クリストフ・ゲンツさんインタビュー
シューベルトの歌曲集「美しき水車屋の娘」を歌う
掲載日:2011年3月8日
テノール歌手 クリストフ・ゲンツに聴く
聴く者すべての耳を捉えて離さない豊かな歌声。それは、歌詞に散りばめられた言葉に応じて、絶妙に色彩を変えてゆく――。宗教曲からオペラ、リート(歌曲)まであらゆるジャンルの作品を魅力ある美声と的確な様式感で歌いこなし、ヨーロッパ楽壇に欠かせない逸材として活躍を続けるテノールのクリストフ・ゲンツ。そんな彼が3月、最も強い思い入れのあるシューベルトのリートから「美しい水車屋の娘」を携えて、ザ・フェニックスホールに登場する。「私の夢は、この素晴らしい音楽と言葉を、ずっと歌い続けてゆくこと」。歌の魅力を熱っぽく語る彼自身の言葉もまた、ひとつひとつが眩しい輝きを放っていた。
(寺西 肇)
主人公の「道」たどりたい
――毎年初夏にライプツィヒで開かれているバッハ音楽祭で、いつもゲンツさんの歌声を聴いていますが、特に、2005年のヘルベルト・ブロムシュテット指揮によるバッハのロ短調ミサはとても印象的でした。あなたはこのような宗教曲だけでなく、オペラやリートなどあらゆる分野で活躍されていますね。ジャンルが変わると何が一番、違ってきますか。
クリストフ・ゲンツ(以下、G) オペラには、演出や演技、衣装、メーキャップ…とあらゆる要素が結集しています。歌うこと自体は重要ですが、多くの要素のうちのひとつに過ぎません。また、コンサートや宗教曲は、オーケストラと合唱、指揮者とソリストの共同作業で成立し、音楽それ自体がパフォーマンスの中心にあります。
一方、リートには歌手とピアニスト、たった2人の人間しかいません。このことは、リートをとても個人的なパフォーマンスにしています。ピアニストの同意を得るのは当然の前提としても、私は作品を自分の好みに合うように歌いたい。これは魅力的な機会であると同時に、大きな挑戦であり、責任も伴います。オペラやコンサートでの主な責任は指揮者か演出家のどちらかにあるか、または彼らの共同責任です。リズムのみならず、ダイナミクスも、多くの場合は曲の解釈すら、指揮者に従わねばなりません。しかし、リートには指揮者はいません。つまり、責任のすべてが自分たちにあるのです。自分が私自身の指揮者であり、演出家なのです。
また、オペラやコンサートはオーケストラと一緒なので、歌手と彼らの間での適正なバランスという問題が常に存在します。しかし、この点について、声とピアノだけのリートはより簡単ですね。はるかに広い範囲でのダイナミクスの変化を使えます。
そして、特に歌曲のリサイタルでは、オペラや宗教曲のように他の歌手によるアリアや合唱曲はありませんから、歌い手は休憩なしで歌い続けねばなりません。フリッツ・ヴンダーリヒのような何人もの名歌手が「リートを歌うことが最も難しい」と常に話していました。聴衆は、演奏の良い点も悪い点も、ほんの細部まで聴き取れるからです。
――モダン楽器とピリオド楽器の両方と共演されていますが、歌い方は変えますか。
G 意識的には変えていません。しかし、ご存知のように、ピリオド楽器の響きやバロック・オーケストラの特質は、モダン楽器やそれによるオーケストラとは大きく違っています。だから、私は無意識に声や歌い方を相応しい範囲へと適合させているのだと思います。すべては、どちらのオーケストラと共演するか、によるのです。私はこれまで、バロック奏法を踏まえたモダン楽器オーケストラとの共演の経験がとても多かったのですが、この場合はバロック・オーケストラとほぼ変わらない感覚で歌ってきました。
新様式拓いた歌曲王
――シューベルトは、あなたにとって、どんな存在でしょう。
G 最も偉大な作曲家の1人です! 歌曲だけでなく、交響曲も、ピアノ曲も、何もかもみんな、大好きです。しかし、特にリートの分野は、その深遠さにおいて群を抜いています。最も重要なのは、彼がリートを真の芸術と理解へと導いた最初の作曲家だったということです。それまで、リートは主に詩へ主眼が置かれていました。伴奏はとてもシンプルで、全体的に単純な節回しでした。シューベルトは全く新しい様式を創造したのです。作品は詞の解釈の手段となり、伴奏がとても重要な役割を演じるようになりました。一言で言えば、音楽が詩そのものと同等に重要となったのです。
――「美しき水車小屋の娘」の20曲をどう歌ってゆきますか。
G この作品を歌うこととは、愛を感じての幸せから、やがて拒絶され、致命的に傷ついてゆく、この(主人公の)若者の急激な感情の変化を共に経験することです。そのためにまず、物語を追ってゆくようにしたい。若者の気持ちを実感するためには、「彼が歩いた道を歩く」ように心がけるべきでしょう。私たちは皆、希望も失望も知っていますが、その感じ取り方は様々です。この若者は本当に繊細だったが故に、幸せの絶頂から奈落の底まで、劇的な感情変化を経験することになりました。私はもちろん、この若者本人ではありませんが、私なりの方法で彼の情緒の世界を追いかけたい。そして、聴衆の皆さん1人ひとりが、この物語をどう感じ、考えるのか。各自でアイデアを持ってもらえれば、うれしいですね。皆さんが「自分だけの絵を描ける」枠組みを私が提供できれば、本当に幸せです。
