Prime Interview 郷古廉さん 加藤洋之さん

「人間の物の見方や感じ方を一変させてしまうほどの力」を持ったデュオ

掲載日:2019年9月18日

 宣材写真からは、硬派で質実剛健なイメージを持たれるかもしれない。だがSNS上では、1993年生まれの若者らしいスマートさやユーモアが感じられるし、実際に会ってみれば、知的かつクールな秀才タイプにも思える。そしてしばらく話してみると、年齢に似つかわしくないほどに先々まで冷静かつ深く物事を見据える姿勢があらわとなった――郷古廉(ごうこ・すなお)は、そんな底知れない魅力を放つヴァイオリニストだ。20代なかばながら、既にプロの演奏家としてのキャリアは12年目。いわゆる「伴奏者」ではなく、対等な共演者として10年にわたり共演を重ねてきたピアニスト加藤洋之(かとう・ひろし)との会話も、非常にフラットだ。年の差なんて関係なく互いを、いち音楽家、いち芸術家として尊敬しあっていることは、その雰囲気からも明らかだった。本公演の企画・構成を担う伊東信宏さんが掲げた「音楽は、単なる息抜きである以上に、人間の物の見方や感じ方を一変させてしまうほどの力をもった体験であるはず」という言葉を体現するこのデュオに、話をうかがった。

(取材・文:小室敬幸/音楽ライター)

 

 

「土と挑発」というテーマに相応しい

刺激と興奮に満ちたリサイタルは必聴!!

 

 

――今回のリサイタルは、伊東さんがおふたりの演奏するバッハとバルトークに感激されたことから企画されたと伺いました。この二人の作曲家によるソナタを組み合わせたCDを出された意図はどこにあったのでしょう?

郷古:バッハとバルトークの音楽には共通するものを感じます。というのもバルトークが目指していたものというのは、民族音楽そのものではなく、世界各地の民謡を通して精神的な高い次元を表現しようとしていたんじゃないかなと思うんです。
加藤:私も同感ですね。バルトークって熱狂的に聴こえるのですが、同時に弾きながら覚醒して冷静になってくるんです。氷のまま燃えていくような音楽で、それはバッハも同じ。フォルム(造形)の美しさも共通していますね。

 

――今回リサイタルのメインに据えられたバルトークのソナタ第1番をおふたりが演奏されるのはCDのレコーディング以来とのことで、非常に楽しみにしております。そしてリサイタルの最初には、ハンガリーのバルトーク同様に今回のテーマのひとつである「土」を感じさせるチェコのヤナーチェクによるソナタを取り上げます。

加藤:共通性をもちながらも、向いているベクトルが違っている作品なんです。こちらは言葉にはしづらい、心の奥底から湧き出る原初的な衝動を洗練させずに音にしたような、むき出しの音楽……。出だしのヴァイオリンのフレーズが全てなんじゃないでしょうか。
郷古:あれは凄いね……。
加藤:苦悩しながらも、音が上下を繰り返しながら上がっていく。あのすがるような切実な気持ちは、すぐに伝わるんじゃないかと思います。
郷古:このソナタを聴くと、絵を観ているような気になるんですよね。強烈に色を感じるというか、ヴィジュアル的に何かを突きつけてくるようなインパクトのある音楽なんです。

 

――まさにもうひとつのテーマである「挑発」を感じる楽曲でもあるわけですね。そして2曲目に演奏されるフランスのプーランクによるソナタも挑発的かつ衝撃的な作品です。

加藤:僕にとってはヴァイオリンとのデュオに力を入れ始めるきっかけとなった、とても大事な作品で色々な思い出があります。第3楽章最後のギロチンを表している音へとひたすら向かっていく音楽なんですけれど、このソナタをフランスの教会で弾いたときにはそのギロチンのあとにタイミングよく教会の鐘が鳴り出して……鳥肌が立つほど怖い体験になりました。そして修道女たちがギロチンにかけられるプーランクのオペラ《カルメル会修道女の対話》を一時期取り憑かれたように繰り返し聴いていたことがありまして、このソナタと非常に似ている部分が多いんです。とにかく思い入れの強いこの作品を、郷古さんと初めて一緒に弾けるのはとても楽しみです。こういう残酷な曲は絶対上手ですからね(笑)。

