パヴェル・ハース・クァルテット インタビュー

11月11日(金)午後 ティータイムコンサートに登場 「チェコの弦 パヴェル・ハース・クァルテット」に聴く 豊かな旋律 安らぎの響き

掲載日:2011年10月24日

金曜の午後、本格的な音楽と茶菓をゆったりお楽しみいただける、「ティータイムコンサート」。ザ・フェニックスホールが1995年の開館以来続けている、人気のシリーズです。11月11日に登場するのは、弦楽四重奏団の「パヴェル・ハース・クァルテット」。弦楽四重奏をはじめ、弦楽演奏で長く豊かな歴史を誇るチェコの気鋭アンサンブル。ドヴォルジャークやスメタナの名曲に加え、彼らがグループ名に冠した悲劇の作曲家パヴェル・ハース(1899-1944 ※1)の作品も奏でます。「室内楽の殿堂」を目指すザ・フェニックスホールには、正にうってつけの舞台。来日に先駆け、クァルテットのスポークスマン、チェロ奏者のペテル・ヤルシェクに話を伺った。

(ザ・フェニックスホール 谷本 裕)

-あなたの母国チェコには、非常に多くの弦楽四重奏団があります。「チェコは弦の国、弦楽四重奏の国」とさえ言われます。そのような評判をチェコが取っているのは一体なぜでしょう。弦楽、あるいは弦楽四重奏の伝統の秘密を、知りたいのです。
 
おっしゃるような伝統は、チェコといっても幅広く、スロヴァキア、ボヘミア、モラヴィアなどの地域ではぐくまれてきました。チェコの音楽が独自の性格を持っているのは確かで、私たちもそうした音楽を演奏するのが大好きなんです。ただ正直なところ、私はチェコが、なぜ弦楽四重奏に関してこんなにも深い伝統を培ってきたのか、よく分からないのです。おそらく、かつて偉大なカルテットが幾つも活動していたのが大きな要因でしょう。彼らは、自らの音楽的な経験を次世代に伝えてくれました。私たちカルテットは、こうした伝統の流れを汲んでいることを、とても名誉に思っています。

-今回のザ・フェニックスホールにおける公演のプログラムはすべて、チェコのものです。とりわけ「アメリカ」と「わが生涯」は傑作として知られています。西洋芸術音楽における、チェコ音楽の特質とは何でしょう。例えばウィーン古典派やドイツ・ロマン派の音楽と比べ、何が異なるのでしょうか。

確かに、チェコには特別な作品がいくつかあります。ドイツやオーストリア系の作品との対比で申し上げるなら、これらの音楽は民俗音楽が、作品に決定的な影響を与えています。また、これらの作品では何よりも、旋律が重要な位置を占めています。このことは、例えばベートーヴェンが作曲に際して構想した流儀とは違っています。とはいえ、私たちカルテットもしばしば、ベートーヴェンの作品を演奏してはいます。

-パヴェル・ハースについて伺います。彼はどんな人物、作曲家だったのでしょうか。彼の短いプロフィルは分かりますが、あなた方はグループ名に彼の名を冠していて、特別な意味合いを感じます。

彼はヤナーチェク(※2)の弟子で、とても豊かな才能に恵まれていました。第2次世界大戦中、ナチスによってアウシュヴィッツ強制収容所に入れられ、そこで悲劇的な死を遂げました。私たちはかつて、彼の音楽を聴いた時、すぐさま自分たちのカルテットに彼の名を冠することで、彼の名誉を顕彰したいと考えたのです。彼の親類を尋ねて、この考えを打ち明けたところ、快く祝福してくださいました。私たちとしては、恐縮しつつも、大変嬉しく思ったものです。

-ところで、あなた方の弦楽四重奏団が演奏する際、「リーダーシップ」はどのようになっていますか。オーケストラのように指揮者がいないアンサンブルは、どうやって音楽がつくられていくのでしょう。

