スクリデ姉妹 バイバさん&ラウマさん インタビュー

ラトヴィア出身の大器2人 大阪に初登場

掲載日:2009年11月10日


北欧の内海・バルト海に面するラトヴィア。人口約230万人、国土面積は日本の6分の1。旧ソ連時代はエストニア、リトアニアといった他のバルト国家同様、ソ連の辺境の一共和国に過ぎなかったが(※1)、ソ連自体を崩壊に導く形で1990年に独立して以来、クラシック音楽の世界で注目を集めてきた。指揮のマリス・ヤンソンス、ヴァイオリンのギドン・クレーメル、チェロのミッシャ・マイスキーといったラトヴィア出身の音楽家が国際的に活躍するようになり、豊かな音楽伝統の存在を印象づけてきたからだ。その国が生んだ新たな「逸材」が1月、ザ・フェニックスホールに来演するバイバ(ヴァイオリン)、ラウマ(ピアノ)のスクリデ姉妹。首都リガの音楽家一家に生まれ、母国の音楽学校を経てドイツに移住、才能を開花させた。クレーメルらに次ぐ新生ラトヴィア「第2世代」の音楽家だ。日本の文化や日本食が大好きという2人に、歩みや演奏活動などについて語ってもらった。
                                                                                      (構成:ザ・フェニックスホール 谷本 裕)

以心伝心 通う「歌心」


 ―お2人のお父様は、合唱指揮者だったんですね。幼いころ、どんなご家庭でしたか。

バイバ・スクリデ(以下B) 母もピアニストですし、祖母は子どもに音楽を教えていましたから、本当に幼い頃、2、3歳から歌を教わりました。いつも歌が溢れていました。私たちは今、ヴァイオリンやピアノを演奏していますが、最初に始めた音楽は歌だったんです。
ラウマ・スクリデ(以下 L) 私も長時間、合唱団で過ごしました。長姉のリンダも交え歌ってばかりいましたね。

―ラトヴィアの人々にとって、「歌」ってどんなものですか。

L とても大切な営みです。国の歴史と関係があります。強国に脅かされた時代、歌こそが自分たちの愛国精神を表現できる、唯一の道でしたから。
B 恐れや不幸に見舞われた時、人々は歌うことで苦境を乗り越えてきました。幸せな時も、喜びを歌で表してきたのです。国が独立を取り戻そうと動いていたころ、私も多くの人々と一緒に街に出て「人間の鎖」(※2)に連なったことがあります。特別な、わくわくする時代でした。緊張もしましたが、国全体に希望がみなぎっているのを強く感じたものです。
L 私もバルト三国の人々が手を繋ぎ、歌と共に民族自決の気持ちを示した運動は鮮明に残っています。

才能育てる環境充実

―お2人が最初に受けた音楽教育について教えて下さい。                                                                                            

L 私たちは、リガの特別な学校(エミール・ダルツィンス音楽学校)で教育を受けました。音楽が特に厳しく教育されましたが、他の科目も勉強しました。ピアノやヴァイオリンのレッスンだけでなく、音楽史や和声法といった科目も学べました。半年に一度は試験もあり、結構厳しかったのですが、私はラトヴィアに生まれて幸運だったと思っています。ラトヴィアには今も、子ども向けの音楽学校が100ほどもあるんですよ。
B 優れた先生が多く、しかも政府が助成していて学費は殆ど無料。ですから、子どもは自分に本当の才能があるかどうか、専門の道に行けるかどうか、きちんと確認できます。                                                                                 

―そんな仕組みがあり、音楽家の層が厚くなっていったのでしょうね。コンサートは身近でしたか。

B はい。最初に出掛けたのは、ヴィヴァルディの「四季」。音楽が自然そのもののように響き、すごく感動しました。またクレーメルのコンサートは一大イベントで、何度も聴きに出かけました。彼がヴァイオリンで何を弾いたか忘れてしまいましたが、ともかくそれは特別な体験でした。
L 私は、クラウディオ・アッバードが指揮した舞台を今も鮮やかに覚えています。ソ連が崩壊した後、こうした西側の国際的なアーティストが数多く来るようになり、音楽をめぐる状況はとても慌しくなりました。
B 音楽情報、録音物などもどんどん外から入ってきて、音楽界は活気づいています。

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―お2人ともドイツで学び、いま活動拠点にしています。

B 新しい展望やキャリアに繋がるきっかけが欲しかったんです。ムンテアヌ教授を知ったことが大きかったですね。彼が教えているのがドイツでした。
L 私もバンフィールド教授との出会いが契機。師のいるハンブルクで師事することにしました。

―ドイツにはすぐ馴染めましたか。

L 何の苦労もありませんでしたよ。歴史的にもラトヴィアは古くからドイツ文化の影響を受けていて、気質の上でも通じるところが多い。音楽教育面で、ドイツではすべての教師が違った教え方をするのが新鮮でした。                                                                
B ヨーロッパで思い出深いのは、ミュンヘンのバイエルン放送響と共演したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ですね。あのオーケストラは、特別な個性を持っています。アメリカでも、良い経験を積んでいますが、フィラデルフィア管弦楽団との舞台は特別でした。それとデトロイト響やシンシナティ響も。
L 昨年夏、チャイコフスキーのピアノ協奏曲を、東京のサントリーホールで演奏した時は素晴らしかった。ロンドンのウィグモアホールやチューリッヒのトーンハレが私のお気に入りですが、ホーエネムスのシューベルティアーデ(※3)みたいな、小ぢんまりした音楽祭も素晴らしい体験をもたらしてくれます。


室内楽で「霊感」得る

―今公演は、お2人のデュオリサイタルですが、普段はソロが中心。ソロか室内楽か、どちらがお好き?

