Prime Interview 迫昭嘉さん

魔法の世界へいざなうピアニスト

掲載日:2022年3月14日

迫昭嘉さんと聞くと、多くの人が年末に行われる「迫昭嘉の第9」や、長年演奏し続けているベートーヴェンのピアノソナタを思い浮かべるのではないでしょうか。そんな迫さんが、今回あいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホールのピアノリサイタルに組んだプログラムは、レスピーギとドビュッシーとショパンという3人の作曲家による作品。この意表を突くような選曲について、迫さんからさまざまなお話を伺うことができました。リサイタルに駆ける思い、現在の心境、プログラムの作曲家や作品にまつわるお話から今後の音楽家としての抱負まで、忌憚のない意見をごく自然体、やわらかな物腰、率直な気持ちで話してくださいました。そのことばの端々に見え隠れする、迫さんのそれぞれの作品に対する深い思いと愛着、「いまだからこそ、これを弾きたい!」という熱い思いを紹介します。そのことばから浮かび上がる、作品への愛情を受け取っていただければと思います。
(取材・文:伊熊よし子/音楽ジャーナリスト)

 

 

ピアニズムの原点に戻るという意味で選曲した3人の作曲家の作品です。

 

 

 

――まず、今回のプログラムはベートーヴェンがまったく入っていませんね。迫さんというとベートーヴェンという図式が出来上がっている人にとってはとても驚きで、また新たな面を見せていただけるのかなと期待が募ります。

 

 本当に長い間ベートーヴェンを弾いてきました。音楽大学で教える立場としても、ベートーヴェンを弾くというのは、ひとつの基本的な路線といえるのかもしれません。ただし、あと2年ほどで東京藝術大学の教鞭にかかわる仕事も終わる予定で、最近はコロナ禍でじっくり自分と向き合う時間もあり、これからのことを考えるようになったのです。
 というのは、ベートーヴェンをずっと演奏していると、どうしても演奏が堅くなってしまう。これは悪い意味ではありませんよ。もちろん私個人の考えですが、ベートーヴェンは確固たる構築性に富み、ドイツ音楽の伝統に根差し、テクニック的にも大いなるエネルギーを要します。そうした作品とずっと対峙してきましたが、最近はより自由に弾ける作品に目を向けたいと考えるようになったのです。

 

――特に今回のプログラムに関して、どのような考えでこの3人の作曲家に絞られたのですか。

 

 今回のリサイタルのプログラムは、ピアニズムの原点に戻りたいと思って考えた選曲です。ここしばらくはベートーヴェンがレパートリーの柱として存在し、そこに全面的に集中力を注いでいたため、他の作品に目を向けることが少なくなっていました。私は90年代までは、スペイン作品などもずいぶん演奏していましたが、やはりピアニストとしての自分を考えた場合、ショパンをきちんと弾けなくてはと思ったわけです。ピアニズムの作曲家ですからね。
 ショパンのピアノソナタ第2番はずいぶん弾いていますが、ソナタ第3番はあまり弾いていないため、今回はそれをメインに据えようと考えました。この作品は6~7年前から弾き始めましたが、今回は新たな視点が見えると思います。実は、ショパンは誕生日が近いんですよ。それゆえ、親近感を感じますね(笑)。ショパンを弾く場合は、自分の音楽表現としてピアノを使うのではなく、ピアノを弾くことを楽しむ。そういう気持ちで演奏できます。

 

――それでは、ショパンのピアノソナタ第3番をメインにすると考え、それから他の作品が一気に決まっていったのですか。

 

 最初の曲、オープニングには古典作品をもってきたかったのです。J.S.バッハ、スカルラッティ、モーツァルトなども考えましたが、やはり私がイタリア留学中に出会ったレスピーギで始めようと思いました。
 レスピーギのピアノ作品は演奏される機会に恵まれていませんし、以前この作品を録音したときは、世界中を見回してもほとんど演奏するピアニストはいなかったのではないでしょうか。私がドイツ留学(ミュンヘン)からイタリア(ミラノ)へ移った80~90年代は、まだ1920年ころのイタリアの空気が色濃く感じられる時代でした。知り合いの声楽の先生に「子どものころにレスピーギの指揮でうたった」といわれたり、レスピーギが生きていた時代を覚えている貴族の末裔がいたり、本当にリアルな体験ができました。
 今回のレスピーギの「リュートのための古い舞曲とアリア」は新古典主義のスタイルで書かれ、そうした時代を超えたノスタルジックな様相を呈しています。イタリア人のピアニストに教えてもらった作品で、弦楽合奏版は知っていたのですが、ピアノで弾くことができると知り、とても心が高揚したことを覚えています。原曲は1500年代のものですが、シンプルで人の心に素直に入ってくる。原始人が火の周りで踊っているような、そんなプリミティブな曲想を持ち合わせています。
 私はこうした作品を弾くと、作品が生まれた時代から今日まで、音楽は連綿とつながっていると感じるのです。レスピーギにとっては、多分に実験的な意味合いをもっていたのではないでしょうか。レスピーギといえば、「ローマ三部作」や室内楽が有名ですが、こうした作品が存在することに新たな歓びを抱き、何も難しいことは考えず、心を無にして、音楽のすばらしさを胸に刻んでいただければ幸いです。
 