弦楽四重奏という演奏形態はいつも、対等な音楽家同士の対話で成り立っているのです。ですから、たった一人のリーダーが主導するという状況は、決してありません。私たちはリハーサルを録音して、皆で一緒にそれを聴き、自分たちが奏でるには一体、どんな響きや演奏法が最も好ましいのか、それを確かめながら、一つひとつを客観的に決めていくようにしています。

-ご存知の通り、日本では大きな震災がありました。こんな時、音楽はどんな役割を果たすこと出来るでしょうか。

日本の東北地方における震災のニュースには、深い悲しみを覚えています。日本はとりわけ、私たちにとっては訪れ、演奏する国々の中でも最も気に入っている場所のひとつですから、なおさらです。今、私たちが望んでいるのは、例えこのような困難な時期にあっても、音楽が何がしかの安らぎと幸せを人々にもたらし続けることに尽きます。私たちの演奏も、そうありたいものです。大阪での公演を楽しみにしています。

取材協力:カメラータ・トウキョウ

※1 パヴェル・ハース ブルノのユダヤ人家庭に生まれる。ブルノ音楽院でヤナーチェクに師事。当初はドイツ・ロマン派の影響を受けていたが、師の導きで徐々にモラヴィアの民衆歌、ユダヤ教会の音楽を創作に取り入れるようになり、さらにはストラヴィンスキーやオネゲル、ミヨー、プーランクの音楽からも触発を受けるようになった。ナチス・ドイツの台頭によって、他のユダヤ人作曲家と同様、彼の作品は演奏が禁じられ、また職業を奪われた。1941年、テレージエンシュタット強制収容所に送られたが、そこでも創作を続けた。ヘブライ語のテキストに基づく合唱曲「モデル・ゲットー」、「弦楽のための習作」、「中国の詩による4つの歌」を創作。44年にアウシュヴィッツ強制収容所に送られ、処刑された。

※2 レオシュ・ヤナーチェク 1854年モラヴィア北部の寒村生まれ。11歳でブルノに出、聖アウグスチノ会修道院付属学校聖歌隊員となり、音楽を学ぶ。ドイツ人中学校や教員養成学校などを経てプラハ・オルガン学校、ライプツィヒやウィーンの音楽院に留学。81年、27歳の年にブルノに戻りオルガン学校を開設。合唱曲やオペラの創作を手掛ける一方、モラヴィアの民俗音楽の収集や編曲、研究・出版に携わる。1916年のオペラ「イェヌーファ」でプラハ、ウィーンで成功を収めた。このほか「カーチャ・カヴァノヴァー」、「利口な女狐の物語」、「マクロプロス事件」などのオペラで評価を得、「タラス・ブーリバ」、「シンフォニエッタ」といった管弦楽作品、ピアノ曲や弦楽四重奏曲などを残した。


パヴェル・ハース・クァルテット Pavel Hass Quartet

プラハを拠点に活動する弦楽四重奏団。グループの名前はヤナーチェクの弟子であり、アウシュヴィッツ収容所で亡くなったチェコの才能溢れる作曲家パヴェル・ハース(1899-1944)にちなむ。2004年の結成当初から、世界各地の弦楽四重奏のマスタークラスに積極的に参加し、イタリア四重奏団、モザイク・カルテット、ボロディン弦楽四重奏団、アマデウス弦楽四重奏団といった名門グループのメンバー、またミラン・シュカンパ(元スメタナ四重奏団)やワルター・レヴィン(元ラ・サール四重奏団)といった多くの著名な指導者から指導を受けてきた。2003年、ロンドン・ウィグモアホールでの出演で大成功を収め、注目をあつめる。04年にはフィレンツェの「Vittorio E.Rimbotti」賞を受賞。また05年5月にはチェコの「プラハの春」国際音楽コンクールで優勝、続いて6月にはイタリアの「パオロ・ボルチアーニ賞」国際弦楽四重奏コンクールでも優勝し、世界のヒノキ舞台に登場。以来、世界の主要都市でコンサートを重ねている。イギリスのグラモフォン誌の表紙を飾る(2010年2月号)など現在ヨーロッパ、アメリカで最も注目されているクァルテットである。