クリストフ・ゲンツ テノールリサイタルによせて

ドイツの青春讃歌《美しき水車屋の娘》

掲載日:2011年2月15日

 村田 千尋(東京音楽大学:音楽学) 

  ドイツでは現代でも、職業訓練校で学ぶのとは別の道として、手に職を付けようとする若者のための職人制度が残されている。若者はまず、見習いとして弟子入りをし(徒弟時代)、年季が明けて職人として認められるようになると、何人かの親方の下で更に修行を積むために、遍歴の旅に出ることが求められる(遍歴時代/修業時代)。いずれかの親方に年頃の娘でもいて、うまいことその娘と結婚できれば…試験に合格して親方となったあかつきには、その仕事場と商圏を譲り受ける可能性もあるだろう。詩人のミュラー(ドイツ語で「水車屋」、「粉挽き」の意)による《美しき水車屋の娘》は、粉挽きの親方を目指す若者を主人公とした、当時人気の主題による青春讃歌、甘い希望と、現実的な打算が見え隠れする物語である。
粉挽き職人にとって仕事場は水車小屋であり、小川に沿って旅をしていけば、新しい親方に巡り会える。我らの主人公も、希望に満ち溢れて旅に出た。小川は朗らかに歌い(第1・2曲)、やがて水車小屋に辿り着く(第3・4曲)。しかも、かわいらしい娘までいるではないか。若者は気を惹こうとやっき(第5曲)。若者をおそう恋の喜びと不安、焦り(第6~9曲)。やっとデートにこぎ着け、高らかに喜びを歌い上げる(第10~13曲)。しかし、そこに恋敵が出現し(第14曲)、娘の心はあっという間に狩人に奪われてしまう。嘆き、途方に暮れる若者(第15曲)。強がって見せようとはするが、悲しみは癒えない(第16~18曲)。絶望した若者は、これまで彼を励まし、導いてくれた小川に身を投げ(第19曲)、後には小川の子守歌が静かに流れるのみ(第20曲)。
ミュラーはこの詩の中で「色」に象徴的な意味を持たせている。白は水車を用いて挽く小麦粉の色であり、粉挽き職人を象徴するのに対し、恋敵の狩人は森の色、緑で表される。そして青は娘の色(これらの色がどこに歌い込まれているのか、探していただきたい)。
もちろんシューベルトもこれらの色を音楽的に表現しようとした。たとえば、16番〈好きな色〉と17番〈嫌な色〉。「好きな色」も「嫌な色」も、いずれも恋敵の色「緑」。ロ短調で悲しみに沈んだ〈好きな色〉に対し、〈嫌な色〉ではロ長調によって失恋から立ち直る勇気を得ようとする。シューベルトが得意とした、鮮やかな調の対比。しかし、〈嫌な色〉がロ短調で終わり、ホ短調(ロ短調から見ると、下降する方向)の〈しぼめる花〉が続くことによって、若者の悲しみ、絶望感の深さが表されている。
声とピアノが織りなす音の帯の中に、転調によって浮かび上がってくる色合いの変化(色の象徴)を見出していくことも、この歌曲集を楽しむ一つの方法であろう。ゲンツの甘いテノールと、斎藤の自在なピアノがどのような色を紡いでいくのか、楽しみなところだ。

 シューベルト:
  連作歌曲 美しき水車屋の娘 作品25 D795
1. さすらい
2. どこへ?
3. 止まれ
4. 小川への感謝
5. 憩いの夕べに
6. 好奇心の強い男
7. 焦燥
8. 朝の挨拶
9. 水車屋の花
10. 涙の雨
11. わがもの
12. 休み
13. 緑色のリュートのリボンをそえて
14. 狩人
15. 嫉妬と誇り
16. 好きな色
17. いやな色
18. しおれた花
19. 水車屋と小川
20. 小川の子守歌

110319murata

(むらた ちひろ)

東京大学文学部、国立音楽大学大学院修了。弘前大学専任講師、北海道教育大学教授を経て、現在は東京音楽大学教授(音楽学担当)。シューベルトを中心にドイツ・リートの歴史について研究している。2003年から05年にザ・フェニックスホールにおいて開催されたレクチャー・コンサートシリーズ『ピアノはいつピアノになったか?』においても、第4回「シューベルトの悩み」を担当。

  • 2011年3月19日(土)午後4時開演 クリストフ・ゲンツ テノールリサイタル 公演詳細はこちら♪