Prime Interview ウェールズ弦楽四重奏団 三原久遠さん

掲載日:2024年3月8日

 「演奏会をさせていただく時には、『自分たちが弾きたい曲を弾く』よりも、たとえ作曲家が違えども、必ず『ひとつの共通テーマ』を持たせるようにしています」。2008年に難関・ARDミュンヘン国際コンクールで3位入賞を果たすなど、国内外の登竜門で実績を残し、惜しくもコロナ禍で延期となったが、ドイツ・ボンのベートーヴェンハウスから主催公演への招請を受けるなど、世界から注目を浴びる精鋭集団「ウェールズ弦楽四重奏団」。ベートーヴェンとハイドン、モーツァルトを取り上げる5月のザ・フェニックスホールでのステージを前に、第2ヴァイオリン奏者で、プログラミングを担当する三原久遠は語る。「変ロ長調」の作品ばかりを集め、その裏に様々な“糸”を張り巡らせた今回。近現代作品も得意とする彼らだが、久しぶりの大阪公演とあって、あえて古典派の“王道”での「真っ向勝負」に。ラテン語の「Verus」の名の通り、“真なる”響きを目指して「一瞬一瞬、どこを切り取っても隙が無い、丁寧な表現をしてゆきたい」と力を込める。
(寺西肇 音楽ジャーナリスト)

 

 

作品の隅々まで表現したい

 

 

 

 

 大阪での公演は、12年前のザ・フェニックスホールでのステージ以来。「デビューという訳ではないですが(笑)…本当にお久しぶりなので、カルテットという分野において、非常に重要なウィーン古典派の作品を大阪の皆さんに改めてお聴きいただきたいと考えました」。そのステージの軸に据えたのが、ベートーヴェン後期の第13番。当初は終楽章に《大フーガ》を置いていたが、初演後に出版社の求めに応じて、新たに作曲した別の終楽章へ置き換えた。しかし今回、彼らは《大フーガ》を含めた“原典版”で演奏する。

 

 「差し替えられた最終楽章を弾かずに、第5楽章カヴァティーナの後、すぐに《大フーガ》を演奏します。《大フーガ》は、ストラヴィンスキーが『永遠に現代的な作品』と評した通り、本当にショッキングな音楽です。直後にこの曲が来ることで、『カヴァティーナの美しさ自体も皆さんの頭の中に残り、いっそう鮮烈に伝わる』と僕たちは考えているので、毎回、第13番を演奏する際には、《大フーガ》付きの原典版で演奏しています」

 

 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は、過去に二度、全16曲のツィクルスを完遂。そして、今年6月には東京・サントリーホールの小ホール「ブルーローズ」を舞台に、全6回での三度目の全曲演奏が控えている。さらに、やはり全曲を目指しての録音も進行中。「この数年、集中的に取り組んでいるので、大阪でも『まずはベートーヴェンを』という気持ちがありました。録音も、《大フーガ》付きの第13番は最後と決めているので、その前にぜひ、聴いていただきたいと…」。

 

 この傑作の前に置かれるのが、同じ変ロ短調を採り、しかも共に《狩》との愛称を冠されたハイドンとモーツァルトの作品。ハイドンの作品1-1《狩》は、角笛を連想させる冒頭主題が有名なモーツァルトの作品を先取りする佳品だが、実演での披露は珍しい。「この作品は、変声期を終えて少年合唱団も離れざるを得なくなり、おそらく『音楽家として、どう生きるか』を自問しつつ、本格的に作曲に取り組み始めた時期の作品。本当にピュアで、不思議な魅力があります」と三原は強調する。

 

 「ハイドンのイメージを形創る作品群は、いわゆる“大先生”になった後がほとんど。でも、この若い時期の作品は、2小節や4小節単位の枠組みにこだわらなかったり、フレーズが小節の頭だけでなく中途から始まったりと、単に端正な古典音楽ではない。こうした、“プロフェッショナル過ぎない”面は、オーストリアの民族音楽などに由来すると思いますが、後年の彼には見られなくなってゆく。“大先生”になってから(笑)の作品も素晴らしいけど、ピュアなこの曲も魅力的です」

 