B どちらも大好きです。それぞれが人生を違った形で満たしてくれます。例えば、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を弾くには、彼の室内楽作品もいくつか演奏した経験がなければならないと思います。協奏曲に、より深くアプローチできると思うからです。室内楽を通して音楽を深く知り、合奏相手と内面的に繋がることは私にはある種の挑戦です。
L ソリストは、舞台の上で「独立」して自分の思うようにできます。一方、室内楽の楽しみはコラボレーション。だれかと一緒になって音楽を奏でるのは、いつでも楽しいものです。

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―「ソリスト」のイメージが強かったのですが、随分室内楽にも積極的なんですね。

B その営みの中で「霊感」を得ることができますから。
L 今、住んでいるベルリンの友達とは仕事抜き、純粋な楽しみとしてピアノ四重奏曲を合わせたりするんですが、すぐ夢中になってしまって。気がつくと夜中の1時なんてこともあるんですよ。ソル・ガベッタ(※4)を交えたトリオを楽しむこともありますが、大抵はバイバと一緒です。

―合奏する際、姉妹ということで特別な利点はありますか。

BL お互い、完全に信頼し合っていますし、弾く前から相手がどう演奏するかは大体、分かります。
言葉は交わさなくても、演奏の行方はピンとくるんです。子どものころからずっと一緒に音楽に携わっているっていうのは大きいし、特別な充実感があります。

                                                                 
心開いて感受性培う


―今回のプログラムについて話してください。

B シンプルに、自分たちが好きな作品を組んでいます。私たちはいつも、聴衆の方々が「音楽って何て素晴らしいんだろう」って思っていただけるよう、変化に富むプログラム(下記参照)を心掛けています。
L 幾つかのプログラム案のうちでも、今回のは特にお気に入りの一つです。
 音楽的に成長する上で随分、助けられました。ラトヴィアにいたころは、世界的にとても有名な演奏家さえ全く知らないこともありました。そうしたギャップを埋めるため、勉強したり、聴いたりしなくてはならないことがすごく多かったんです。その点、ドイツは恵まれた環境でした。

―留学の前後で母国は変わりましたか。

B それはとても。独立からほぼ20年経ち、社会は全体として活気付いているように思いますが、国民はまだ経済的な悩みを抱えています。

―お2人とも欧米で大活躍中ですが、ここ数年で忘れがたい舞台があれば教えて下さい。

―公演の準備は、普段どのようにするのですか。

L 同じプログラムでも、演奏は生き物。毎回、違います。いつでも、どこでも通用する「レシピ」はないのです。舞台に備えてテクニックを磨くのはもちろんですが、作曲家や彼が生きた時代背景、同時代の他分野の芸術について知るため、本を読んだりするのも大事。その作品について深く考えることが欠かせません。
B 他の音楽家と会う、合奏する、話す、そして自分と異なる考え方に耳を傾ける-。いつも心が開いていることが大切ですね。多種多様な人生を見つめることで、いろんなことが音楽づくりに生かせる気がしています。人として精一杯生きて、いろんな体験をして感受性を培っていきたいですね。

取材協力: コンサートイマジン

 
■プログラム

       ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第3番変ホ長調 作品12-3
       バルトーク:無伴奏ヴァイオリンソナタ Sz117
       ドビュッシー:版画(ピアノソロ)
       プロコフィエフ:ヴァイオリンソナタ第1番ヘ短調 作品80

 

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※1 バルト国家 ヨーロッパ北部、バルト海東南部沿岸に位置するエストニア、ラトヴィア、リトアニアの3つの国。地政学的に古くから東のロシアと西のドイツやポーランドに挟まれ、戦争や大国の支配に苦しみ続けてきた。近世以降はロシア帝国の支配を受けていたが、ロシア革命後は3国ともいったん独立。しかし第二次大戦中、ヒトラーのナチスドイツと、スターリン率いる旧ソヴィエト連邦が結んだ「独ソ不可侵条約」(1939年)の秘密議定書により、3国は旧ソ連に併合された。1980年代の中盤からゴルバチョフ書記長が進めたペレストロイカ(改革)路線により、旧ソ連の共産党一党独裁体制は徐々に弱まり、連邦内の民主化・民族自決を認める動きが強まる。こうした中、3国は1991年9月に独立を回復、旧ソ連の崩壊に大きな影響を与えた。3国は2004年3月、北大西洋条約機構(NATO)に、また同年5月には欧州連合(EU)にそれぞれ加盟した。
※2 人間の鎖 1989年8月、バルト三国の人々が連携し行った独立運動。200万人以上の人々が600キロにわたり手を繋ぎ、旧ソ連の支配に対して抗議の声を上げた。別名「バルトの道」と呼ばれる。
※3 ホーエネムスのシューベルティアーデ オーストリア西部の小都市ホーエネムスなどで行われている、シューベルトをテーマとする音楽祭。1976年、バリトン歌手の故ヘルマン・プライが創設。歌曲や室内楽、ピアノリサイタルを軸とし、豊かな自然の中、演奏家と聴衆が親密な雰囲気を共有し、ゆったり音楽を味わう独特の気風を持つ。
※4 ソル・ガベッタ アルゼンチン生まれのチェリスト。ソフィア王妃音楽院、バーゼル音楽院、ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学で学び2004年のルツェルン音楽祭でゲルギエフ指揮ウィーン・フィルと共演して高い評価を得、国際的なキャリアを重ねている。

