ショーロクラブを語る

掲載日:2010年4月30日

秋岡 欧(あきおか おう=ショーロクラブ メンバー                                                                                                                                                       

 ショーロクラブ。現在のトリオとしてスタートしたのが1989年。翌90年ファーストアルバムをリリースしてからも、かれこれ20年になります。その間、グループとしてのいくらかの進化、或いは(良い意味での)変化はあったとして、アコースティックギター(ガットギター)、ベース(コントラバス)、バンドリン(ブラジル産フラットマンドリン)というシンプルなアンサンブルを基本に、メンバー3人が書き下ろしたオリジナル曲をレパートリーの中心に据えるというスタンスは、結成当初からまったく変わっていない、と思います。
で、このグループ名、これについてはこれまでにも幾度となくお話してきましたが、勿論出典はブラジルの伝統音楽「ショーロ」。19世紀にリオ・デ・ジャネイロの下町で生まれた都市型のインストルメンタルミュージックであり、後の時代のサンバやボサノヴァといった、日本でもより馴染みのあるジャンルの「おおもと」でもあります。そして、実は今から30年ほど前にこの伝統音楽にちょっとした変化がありました。ちょうど我々と同世代のミュージシャンを中心に、本国ブラジルで伝統音楽ショーロを自分たちの時代の音楽として再生しよう、みたいな動きが起きたわけです。クラシック、ジャズ、ロック、様々な技法を融合しようとする試みは大変刺激的でした。
そこでです、我々ブラジル音楽大好きな日本人にもこの「ショーロ」を出発点に何か面白いことができるのではないかと…思ってしまいました。そして試行錯誤を続けた結果、出た答えは、「スタイルとしてのショーロ」にこだわるな!という実に簡単なことでした。そんなこんなで仕切り直した3人で「自分たちの音楽」をやってみたら、あら不思議、「ショーロクラブ」の音の出来上がり。「ショーロ」の名を冠しながらショーロにあらず?ショーロやめちゃったクラブ?いやいや、ショーロではなくショーロクラブなんです!と大変ややこしい事態になったのはそんな訳です。
ギターの笹子とバンドリンの秋岡は、元々コテコテのブラジル音楽繋がり。「ショーロクラブ」ももとはといえばそんな「ブラジル音楽好き」の範疇からスタートしたのですが、いろいろあって件の試行錯誤を経たある日コントラバスの沢田と出会うことになります。ちなみにコントラバスというのはメインストリームのショーロではあまり登場しない楽器。この時点で否応なく路線変更です。で、とりあえず「こだわり」なく音を出してみることに。いや、新鮮でした。手前味噌を承知で、これが「出会い」というやつかと。自由な表現の可能性に手応えを感じると同時に今までになく相手の音楽の背景まで見えてくるような…。ショーロクラブの素みたいなものは、本当にあっという間に出来上がり、そして今日に至る、です。
では、ショーロクラブはブラジル音楽ではない?たぶんそういうことです。しかし、ショーロに限らずブラジル音楽の持つボーダーレスな力、生きた音楽としての魅力には最大限の敬意を、今も変わらず持ち続けていますし、私たちの音楽にもその自由な精神は生かされていると思っています。ショーロクラブは不動のユニットですが、同時にメンバー3人にはジャンルを超えた三様のバックグラウンドがあり、その時々にお互いが興味を持っている音の方向性が、ショーロクラブという土俵の上で見え隠れする。そういった折々の音の出会いを我々自身が楽しんでいる。「ショーロクラブ」って、そんなグループなのかもしれません。
さて、ショーロクラブとは何ぞや、とお思いの方には、「なるほど」なのか、いよいよ「?」なのか、自信はありませんが。いずれにしても、是非一度「生ショーロクラブ」を体験して頂ければと、切にお願いいたします。いろいろ書いておいて何ですが、音楽は言葉で説明できない。そんな気持ちで20年、続けてきたもので。

■秋岡 欧
大学在学中にブラジルに留学、ショーロをはじめとするブラジル音楽に取り組む。ショーロクラブでの演奏、作・編曲、プロデュース活動の傍ら、多様なアーティストと共演。2000年には、笹子重治とのデュオ・ユニットによるオールブラジルプログラム作品「DUO」(オーマガトキ)をリリース。そのほかの主なレコーディング参加作品として、中国映画「青い凧」(93年東京国際映画祭グランプリ作品)、相米慎二監督遺作「風花」などがある。