Prime Interview 中村恵理

掲載日:2025年10月6日

世界の歌劇場で活躍するソプラノ、中村恵理がリサイタルを行う。中村恵理は兵庫県川西市出身。大阪音楽大学大学院、新国立劇場オペラ研修所を経て2008年、英国ロイヤルオペラにデビューを果たし、翌09年にはベッリー二の『カプレーティとモンテッキ』でアンナ・ネトレプコの代役を務めて脚光を浴びた。2010年から6年間はバイエルン国立歌劇場専属歌手として数々の主要キャストを務め、現在、各国のオペラハウスに出演を重ねている。関西においても2017年、兵庫県立芸術文化センターの『フィガロの結婚』(指揮:佐渡裕)、2022年、神戸市室内管弦楽団・神戸市混声合唱団との『プーランク賛』(指揮:佐藤正浩)などで記憶に残る歌唱を聴かせている。インタビューは彼女が拠点とするミュンヘンとオンラインで行われた。しなやかに言葉を紡ぐ歌姫の表情と、時折見せる関西育ちらしい茶目っ気と。1時間弱のインタビューはリサイタルへの期待を感じさせる心地よいひと時となった。                            (逢坂聖也 音楽ライター)

 

「トロンボーンの練習、がんばってね」

あの頃の自分にはそう声をかけてあげたい。

 

おはようございます。そちらは朝9時とお聞きしています。早い時間からありがとうございます。早速、来年のリサイタルのお話をうかがっていきたいのですが、中村さんはザ・フェニックスホールでのリサイタルは初めてですね?

 

こちらこそ、ありがとうございます。ザ・フェニックスホールはもちろんですが、大阪でのリサイタルも初めてです。これまで関東や北海道では何回か歌っていて、関西では私の地元の川西市でリサイタルの機会をいただいたりしたんですが、大阪は初めて。なので少しどきどきしています。

 

どんな内容のリサイタルになるのでしょう?

 

1つにはこれまで私がどんな歌を歌ってきたか、ということを大阪のお客さまにお伝えできるようなリサイタルにしたいと考えています。もう1つはその中で、私が今、課題にしている作品や学び直している作品を歌いたいということ。自分自身の勉強も兼ねて、というと堅苦しいんですが、私は普段はオペラを歌っているのでリサイタルは自分で曲を選べる数少ない機会でもあるんです。そういった歌をこんな素敵な曲もありますよ、という形でお客さまに紹介したいと思っています。3月のコンサートですから、全体としては春らしい緑を感じるような作品を意識して選曲しました。

 

前半はバロック時代から20世紀初めまでの作品が並んでいて、日本歌曲からも3曲。特に信時潔の『占うと』が目を惹きます。とても深い感情を歌った作品ですね。

 

好きなんです。日本歌曲の中では珍しい、女性の情念がこもった曲ですよね。学生の時に習った作品なんですが、ノートに書き込みがびっしり。だけど当時は頭では理解はできても表現に結びつかなかった。大阪で勉強した曲ですし、今なら歌えるのではという気持ちで選びました。このあとレスピーギの『霧』を歌うんですが、この2曲がすごく内面に秘めた感情を歌っていて、前半の明るい雰囲気にコントラストを加えていると思います。

 

後半はほとんどがこれまで歌ってこられたオペラからの作品ですね。

 

『カルメン』だけがこれからです。私はヨーロッパではフラスキータ役を10年以上やっていたんですが、来年2月に、群馬(高崎芸術劇場)で初めてミカエラを歌うので、今、まさに楽譜を読んでいるところです。初めての役を大阪でもお披露目できればと思い選びました。ほかは歌っていますけど、ジュリエットは若い頃に歌っているのでずいぶん久しぶりになります。きっと新鮮な気持ちで歌えると思います。

 

オペラ歌手としてステージに立つのとリサイタルで歌うのでは、やはり違いますか?

 

オペラで歌う時というのは、私はその団体の中の一員なわけです。たとえ主役であったとしてもチームの一員なので、オーケストラや共演してくださる皆さん、指揮者、演出家、そのほかのスタッフと「みんなで一緒に!」という気持ちになれるんです。でもリサイタルになると基本的に歌手は私ひとりお客さまと向き合わないといけないので、私の声がちゃんとお客さまを惹きつけているか、とか、そもそも私のリサイタルに来ていただけるのか、とか、改めて聞かれるとそういった難しさはありますね。でも本番で歌う時は、もうそのことは考えないと思います。その場になったら、そこでできる100パーセント、120パーセントのことをさせていただくだけなので。

 

中村さんがご自身の“声”に気づいたのはいつ頃だったんですか?自分は歌えると思ったのは。

 

「歌える」なんて思ってないです。こんなことを言うと「プロらしくない」って叱られるかも知れないけれど、今でもそんな風には思っていません。批評でも私の声は、ゴールデンヴォイスとは言われないんです。シルバーヴォイスって言われるので、私にはそれほどの“声”はないんだって思ってるんですね。でも、だからやめられないんです。私の声にもできることがあるはずだって。素晴らしく歌っている方の歌の中には、本当に輝くような、宝石のような一瞬があるでしょう?目には見えないけど心が動くような瞬間が。だからあきらめられないんですね。自分の声でもそれができるんじゃないかって。

きっとできる、というよりも世界で活躍するディーバの中村さんにこれまでそんな瞬間がなかったとはとても思えないんですが。

 

私はディーバじゃないですよ。そう見えるとしたら、それは「役」が私をそう見せてくれているんです。

 

大阪で音楽を勉強していた頃の中村さんはどんな学生だったんですか?

 

すごく地味な学生でした。よもや中村恵理がオペラ歌手になろうとは誰も思ってなかったと思います。私自身思っていませんでしたし、友達もきっと先生も。私は中学、高校の頃、ずっと吹奏楽部に入っていて、中学ではトロンボーン、高校ではコントラバスを担当していたんです。当時の私の夢は、音楽の先生になって吹奏楽部の顧問になることでした。

 

もし、その頃の当時の自分自身に会ったらどんな言葉をかけてあげたいですか?

 

「トロンボーンの練習がんばってね」かな。あの頃、勉強していたことが今、歌うことにすごく役立っています。声楽にはブレス(呼吸)は特に大事。だから当時の自分には“トロンボーンやっててくれてありがとう”という気持ちですね。