――こうした圧の強い音楽がプログラムに並ぶなか、イザイの《子供の夢》は一服の清涼剤になりそうですが・・・。

郷古:いや、今回の曲目のなかで一番ヤバいのはこのイザイなんです。曲を聴けば分かると思うんですけど、絶対「子供の夢」ではないじゃないですか。最近、イザイの別の作品《冬の歌(詩曲第3番)》を弾いたんですけれど、イザイ自身の解説に「子どもの頃の素晴らしい思い出が段々崩れていく」といったような内容が書かれていまして。きっと彼のパーソナリティのなかに子ども時代への歪んだ憧れなのか、冷たい“何か”がそこにある。そしてこの《子供の夢》も非常に似た性格を持っているんです。
加藤:作品番号も14(子供の夢)、15(冬の歌)と前後している曲ですしね。
郷古:一聴したところ非常に美しい曲なんですけれど、濁りやにじみがあるので幻覚のような感じ。僕はそこを抉っていきたいと思っています。しかもイザイが恐ろしいのは、常に正気で上品なんです。彼自身も人格者だったと思うんですが、音楽はこんなに混沌としている……。
加藤:実は郷古さんが唯一、過去のヴァイオリニストのなかで会ってみたいと言っているのがイザイなんですよね。     
  

――そうなんですね。それは作曲家としてではなく、ヴァイオリニストとして?

郷古:そうです。ヴァイオリンという楽器の可能性を広げたという意味では、パガニーニと同じくらい功績を残した人じゃないかなと。彼の残した業績はあまり世間では認められていないかもしれないけれど、ヴァイオリニストにとっては無視しようのない天才だと思っています。

  

――今回のプログラムでは、バルトークも優れたピアニストとして知られていた人物です。加藤さんからみて、ピアニストとしてのバルトークってどのように映っているのでしょう?

加藤:今回演奏する1番のソナタは録音が残っていませんが、2番のソナタの方は素晴らしいですね。彼の演奏スタイルは一貫していて、演奏する曲が自作かどうかにかかわらず、思い入れに左右されず、楽譜に書いてある通りに再現するんです。シゲティと共演しているベートーヴェンのクロイツェル・ソナタの録音が僕はとても好きで、ああ弾きたいと思える演奏なんですよ。観念とかを脱ぎ捨てて徹頭徹尾、譜面に忠実。表面だけを撫でていたらそうはなれないわけで、それぞれの音に必要とされる緊張感やパッションがちゃんと実現されているのが素晴らしい。例えば今回演奏する1番のソナタのラストも、煽り立てるのではなく、楽譜通りに弾くのが一番盛り上がることを自覚しなきゃいけない。何かを付け加えると矮小化してしまうんです。

――そうした価値観を共有しながら、おふたりはリハーサルをしていくわけですね。

郷古:リハの回数は決めず、細かく細かく詰めていくので、バルトークの1番を最初に合わせた時は、あまりに時間がかかって「これ最後までいけるかな!?」とふたりで同じ感想を持ちました(笑)。
加藤:譜面を追いかけているという状態から脱して、息をするぐらいの感覚で弾けるようになりたいんです。本番でリハーサル通りに弾きたいからではなくて、本番で自由になるために。
郷古:そもそも皆さんにとって聴く価値のあるものしか演奏しないですし、知らなかったからこそ得られるインパクトも必ずあるはずだと信じています。だからマニアックかと思われる方もいらっしゃると思いますが、敬遠しないで是非コンサートに来ていただきたいですね。