Prime Interview 石橋栄実さん

抒情と情熱、軽妙洒脱-関西拠点にオペラで大活躍 石橋栄実さん

掲載日:2016年8月3日

ソプラノ歌手・石橋栄実さん。母校・大阪音楽大学のザ・カレッジ・オペラハウスをはじめ、新国立劇場や大阪国際フェスティバルなど内外のオペラ舞台に出演を重ねる実力派、時に抒情と情熱に溢れ、時に軽妙洒脱な歌唱表現で観衆を魅了し続ける実力派だ。関西拠点に活動を展開してきた歌姫も、2年後にはデビュー20年を迎える。11月4日(金)午後のフェニックス公演は、十八番のオペラアリアや、思い入れのある日本の歌でプログラムを編んだ(左下参照)。中堅からベテランへ。「節目」を控えた胸に去来するものは何かー。初夏、快晴の午後、音楽大学のキャンパスに彼女を訪ね、オペラに寄せる思いを伺った。
(取材・文/谷本 裕=沖縄県立芸術大学教授)

稽古場で悟る「真の自信」

 

 

1998年。デビューはフンパーディンクの『ヘンゼルとグレーテル』だった。大阪音楽大学専攻科を修了し、間もなかった新人はその後、内外でキャリアを積む。新国立劇場主催公演に重ねて招かれ、昨春は大阪国際フェスティバルの国際共同制作『ランスへの旅』で内外の名手ともども起用されるなど、着実に活動を広げてきた。

 

-本当にあっという間でした。よく続いてきたなぁ、という感慨もあります。オペラは、望んでも出られる訳ではありません。自分を見い出してくれる人が世の中に居られ、求められたら謹んでお受けする。そんな「縁」が欠かせないのです。私は、先のことはあまり考えない。いただいた、目の前の仕事をきちんと果たそうと努めてきました。その一つひとつが、幸いにも「次」に繋がってきたんだと思います。

 

 

近年の石橋さんは、舞台で役そのものを生きている印象があります。心技体の安定を感じますが、デビュー当時はいかがでしたか。

 

-ゲネプロ(本番直前の総合リハーサル)が近づいてくると、本当にどうかなってしまいそうな感じでした。ご飯が食べられない。訳もなく涙が出てきたりして、生きた心地がしない。命まで縮まるようで「この本番を終えたらもう辞めよう」と何度も思いました。でも今は、そんなことはなくなりました。舞台に対する恐怖感、緊張感に変わりはないですが、若い時代に苦労した歌も楽に歌えるようにもなり、心臓に毛が生えたのかも(笑)。

 

 

何か契機があったのでしょうか。

 

-オペラ『沈黙』(*1)の経験も大きかったと思います。演じてきたのは、迫害を受け殉教する男の恋人、オハル。2003年以来、大阪と東京で10回もの舞台を重ねてきました。ピアニストと私の二人きり、「自分のハート」で比較的自由に歌える歌曲のリサタイルとは違い、オペラは多くの仲間とつくり上げる。そして「役そのもの」が歌う面が、より強い。演じる中で苦しくなったり、心が震えたり。涙が出てしまうこともありますが、練習でも本番でも普通は、まず歌い通せる。感情の抑制が出来るんです。でも新国立劇場の「沈黙」に限っては、初日の練習で出演者全員がヒクヒク泣いてしまい、声にならないということがありました。

 

 

プロの世界では珍しいでしょうね。

 

-『沈黙』だけですね。音楽の力が大きいんです。苦しい。悲しい。そして美しい。歌う中、自分の感情が高ぶってきて、頂点に達するその瞬間、「止め」を刺すような音が現れ、涙腺が決壊してしまう。稽古場全体が、すすり泣きに包まれる。そんな強烈な感動を仲間が感じ、共有出来る不思議な体験でした。

 

 

「修羅場」をくぐり、何かが変わった…。

 

-『沈黙』は極端な例かもしれません。他の作品でも稽古場でしか生まれず、また味わえない特別な感覚を経験していくうち、「オペラづくりの現実」を知り、学んだんだと思います。オペラの「役」というのはまず、作品の音楽を手掛かりに、私自身が探り、創る作業があります。響きの中で気持ち良く歌えるようになったら、役柄は或る程度、自然についている。その上で、稽古場に入ってのち、色んな人々とのやり取りを重ねて徐々に定まっていくものでもある。稽古初日、キチンと歌える状態まで自分を整えておくのは当然ですが、演技、役つくりについては真っ白・まっさらというか、例えば演出家の方の様々な求めに応じ、いかようにも即応できるよう、自分なりに考えられる限りの準備をして臨む訳です。

