Prime Interview アヌーナ

異界への扉を開く、神秘的なケルトのハーモニー

掲載日:2024年9月13日

時空を超えたはるか彼方、魂の故郷から語りかけてくるような声――アヌーナ(ANÚNA)の音楽は、私たち人間が大いなる自然の一部であり、神話の時代から紡がれてきた物語の延長線上に生きていることを感じさせてくれます。アヌーナの創設者であり、芸術監督のマイケル・マクグリンが生み出すサウンドは、中世アイルランド、ルネサンス、現代音楽、アンビエントなどあらゆる音楽の要素を内包し、多国籍のメンバーからなる男女混声のコーラスがゲール語、ラテン語、アイスランド語などあらゆる言語で歌う神秘的な声は、地球上のどこにもない「異界」へと私たちを誘います。

今年11月、10年ぶりとなる日本ツアーでザ・フェニックスホールを訪れるアヌーナとはどのようなグループなのでしょうか。その多面的な魅力を紐解いてみましょう。

(原典子 音楽ジャーナリスト)

 

 

中世、ルネサンスから現代音楽、
アンビエントまで
マイケル・マクグリンが生み出す
変幻自在のサウンド

 

 

 

 アヌーナは1987年にアイルランドの首都ダブリンで、作曲家マイケル・マクグリンによって結成された男女混声のコーラスグループ。世界的に人気を博したアイルランドのダンス・パフォーマンス『リバーダンス』の初演(1994年)をはじめ、ワールド・ツアーにも参加したことで一躍注目を集めました。設立当初からメンバーは流動的でつねに交代を繰り返しており、これまでに100名以上のシンガーがアヌーナに参加。現在は多国籍からなる30名近くのシンガーを中心に編成されており、今回はマイケルを含めて13名が来日します。

 

 芸術監督のマイケルが「アヌーナは伝統音楽のアンサンブルではないし、クラシック音楽の室内合唱団でもない」と語るように、彼らの音楽は簡単にカテゴライズできるものではありません。ただ、一聴してはっきりとわかるのは、クラシック音楽における「合唱」とは発声に対する考え方が違うということ。アヌーナのサウンドは、マイケルが編み出した「アヌーナ・メソッド」によって受け継がれています。これは5〜6歳の子どもがリラックスした空気の流れのなかで呼吸をし、立って自然に歌うことができるように、シンガーが自分の本来の姿を見出し、純粋で正直な感情を包み隠さず、声を通してオープンに伝えることができるようにするというもの。一糸乱れぬアンサンブルで完璧なハーモニーを磨き上げるよりも、シンガーの個性を重視し、ひとりひとりの声が聞こえてくるようなコーラスには、人間の声がもつ根源的な力強さが宿っています。

 

 アヌーナがレパートリーにしている楽曲は、今から1000年以上前の中世アイルランドの聖歌や伝統歌、「ダニーボーイ」(アイルランド民謡)や「グリーンスリーヴス」(イングランド民謡)といった誰もが知るメロディを織り交ぜつつ、マイケルのオリジナル楽曲が多くを占めています。中世の写本から歌詞を引用するなど、いにしえの世界からインスピレーションを得ながらも、そのサウンドは現代音楽やアンビエントにも通じるものを感じさせます。さらに近年では、ゲーム音楽の作曲家として知られる光田康典が手がける『ゼノブレイド2』『クロノ・クロス:ラジカル・ドリーマーズ エディション』などの人気ゲームのサウンドトラックに参加したり、能とアヌーナのコーラスを融合させた「ケルティック 能『鷹姫』」公演を行なったりと精力的に活動の幅を広げているアヌーナ。その変幻自在なサウンドは一体どこから生まれてくるのでしょう? ヒントは、アヌーナの創造主であるマイケルがインタビューなどで折に触れて語っている「自分が影響を受けた音楽」にあります。

 

 マイケルが影響を受けた音楽としてまず挙げられるのは、前述したとおり中世アイルランドやスコットランドなどの古い音楽。しかし「故郷と精神的なつながりは感じるものの、作曲においてインスピレーションを得られるのはアイルランドの“外”から」と語るとおり、彼の楽曲はアイルランドに根ざしたものだけではなく、世界各地に伝わる歌や詩を題材に作曲され、ラテン語、ギリシア語、英語、ゲール語(ケルト語のうち特にアイルランドやスコットランドで話される言葉)、アイスランド語、フランス語など、あらゆる言語で歌われています。それはトールキンの『指輪物語』の舞台である「中つ国」のような、ファンタジーに満ちた「ここではないどこか」に通じる扉を開いてくれるものでもあるでしょう。

 

 次に、中世〜ルネサンス〜初期バロックのヨーロッパの作曲家。ヒルデガルト・フォン・ビンゲン、ギヨーム・ド・マショー、トマス・タリス、ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ、トマス・ルイス・デ・ビクトリア、カルロ・ジェズアルド、ヘンリー・パーセルといった作曲家の名前は、クラシックの古楽を聴く方にはおなじみでしょう。 12世紀の女子修道院長であり作曲家でもあったヒルデガルト・ フォン・ビンゲンの「サンクタス(Sanctus)」も、マイケルのアレンジで聴くとキリスト教以前の古代を感じるスピリチュアルな音楽に聞こえます。

 

 こうした古い音楽と同じぐらい、マイケルは近現代の音楽からもインスピレーションを受けています。クラシックの作曲家でいうと、クロード・ドビュッシーや武満徹、ジョン・ラター、さらには1970年生まれのアメリカの作曲家エリック・ウィテカーや、1978年生まれでノルウェー出身のオラ・イェイロなど。アヌーナはルネサンスのポリフォニーから現代音楽まで幅広いレパートリーをもつという面においては、VOCES8やザ・キングズ・シンガーズといったイギリスのアカペラ・ヴォーカル・グループにも通じる部分があるかもしれません。

 

 ビートルズやビーチボーイズのような多重ヴォーカルが特徴的なグループや、デヴィッド・シルヴィアン、ケイト・ブッシュ、デヴィッド・ボウイ、ビョークといったポップス&ロックのスーパースターもまた、マイケルの音楽遍歴を語る上で欠かせない存在です。とくにアンビエント・ミュージック(環境音楽とも呼ばれ、能動的に主張するのではなく、聴き手をとりまく空間に調和するような音楽)のパイオニア的存在として知られるハロルド・バッドには大きな影響を受けたとのこと。マイケルは「私はハロルド・バッドをフィリップ・グラスやヒルデガルト・フォン・ビンゲンと同じカテゴリーに入れたい。アンビエントという言葉は非常に誤用されていると思います。より適切な言葉は、“ノスタルジック(郷愁的な)”、つまり、作品の本来の意図とは関係なく、感情や記憶を呼び起こす能力です」と語っています。

 

 さらに近年は、ゲーム音楽や能とのコラボレーションを通して日本の文化からインスピレーションを受け、その絆をいっそう深めているアヌーナ。今回のツアーのなかでも、豊かな音響と都会的な雰囲気をもち、クラシック音楽を軸にしながらスティーヴ・ライヒや久石譲などのミニマル・ミュージックのプロジェクトにも積極的に取り組んできたザ・フェニックスホールでの公演は、聴き手にとっても、またアヌーナにとっても、感性の新たな扉を開く特別なステージとなることでしょう。「このグループはコロナ禍以降大きく成長し、非常に特別で魔法のようなクワイア(合唱団)に成長しました」というマイケルの言葉通り、さらに深遠なるイマジネーションの世界へと私たちを連れて行ってくれることを期待しています。