自然に思われます。
デュフォーは1997年の神戸国際フルートコンクールで入賞して以来、若い世代からも圧倒的支持を得ています。2001年には神戸フルートコンベンションのメインゲストで来日の予定でしたが、直前にアメリカで交通事故に巻き込まれて来られなくなり、その時国際コンクールの審査で来日していた師匠ラリューが急遽、代役を務めるハプニングもありました。素晴らしい演奏で聴衆を魅了した事は記憶に新しいです。
ラリューが、フレンチスクールについて話してくれた事があります。「フランスのメソードは多くの名手を育てたけれど、フランスの伝統は近代のフレンチスクールだけではない。もっと古いバロック期、宮廷音楽家のオトテール族をはじめ、長い西洋音楽の歴史を持っている。私たちはその民族の子孫であり、誇りを持っている」と。
そんな師からフランスの伝統を受け継いだマチュー。彼の演奏は、息を使って演奏していることを忘れさせてしまうほど自然で、気品に満ち溢れ、透明感のある美しい音色は人々を魅了します。現在シカゴ交響楽団を拠点に活躍している彼の演奏を聴き逃すことは出来ません。

 


 

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あんどう・ふみこ

神戸女学院大学音楽学部、パリ・エコール・ノルマル音楽院卒業。クリスチャン・ラルデ氏に師事。現在、神戸女学院大学、京都市立芸術大学、中国短期大学講師。いずみシンフォニエッタ大阪のメンバー。

■公演情報

「マチュー・デュフォー フルート・リサイタル」は、2009年12月3日(木)19:00開演。予定プログラムは、メシアン:黒つぐみ、マルタン:フルートとピアノのためのバラード、プーランク:フルート・ソナタほか。入場料4,000円(指定席)、学生席1,000円(限定数。ザ・フェニックスホールチケットセンターのみのお取り扱い)。チケットのお求め、お問い合わせは同センター(電話06-6363-7999 土・日・祝を除く平日10:00~17:00)へ。