 そして、モーツァルトの第17番《狩》。いうまでもなく、巨匠に捧げた『ハイドン・セット』(全6曲)の第4曲でもある。「モーツァルトがこの曲を書いたのは、ハイドンが作品1を作曲したのとほぼ同じくらいの年齢。この事実は、まさに、モーツァルトの天才性を示しています。2年ほどと、彼にしては異例の長い時間を費やして書かれた曲集は、ハイドンと対照的に、プロフェッショナルを極める一方、誰かから依頼を受けるのではなく、本当に『自分の書きたいもの』を形にしている。そして、ナチュラルさに満ちている反面、“アンナチュラルな瞬間”が、曲集の端々に出てくる。2人の《狩》を並べて聴くことで、何らかの“対話”が生まれて来る気がします」と説明する。

 

 「カルテットは、この3人の作曲家が出発点。でも、『ウィーン古典派』という言葉で一括りにされますね。でも、実はこれだけの多様性を、たった4人の奏者で実現し得る時代だった…今回は、この『最も重要なピリオドの音楽』を、皆さんに提供したいと考えました」と三原。「どんな作品においても、自分たちができる限り、隅々まで表現したい。でも、ただ爆発的に感情をむき出しにするのでなく、魂をグッと掴まれる瞬間も含めて、隅々まで表現したいんです。それを聴き手にも、ぐっと受け止めてほしい」。熱っぽく語る。

 

 東京都交響楽団で第2ヴァイオリンの副首席を務める三原をはじめ、国内の主要オーケストラでも重責を担うメンバーたち。しかし、ウェールズ弦楽四重奏団での活動を「4人だけで責任を持って、作品を取り上げる。本当に大事な“ホーム”です」と表現。かたや、「例えば、マーラーの交響曲を知らずに、ウェーベルンの弦楽四重奏曲を弾くことは考えられない。両方を経験できるのは、僕たちの最大の利点でしょうね」とも。

 

 「音が割と大きなパッセージを練習するような時にも、あえて音量もテンポも下げて、非常に耳を研ぎ澄ませるようなリハーサルを、4人でやっています。作品によっては、本番ステージになって、初めて、(音量やテンポを)マックスの状態で臨むことも…。なぜかと言えば、僕たちがオーケストラなど各々の場所から“帰って”きて、こうした方法で作品への対峙することによって、自分たちの響きを再び練り上げ、創り上げてゆきたいから。ゆえに毎回、こんな作業を繰り返しています」

 

 解釈の上で、4人の意見が食い違うことは? 「もちろんあります。そんな時には、まず楽譜へ立ち戻ること。結局、食い違いとは、作曲家が“自由”を与えてくれた瞬間の選択の部分なので、実は対立しているようで、よくよく考えたら、同じ方向を目指していた…なんてことも判ります。それに、お互いに“反応”するのが凄く大事。相手の音を聞くっていうことにすごく重きを置くと、あくまで反応をした上で『自分はこうしたい』との考えを通します。すると、ゴリ押し的に自分を主張するぶつかり方というのは、なくなります」。

 

 カルテットでも、オーケストラでも、“セカンドヴァイオリン一筋”を貫いてきた三原。「性格的なこともあると思いますが…」と苦笑して、「実際に学んだライナー・シュミット先生(ハーゲン弦楽四重奏団)をはじめ、セカンドの名奏者に魅了されてきたことが多いですね」。その醍醐味について「例えば、フレーズの受け渡しにしても、それがただ単純に綺麗に横へ流れるのではなく、もしかするとグニャリと曲がる瞬間があるかもしれない…その不自然も含めて、きちんと音楽として自然に流れるようにするという…言葉にすると、なかなか難しいですが…一番見直さなきゃいけない瞬間を与えられているのが、もしかしたらセカンドヴァイオリンかもしれないですね」と微笑む。

 

 パンデミックによる活動の制限を経て、「また『お客様へ音楽を届けられる』ことへの感謝の気持ちは強くて、特に『聴き手と親密な時間をホール内で創る』とのイメージのカルテットでは、なおさらでした」。そして、後進の指導にも力を注ぐ彼ら。カルテットの世界の将来展望について「日本でも、若い世代の団体が今、すごい勢いで育ち、多様な作品にどんどん挑戦して、聴衆に“伝わる速さ”が確実に上がってきています。そういう意味で、室内楽を取り巻く現状が、徐々に変わりつつあると感じています」。希望を込めて、力強く語った。