Prime Interview 今井信子さん

ヴィオラ界を牽引してきた世界的ヴィオリスト
今井信子さん

掲載日:2017年7月28日

世界的ヴィオリストとして活躍を続ける一方、後進の育成に力を注ぎ、多くの先鋭的な企画を通じて、ヴィオラという楽器のイメージ自体に革命をもたらした今井信子。1992年から東京でヴィオラを主役としたコンサート・シリーズ「ヴィオラスペース」を立ち上げ、2005年からは、ザ・フェニックスホールでも毎年、大阪公演を開催。2011年からは、ホールの音楽アドヴァイザーも務め、ヴィオラを中心に様々な側面から、音楽の魅力を伝えている。そんな名手が今回、紹介してくれる新しい響きの世界は、ヴィオラのみによる四重奏。「奏者の個性や感性を反映し、多彩に変化するヴィオラの音色を味わってもらえれば。そして何より、音楽の喜びと楽しさが伝われば…」と期待を露わにする。ヴィオラの可能性を広げたにとどまらず、むしろ、ヴィオラという楽器を介して、「新たなジャンルを創造して来た」と言っても過言ではない今井。若き音楽仲間と共に、未知なる響きの世界へと、聴衆を誘(いざな)う。      
(取材・文:寺西 肇/音楽ジャーナリスト)

 

可能性広げる 新たな挑戦

 

 

 

今回は、「ヴィオラ・クァルテット」という珍しい編成。発想のきっかけは。

小樽で開いているマスタークラス(*1)で、ごく自然に生まれました。あそこは一対一で教えるのが基本で、室内楽は主ではなかった。でも、余暇に「皆で何かやろうよ」と曲を持ち寄るようになって…やがて正式にカリキュラムに入れて、ステージにも乗せるように。多くの人が「やりたい」と思ってくれたお陰で、広がってゆきました。

 

 

その醍醐味とは。

ヴィオラは、様々な音が出る楽器です。同じ高い音域でも、トランペットのように華やかで鋭い音も出れば、心に迫る深い音も出せる。低い方に向かうと、少しセンチメンタルになって、どんどん暗く…この辺の印象から「いぶし銀」と表現する人も。それより下は、チェロにも共通する、陰影のある音もします。ショスタコーヴィチも、バルトークも、たくさんの作曲家が、生涯の終わりの方で、「ヴィオラの曲を書きたい」と思った気持ちも、分かる気がします。そして、ヴィオリストも人によって、好きな音域が違うんじゃないかしら…私は、高い音が好きですね。四重奏になると、多彩な音色が互いに溶け合い、独特の響きを創ります。とっても楽しくて、やがて病みつきに…(笑)。

 

 

編曲も、重要なキーですね。

音域の広いチェロなら可能なことでも、私たちヴィオラの音域は中音域に固まっていて、難しいことも。そういう意味では、まず、編曲者が苦労するんです。「せめてチェロを1本、入れてほしい」と懇願されることもありますよ(笑)。

 

 

共演の3人は、若い方ばかり。

年齢からすれば、私の半分くらい(笑)。でも、このメンバーは、ヴィオラの演奏に、しっかりと喜びを見出している人たち。みんな素敵ですよ。ファイト・ヘルテンシュタインは律儀なドイツ人気質の一方、深みがあって自由で、繊細さも持ち併せている。ウェンティン・カンは、マドリッドのソフィア王妃高等音楽院で私の助手を務めてくれていて、とても優秀。艶っぽい音が魅力的です。そして、ニアン・リウも、私の大好きな人(笑)。上海で「Viva la Viola(ヴィオラ万歳)」という隔年の音楽祭で、ヴィオラ・オーケストラのコンサートマスターも務めてくれています。巧いし、とっても楽しい人なんです。

 

 

柱のひとつは、バルトークの二重奏曲。四重奏のステージで、あえての二重奏なんですね。

そう(笑)。この曲は本来、教育を目的に、2本のヴァイオリンのために書かれています。様々な場面でハンガリーの農民が歌う、土着の旋律を基に、ほぼファースト・ポジションで弾けるほど、テクニックは平易。でも、音楽上は、バルトークの真髄と言って良いほど、素晴らしい曲です。実は昨年5月、この曲を集中的に勉強しようと、ウェンティンと2人で、ブダペストへフィールドワークに出かけました。バルトークと私たちの“間にいる”ような存在の地元のヴァイオリニスト、ミハーリ・シポス(*2)さんに会い、バルトーク本人が録った農民の歌の録音を聴き、勉強しました。そして、マドリッドに戻り、この6月まで数回に分けて、全44曲にわたって、成果を披露したんです。それがとても刺激的で、今回もぜひ、皆で手分けして弾きたいと…。バルトークによる録音や私たちの話を、聴衆の皆さんに聴いていただいた上で、演奏したいと考えています。
その前には、バルトークの「トランシルヴァニアの夕べ」を四重奏で弾きます。ブダペストのレストランで夕食を取った時、偶然、ロマのバンドが、この曲を弾いていて、「何の曲?」って尋ねたら、バルトークだと。調べたら、作曲家本人がピアノで弾いている映像も残っていて、実に素晴らしい。そして、私の“戦友”のようなヴィオリスト、エミル・ルドゥメーニが、四重奏に編曲してくれました。