――プログラムはドビュッシーへと続けられますが、数あるドビュッシーのピアノ作品のなかから「映像」第1集を選ばれたのは、特別な理由がありますか。

 

  私はイタリアに拠点を移したころから、フランスが近くなってきたなと感じました。それ以前はフランス作品をあまり演奏していなくて、フランス語も話せませんでしたし、距離を感じていたのです。でも、歳とともにフランス作品が実は自分の感覚に非常に近いのではないかと思い始めました。ドビュッシーは点描画のような趣があり、その色彩のグラデーションがとても楽しいと感じるようになり、作品にも魅了されるようになりました。
 「映像」「版画」「前奏曲」などがレパートリーに入ってきて、ピアノでどんな色合いが出せるか、その探求が興味深くなったわけです。ザ・フェニックスホールは以前ステージで演奏したことがあり、すばらしい響きも覚えていますので、ドビュッシーの美しい響きを存分に発揮できると思います。

 

――後半はショパンが2作品登場しますが、ピアノソナタ第3番の前には絶対に「舟歌」を置きたいと思われたのですか。

 

 「舟歌」は晩年の作で、とても内容が濃く、演奏は難しいと思います。いま、多くの学生たちを教えていますが、みんなどんなに難しい曲でも楽々と弾いてしまう。私はそうはいかない(笑)。でも、私はけっして型にはまった演奏ではなく、音楽を心から感じる演奏を目指しています。中途半端な知識や訓練を積み重ねるのではなく、音楽の本当の意味を見出し、それを伝える。そんな演奏を目指しています。
 私は、ドイツ留学中はバイエルン国立歌劇場でサヴァリッシュ指揮によるオペラに数多く触れました。クライバーもね。当時はそれこそ最高の歌手がそろっていたのです。歴史的な歌手の名演にも出会うことができました。ミラノでもアバドが全盛期で、プレートルや他のすばらしい指揮者のオペラに連日に通いました。実は、高校生のころから指揮者になりたいと思っていたのです。当時は指揮も学び、学校のオーケストラやアマチュアオーケストラを振る機会に恵まれ、オペラ指揮者になりたいと夢見ていました。いまは、いろんなジャンルの指揮もさせていただいていますが、本当に指揮は大変ですが、楽しいですね。
 10月になりますが、東京藝術大学に所属するプロフェッショナルオーケストラ、藝大フィルを指揮して、
モーツァルトのピアノ協奏曲とブルックナーの交響曲第4番を演奏する予定です。この2曲の組み合わせは、昔から夢でしたので…。モーツァルトは弾き振りで、第17番か第25番のどちらかにしようと思っています。

 

――今後はピアニスト、指揮者として、さらに室内楽奏者としても活躍される予定でしょうが、レパートリーとしてはどのような作品が増えそうですか。

 

 先ほどの繰り返しになりますが、ピアノ弾きとしてピアニズムの原点に戻る作品と対峙していきたいと考えています。ショパンとかリストとか。そうした作品のなかで「自由さ」を見出し、自分にたりなかった面をも考慮し、新たな発見につなげられたらと考えています。
 そして何より、ピアノを弾くことを楽しみたいですね。その楽しみが演奏を通じて聴いてくださるみなさまに伝わればと願っています。ピアノは作品数が膨大ですし、練習量も半端ではないですが、ヨーロッパで体験したさまざまなことが演奏に生かせればいいなと思っています。カヴァリエやパヴァロッティの歌はいまでも忘れられません。あんな有意義な体験をしたことは、生涯の宝です。若きポリーニやアバドの演奏も、イタリア人の歌心が息づき、最高でした。あの時代、オペラは一種の魔法のような感覚で、舞台で行われていることにだまされ、魔法にかかり、最後はハッピーという空気に包まれる。しばし異次元の世界へと運ばれていくわけです。まさにこれこそが音楽の醍醐味です。私もそういう演奏がしたいですね。

 

――今回のリサイタルでは、その魔法の世界へ飛翔する瞬間が訪れそうですね。楽しみにしています。