ブルーノ・カニーノを語る

掲載日:2010年2月13日

                                                                                      レコード・プロデューサー 井阪紘さん

 僕がカニーノに初めて出会ったのは1972年です。ランパルと並ぶイタリアのフルートの大家(故)ガッツェローニの伴奏者として、来日した折でした。当時、僕は日本ビクターのプロデューサー。ヴィヴァルディのフルートソナタ「忠実な羊飼」や、宮城道雄の「春の海」などの小品集を録音しました。ヴィヴァルディで彼はチェンバロを弾きましたが、その「才能」に驚嘆したのを覚えています。伴奏時、自分の演奏に使うエネルギーは30%足らず。後は、気配りです。ガッツェローニのテンポが微妙に変わるのに、ピッタリ付ける。時には引き締めもする。ガッツェローニは天才肌でね、音楽の「魔力」を引き出せる数少ない名手でした。カニーノは彼の霊感に触れ、成長していったんだと思います。
あの来日中、カニーノはイタリア大使館のホールで当時のイタリアの現代曲ばかり集めたリサイタルも開きました。ノーノやベリオ、ダッラピッコラといった作曲家の、複雑な楽譜に書かれた作品を、いとも簡単に弾いてのけた。緻密で明晰なんです。曲の分析力が、ずば抜けていました。あの頃の日本にはちょっと居ないピアニストでしたね。
タッチは概ね、男性的で思い切りが良くて。ただ、モーツァルトなどではそれが過ぎて、独特のエレガンスが失われることもある。僕が率直にアドバイスすると、耳を傾けてくれました。相性が良かったんでしょう、そのうち、イタリアでの録音にも呼ばれるようになり、仕事を重ねてきました。プライベートでもミラノの自宅に遊びに行くし、ウィーンで食べたり呑んだり。大切なアーティストであり、良い友だち。付き合いは40年以上になります。

僕の携わっている草津の音楽祭(草津夏期国際アカデミー&フェスティヴァル 若い演奏家の教育と講師陣らによるコンサートで構成)にも1990年代はじめから、1年おきに来てもらってます。推薦したのはフルートの巨匠オーレル・ニコレでした。「ブルーノを呼んでくれるなら、私も参加する」って言われたんです。それもそのはず、ヨーロッパでは、例えば指揮者のアバドがヴァイオリンのムローヴァにカニーノを紹介してバッハのソナタの録音に道を開くなど、トップクラスの音楽家の間で「心底から信頼できるピアニスト」として通っています。草津でもニコレのほか、ヴァイオリンのピエール・アモイヤル、サシュコ・ガヴリーロフ、ウェルナー・ヒンクら並み居る大家がブルーノを本当に頼りにしている。彼の「重さ」は本物です。
何せ短時間で難曲をマスターする能力が非常に高い。ブルーノは録音や本番の合間、独りでチェスを指していることが多い。あれで集中力を高めているんです。音楽祭では、さまざまな室内楽作品、それも普段のコンサートでは取り上げられないような難曲を多数演奏するので、あの才能が欠かせないんです。
教育者としても優れています。必ずしも才能に溢れたタイプでない生徒にも、長い時間をかけ丁寧に指導をしてくれる。演奏家によっては、こうした生徒を避けたがるケースもあるんですが、ブルーノは「いろんな人が、それぞれにとっての音楽を考え、学ぶという営みは、正に人生の歩みそのものなんだから、指導に差をつけるべきではない」と、理解してくれている。ともかく真面目で誠実です。

初対面のころと変わらないのは、洞察力ですね。例えば武満徹や西村朗といった現代日本の作品の譜面を渡すと、そこから作曲家の狙いを素早く引き出す。直感っていうのかなぁ、本良く読んで勉強して、知識から音楽に迫るっていうタイプじゃないんですよ、だから「天才」だと僕は思ってる。
それと、やっぱり歌心ですね。歌の盛んなイタリアの国民性かもしれません。今でもたまに奥さんとオペラに行くそうですが、鍵盤でも歌えるのは「血」でしょう。ロッシーニやドニゼッティらイタリアのオペラ作曲家が残したピアノ作品ばかり集めたCDを以前、彼と作りましたが、これなど正に十八番です。今回のプログラムにもロッシーニが入ってますね、きっと最高に面白い。それとベートーヴェン(リスト編)の交響曲を弾くのも素晴らしいですね。彼は自分の演奏に溺れることがないから、音楽全体に構成力がある。面白く聴かせてくれるでしょう。

(聴き手 ザ・フェニックスホール 谷本 裕)

取材協力:カメラータ・トウキョウ

■Bruno Canino
1935年イタリア・ナポリ生まれ。ナポリ音楽院、ミラノのヴェルディ音楽院でピアノや作曲を学ぶ。ボルツァーノ国際ピアノコンクール、ダルムシュタットコンクールにそれぞれ入賞。アバドやムーティ、サヴァリッシュらの指揮でミラノ・スカラ座管、ベルリンフィル、ニューヨークフィルといった名門楽団に招かれ、協奏曲のソリストを務める一方、リサイタルや室内楽の分野でも幅広く活動。とりわけアッカルドやパールマン、ムローヴァ(以上ヴァイオリン)、ガッツェローニ(フルート)などの大家の伴奏でも知られる。また米国の声楽家キャシー・バーベリアンとのデュオによるベリオの作品演奏など、現代音楽の演奏でも高い評価を得てきた。


 

isakaいさか・ひろし
1940年和歌山生まれ。日本ビクターを経て78年、カメラータ・トウキョウ設立。レコード・CD制作の傍ら、コンサートや音楽祭の企画制作などを総合的に手掛ける。録音業務の拠点をウィーンに設け、ウィーンをはじめとするヨーロッパのさまざまなアーティストを紹介している。草津夏期国際アカデミー&フェスティヴァル事務局長。

■公演情報
「ブルーノ・カニーノ ピアノリサイタル」は6月7日(月)19:00開演。予定プログラムはスカルラッティ:4つのソナタ、ロッシーニ:オッフェンバック風の小カプリス、私の最後の旅のための行進曲と思い出、楽しい汽車の小旅行-喜劇的描写、ベートーヴェン(リスト編)交響曲第4番変ロ長調作品60ほか。入場料3,500円(指定席)、学生席1,000円(限定数。ザ・フェニックスホールチケットセンターのみお取り扱い)。チケットのお求め、お問い合わせは同センター(電話06-6363-7999 土・日・祝を除く平日の10:00-17:00)へ。