――ピアニストには、どのような表現を求めますか。
G 斉藤さんとはまだ共演の経験はありませんが、お会いしてステージを共にすることをとても嬉しく思っています。私は何も要求するつもりはありません。ただ共に新しいものを創造する過程がそこにあるだけです。強固な自分の意見を持つピアニストとの共演は、常に楽しいものです。我々の見方は一致することもあれば、そうでないこともある。すると、2人が納得する場所を見つけるまで、相違点について議論するのです。
名門コーラスで開眼
――ところで、トーマス教会聖歌隊で歌い始めたきっかけは何ですか。
G 私は9歳の時、トーマス教会聖歌隊に入って、歌を始めました。実は、私の父が少年時代にこの合唱団で歌っていたので、私の兄や私にもここで歌ってほしいと願ったのです。父は私たちの練習に付き合うために多くの時間を割き、バッハのモテットのいくつかを教え、ちゃんとピアノの練習をしているか、見張っていました。正直言うと、私は家で歌やピアノの練習をするよりも、外で友達と遊びたかったんですよ(笑)。でも、合唱団に入団を許可され時は、うれしかったですね。
――あなたは、ケンブリッジのキングスカレッジで音楽学を学びましたが、学術的な視点は、どのようにステージに生かしていますか。
G ケンブリッジで学んだのは、音楽への総合的な知識を向上させたかったから。でも、私は自分が学歴を求めていないのだとすぐに気づきました。私は音楽を演奏することが何より楽しく、それについて話すことに関心がなかったのです。ただ、キングスカレッジ合唱団で歌えたことは幸運でした。ごく少人数での演奏などまったく新しい歌い方や、多くの新しいレパートリーを学べましたから。 それに、非常に巨大で美しい、キングスカレッジ大聖堂で歌えたのは、すばらしい経験でした。それも毎日!この経験によって、私はプロの歌い手になることを決心したのです。
学術的な視点が、今の私のパフォーマンスにどのように影響しているかは分かりません。しかし、それは私の音楽の聴き方や、ハーモニーや対位法といったことを含めて、異なる時代に書かれた音楽を分析するという点においても、深い知識を与えてくれていることは確かです。
ケンブリッジは、専攻に応じて科目を選択するシステムにはなっていません。たくさんの科目の中から自分で選んでゆくのです。私は「ゲーテと音楽~同時代の異なる作曲家によるゲーテの詩に対する様々な視点、それらに対するゲーテ自身の反応」について論文を書きました。中でも、ゲーテがシューベルトの曲が好きで「なかった」ことはとても興味深いですね。ゲーテは音楽が重要な役割を果たすことを快く思っていなかったと思います。彼は、自分の友人だったツェルターによって書かれたようなにシンプルで、単純な節回しの曲に耳馴れていのです。
――抽象的な質問で申し訳ありませんが、あなたにとって「音楽」とは何ですか。
G 尽きることのないエネルギーの源。そして、メロディーとハーモニー。これらのない音楽は、私には雑音に過ぎません。音楽は、あらゆる異なる感情が棲みつく1軒の家のように私には思えます。ある時はひとつの部屋に入ったかと思うと、次には別の部屋に入る。すると、ほんの短い時間で「別の世界へ行くこと」ができるのです。
聴衆の「愉しみ」こそ
――それでは、「歌」とは何でしょう。
G まるで小さなオペラのシーンが連なっているように、それぞれの歌が異なる感情を持ち、ここにある言葉を使うことに私は完全に魅了されています。たったひとつの言葉であっても、どう歌い、話すかによって、時に大きな違いを生み出すのです!
そして、歌うことにおいて最も重要なことは…皆さんが本当に愉しんでくれること! 愉しみなくして、歌うことはあり得ません。
――日本でのステージで、最も伝えたいこととは。
G 日本の皆さんほど音楽に集中してくれる聴衆を私は知りません。皆さんはヨーロッパ音楽を深く理解していらっしゃいます。そして、歌詞についても、とても良く知っておられます。だから、私は何も求める必要はありません。皆さんにひとときの愉しみを、そして何か新たな考えをもたらすことができれば、大いに幸せですね。そして、皆さんがほんのしばらくでも日常の雑事を忘れ、私と共にシューベルトの歌の世界へ触れていただければ…。
――最後に、あなたの夢とは。
G 私の夢ですか? 他の何よりも、まず私が大好きな人々が健康であること、そして少しだけ私自身の健康も…。子供も持ちたいし、「平凡な」生活を送りたい。本も書いてみたいし、旅行だってもっとしたい。新たな語学だって学びたいですね。
それに、自分の声にぴったりと合うレパートリーはずっと探し続けてゆきたい。そして何より、私の夢とは、この素晴らしい音楽を、何年でも歌い続けてゆくことですね。
取材協力:丸山真樹、武蔵野文化事業団