 

 

幕開けにダウランドを置きました。その意図は。

いきなり重厚なバッハより、イントロダクションのようにリュート・ソングを置いて、気軽に入っていきたい、と…。この曲はブリテンによるヴィオラとピアノのための編曲があって、これを基にした四重奏版でお楽しみいただきます。

 

 

そして、有名なバッハの無伴奏ヴァイオリン作品を下敷きにした野平一郎さんの《シャコンヌ》。原曲にない対旋律や和声など、独創的ながら、全く違和感を持たせない、不思議かつ見事な作品です。

「ヴィオラスペース」で委嘱して17年、今や世界中で演奏されています。動画サイトのお陰で、あっという間に広まりましたね。私たちにとって、この曲は「原点」であり、ヴァイオリンで「シャコンヌ」を弾くことが、もはや想像できないほど(笑)。ヴィオラ特有の音色を巧く使い分け、旋律自体もパート間を頻繁に往き来し、誰が受け持っているのか、判らない場面も。まさに、世界中のヴィオリストが「発信」した作品、と言えましょう。

 

 

そして、シューマンとピアソラの佳品も。

「こどもの情景」は、私が大好きで、ぜひ弾きたくて…(笑)。元はピアノ曲で、技術的には難しくなるでしょうが、「トロイメライ」など有名な旋律もあり、楽しんでいただけるはず。シューマンには、私たちヴィオリストにとって大切な「おとぎの絵本」という曲もあって、これも幻想的な曲ですし、どこか共鳴する感覚もありますね。
そして、最後にピアソラを置いたのは、こういう情熱的な感じで、ステージを締め括りたかったから。ヴァイオリンやチェロなら、もっと派手な感じにはなるかもしれないけど、きっと、ヴィオラならではの魅力がお伝えできるはずです。

 

 

ヴィオラを取り巻く現状を、どうご覧になりますか。

「オマージュ・トゥ・ヴィオラ(ヴィオラに身を捧げる)」かのように、楽器と一体になって、演奏に取り組む人たちが増えました。結局、ヴィオラ・パートが充実すると、特に室内楽はとっても、面白くなるし…これがないと、逆にエンプティ(空っぽ)な音楽になる。この考えが、徐々に浸透してきました。実際に、ヴィオラがハーモニーを動かす場面は良くあるし、それを分かってほしい、とずっと思い続けてきましたから。

 

 

若い奏者たちはいかがですか。

能力の高さは、私たちの世代と比べ物にならないですね。リゲティの無伴奏ソナタなんて、私たちの世代では弾きこなせる人はあまりいなくて、私も必死で学びましたけど、今の人たちなんて、まるでスポーツみたいにぱっぱっと弾けちゃうんですよ。そして、それぞれにとても真摯に取り組んでいる。ただ、時代のせいで、情報がありすぎるから、ひとつの事に打ち込み難い、とは感じます。私たちの頃は、ショスタコーヴィチのソナタですら、ラジオで初めて聴いて、「いい曲だけど、どうしたら楽譜が手に入るのか?」から始まる時代でした。放送局で録音やコンサートをするのに、曲を提案すると「これは編曲だから駄目だ」と言われ、困り果ててしまう経験も多くしました。今や編曲も受け入れられ、レパートリーも無限に広がりました。半面、ひとつのことが出来て歓びを覚えるのでなく、様々なことに手を出して、目が眩んじゃうことがあるのでは。そう考えると、私たちは幸せな時代に生きたのかな、とも感じています。

 

 

そんな中で、今井さんの次なる目標とは。

私は、できることから始めるタイプ(笑)。来年は第4回東京国際ヴィオラコンクールが開かれ、間もなく予備審査が始まります。実力のある人が大勢来てくれて、これからリーダーシップを執る人を育ててゆければ、嬉しいですね。

 

 

ザ・フェニックスホールは、今井さんの発信の拠点のひとつですね。

とってもアットホームで、まるで自宅で弾いているような気分にさせてくれるホール。聴衆の皆さんも、ヴィオラをとても愛し、良く知ってくださっていると実感しています。ヴィオラの音は、内面に響くんです。今回のプログラムも、皆が元気になって、感動できる曲を選びました。何より、「音楽っていいな」と思っていただけたら、幸せですね。

 


*1 「ゆらぎの里ヴィオラマスタークラス」は、今井の発案により、2004年にスタート。小樽市郊外の朝里川温泉で、毎年1月の7~10日間、集中レッスンと発表演奏会が行われている。
*2 ハンガリーを代表する民俗音楽アンサンブルMuzsikás(ムジカーシュ)の創設者でリーダー。ハンガリー民俗音楽のスペシャリスト。