 

 

オーケストラの指揮者と楽員の関係みたいですね。

 

-歌手の表現に対する要求が、前日と違う。そういうことは少なからずある。でも私たち歌手は「昨日はこう仰ってました」なんて言いません。その時点の私の役づくりに向けて、それは違う、という求めが出てくる。或る水準まで「上がって来い」と求められ、やっとの思いで付いて行ったら、そこで相手のファンタジーがまた変わる、広がる。稽古場って、そういう所です。逆に、本番の2週間も前に「あぁ、もうそれで良いですヨ」なんて言われると、却ってどうしたら良いか分からなくなるんです。演じる歌手が優れていれば、演出家はその表現に触発されて新たな発想、役のイメージを持って下さるはず。オペラに関わる者同士の「連鎖反応」というのか、一つのらせん階段を一緒に上っていくような営み。そこに加わり、色んな試みを探る中でこそ、私も成長し、「自信」を持てるようになっていく。それを悟ったんでしょうね。

 

 

そんな『沈黙』の中の1シーンを今回、歌っていただきます。

 

-困難に遭って苦しんでいる。過酷な境遇の中でも愛を貫き、叫びにも似た悲恋を全身全霊で歌う。そんなオハルの姿は、『夕鶴』(*2)のヒロインである「つう」にも共通するかもしれません。でも私、若い頃はそうした清楚な役とは真逆のキャラクターも演じていました。演目でいえば『コシ・ファン・トゥッテ』のデスピーナとか、オペレッタ『こうもり』のアデーレとか…。おきゃんで、少々蓮っ葉なところもある娘。こうしたキャラクターは、「素」の自分とは全く別なんですが、歌い手としての自分にはとてもピッタリの役だと思います。11月、新国立劇場で演じる『ラ・ボエーム』(*3)のムゼッタも、直感というか、心に浮かんだ言葉を反射的に口に発するタイプ。加えて、まだちょっぴり青さの残るお色気を、明け透けに振りまく。こういう役は経験がありません。実はフェニックスの舞台の翌日、その稽古に入ります。役づくり、一体どうしましょ(笑)。

 

 

問題ないようにも思いますが…。

 

-年齢相応に声も成熟してきました。もちろん、衰えるにはまだ早過ぎる。「充実の時」を迎えた今、歌のクオリティに関し、言い訳は絶対出来ません。磨かなくてはならないことがたくさんある。もっと自分に厳しくしなければ。

 

 

リサイタルでは日本の歌も歌っていただきます。林光さん作曲の『ほうすけのひよこ』は、詩人・谷川俊太郎さんの手になる物語仕立て。面白そうです。

 

-10年前、出産を控えた頃に半年弱、仕事を休んだ時期があったんです。まとまった休暇は、普段とれません。「今しか出来ないチャンス」と捉え、日頃、取り組みたいと考えていたテーマを、ノートに書き出しました。リストは2ページ分にも及び、出来るものから一つひとつ、お腹の子と一緒に勉強したんです。例えば、モーツァルトの『フィガロの結婚』の台本を原語で読み直す。シューマンの歌曲集『女の愛と生涯』のおさらいをする。この『ほうすけのひよこ』も、リストに入っていました。村外れに独りで住む純朴な男と、村人の間に或る事件が持ち上がる。人が人と生きることの温かさや哀しさ、その無常を静かに語りかけるストーリー。音楽もシンプルで伝わりやすい。原作の絵本を買って想を練り、産後初のリサイタルで実際に歌いました。世の中には、だれもが悪くないのに人を傷つけてしまう時がありますよね。それは実は、『沈黙』や『夕鶴』でも私が感じているテーマ。現代に生きる私たちが、考えてみるべきことが、たくさん含まれているように思います。豊かな詩と音楽に触れ、お客様が幼い頃の思い出と結び付けて、ゆったり聴いて下さると嬉しいです。

 


 

(*1) 1993年。原作は遠藤周作の小説。松村禎三が脚本と作曲を手掛けた。江戸時代、長崎で行われたキリスト教の弾圧を題材に、神の存在や信仰の意味を問うている。

(*2) 1952年。日本の民話「鶴の恩返し」に基づく木下順二の戯曲を台本に、團伊玖磨が作曲。

(*3) 1896年。プッチーニ作曲。