■プロフィール
バイバ・スクリデ Baiba Skride
1981年、ラトヴィアの首都リガの音楽家一家に生まれ、5歳からヴァイオリンを学ぶ。95年、14歳でドイツのロストクの音楽院に移り、ペトル・ムンテアヌ教授に師事。92年、11歳でオランダのハーグで行われたコンクールで優勝、95年クロスター・シェーンタール国際ヴァイオリンコンクール(ドイツ)、97年ブカレスト国際青年音楽コンクール(ルーマニア)、2000年ハノーファー国際コンクール(ドイツ)などで優勝。01年にはエリザベート王妃国際音楽コンクールで優勝した。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管、ミュンヘン・フィル、ドレスデン・フィル、バイエルン放送響、パリ管、ロンドン・フィル、フィルハーモニア管、チューリヒ・トーンハレ管、フィラデルフィア管、シンシナティ響、ヒューストン響、セントルイス管、デトロイト響、東響と、指揮者では.マゼール、フランク、P・ヤルヴィ、N・ヤルヴィ、ブロムシュテット、ビエロフラーヴェク、マリナーなどと共演。室内楽にも意欲的で、ロッケンハウス音楽祭やザルツブルク音楽祭などに参加。08年にはティエリー・フィッシャー指揮名古屋フィルとショスタコーヴィチの協奏曲第1番を演奏、スタンディングオベーションで迎えられた。クレーメル、ファンクーレン、R・カプソン(以上Vn)、ゲリンガス(Vc)、パユ(Fl)、カム(Cl)といった一流アーティストと共演している。ソニークラシカルから5枚のCDをリリース。日本音楽財団から貸与された1725年製ストラディヴァリウス「ウィルヘルミ」を使っている。

ラウマ・スクリデ Lauma Skride
1982年、ラトヴィアのリガの音楽家一家の3姉妹の三女に生まれる。5歳からピアノを始め、小学校卒業後、リガのエミール・ダルツィンス音楽学校に入学。その後ハンブルク国立音楽大学で研鑽を積んだ。11歳からスペインのマリア・カナルスをはじめとする欧米の国際コンクールに参加、優れた楽曲解釈で受賞を重ねた。2000年には南アフリカ共和国でのUNISA国際音楽コンクールで特別賞を受賞。ソリストとしてはペーター・シュライアー指揮ハンブルク響、オッコ・カム指揮メルモ響はじめブランデンブルク州立管、ハイデルベルク市立フィルといったオーケストラと共演。日本では既に京都市交響楽団、読売日響の公演でソリストを務めた。協奏曲のレパートリーは幅広く、モーツァルト、サン=サーンス、プロコフィエフ、ラフマニノフ、ショパン、リスト、シマノフスキやガーシュイン、バーバーといった古典から近現代までの幅広い作品を手掛けている。ソロ・デビュー・アルバムは、ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル作曲の「12カ月」。07年、ドイツを代表する音楽賞の一つ「Echo」の新人賞を受賞した。次姉であるヴァイオリニスト、バイバとのデュオ活動で定評がある。また長姉でヴィオラ奏者のリンダを加えたトリオでも、しばしば室内楽を演奏、アルゼンチンのチェロ奏者のソル・ガベッタとも舞台を重ねている。日本へは、06年に姉バイバの共演者として来日。翌07年はソリストとしてリサイタルツアーを行い、浜離宮朝日ホールでの公演はNHKテレビ「クラシック倶楽部」で放映された。

■公演情報
「バイバ(ヴァイオリン)&ラウマ(ピアノ) スクリデ姉妹デュオリサイタル」は、2010年1月24日(日)16:00開演。予定プログラムは、上記の通り。入場料6,000円(指定席)、学生席1,500円(限定数。ザ・フェニックスホールチケットセンターのみのお取り扱い)。チケットのお求め、お問い合わせは同センター(電話06-6363-7999 土・日・祝を除く平日10:00〜17:00)へ。東京公演は2010年1月23日(土)15:00開演(トッパンホール)。お問い合わせはコンサートイマジン(電話03-3235-3777)へ。