Prime Interview プラジャーク・クヮルテット

40年以上続く、伝統ある弦楽四重奏団
プラジャーク・クヮルテット

掲載日:2018年3月2日

1972年に結成され、世界中で活躍しているチェコの四重奏団「プラジャーク・クヮルテット」は、日本でも大人気だ。今年は、6月のティータイムコンサートで、オール・ドヴォルザーク・プログラム公演が予定されている。チェコという国名が連想させるのか、プラジャーク・クヮルテットは、土の香りのする安定感を武器に、エネルギーほとばしる演奏で、聴衆を音楽の渦へとひっぱりこむ。彼らに聞きたいことはたくさんあったが、「チェコ」にまつわることを中心に質問した。メールでの返答は、ことばの選択が丁寧で、しかもそのひとつひとつにチャーミングさが添えられていて、これでインタビューが終わってしまうのが本当に残念だった。続きは演奏会の音楽で、ということなのだと言い聞かせつつ。 

(取材・文:小石かつら/関西学院大学准教授)

チェコの作品が持つ音楽世界を具現化する

 

プラジャーク・クヮルテットの結成のきっかけは、プラハ音楽院だと聞きました。

私たちはプラハ音楽院で出会いました。1970年代はじめに、プラハ音楽院で学んでいたのです。当時の私たちの先生はそれぞれ、スメタナ弦楽四重奏団、プラハ弦楽四重奏団、ヴラフ四重奏団、スーク・トリオといった、大変有名なアンサンブルのメンバーでした。そんな彼らが、私たちに最初の刺激を与えてくれたのです。これは大きな幸運でした。私たちは最高の指導者とともに、室内楽を始めたのです。

 

 

1970年代、80年代のプラハ音楽院は、どんな雰囲気だったのでしょうか。私の想像では、さまざまな国の人がいたと思うのですが…。

当時のプラハ音楽院は、政治システムの影響で暗い雰囲気でした。幸いなことに、最高レヴェルの教授陣が音楽院に留まっておられたので、私たちはとびきりすばらしい教育を受けることができました。外国からの留学生は、西側諸国からは1人もいませんでした。シリア、キューバ、カンボジアといった酔狂な共産主義政権だった国々から、ほんの数名の若い男子学生が来ていただけです。女子留学生はいませんでした。私たちが学生だった頃の一番有名な学生は、カンボジアのシアヌーク王子で、彼は現在でも流暢なチェコ語を話します。

 

 

プラジャーク・クヮルテットが1972年に結成されてから45年。メンバーの変遷に関して、新しい方を迎える時に大切にしていることは何ですか?

クヮルテットというのは、常に最高のものが要求される仕事なので、メンバーが交替するのは、ごく普通のことです。ただ、私たちがメンバーを交替せざるをえなかったのは、健康上の理由だけでした。チェコでは、30歳から55歳をエネルギッシュな世代だと考えるのですが、この25年間、プラジャーク・クヮルテットは2000回以上のコンサートをし、50枚ものCDを出してきました。だからこそ、メンバー交替の際には、アンサンブルの性格を保持することが、何よりも一番重要だと考えています。 

 

 

第一ヴァイオリンのヤナ・ヴォナシュコーヴァと「劇的な出会いがあった」と日本で紹介されています。具体的に、どのような出会いだったのですか?

この質問、ありがとうございます!ヴォナシュコーヴァは、第一ヴァイオリン奏者のヴァーツラフ・レメシュが引退するときから、私たちのフォーカスにありました。しかし彼女はその時、こどもが小さくて家にいなければならなかったのです。彼女の育休明けを待つ「待機の期間」は大変でしたが、いやはや、報われました。彼女の音楽性は、まさに先ほどの質問で回答した、メンバー交替の際に最も重要だと考えている、私たちのアンサンブルに、ぴったりと一致するものだったのです。彼女が提供してくれることは何もかも、私たちが第一ヴァイオリン奏者に期待していることそのものでした。技術的な卓越性はもちろんのこと、音楽的な思想を背景とした幅広いスケール、溜め息がもれるほど色彩豊かな音の出し方、様式に対する深い洞察、そして、とても強い説得力を彼女は持っているのです。そんなわけで3年前から、私たちは「プラハの古い親友」になりました。   

 

 

プラジャーク・クヮルテットの幅広いレパートリーの中で、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの作品は、どのような位置づけですか?

ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの作品は、私たちのレパートリーの柱となるものです。というのも、弦楽四重奏の勉強は、彼らの作品で始めなければならないからです。こういった作品で、まず伝統の基本を学ぶのです。さらに、チェコの弦楽四重奏が引き継いできた流派もまた無視することはできません。歴史的にみれば、三人の作曲家は私たちと同じ国にいたのですから。ハイドンは弦楽四重奏というジャンルをつくりましたが、彼の音楽には、ハンガリー、ボヘミア、オーストリアなどの民族音楽やリズムが散見されます。モーツァルトはなんといってもオペラの作曲家で、独自のすばらしいスタイルを確立しました。ですから歌を軸に解釈されるべきです。これに対してベートーヴェンは大変近代的で、17曲の弦楽四重奏曲で室内楽の解釈をいちじるしく発展させ、初期ロマン派へと導いたのです。

 

 

その一方で新しい作品、とりわけ現代曲を演奏することについて、どのように考えていますか? 

室内楽のグループは、自分たちのレパートリーの一部として現代音楽を組み込んでおくべきだと思います。そうでないと、音楽というものは発展していきません。歴史の流れというのは、いつもそうです。私たちは毎年、新しい作品を舞台にあげることで前にすすんでいきます。

 

 

チェコ出身ということで、「チェコ」というアイデンティティとは、どう向き合っておられますか?チェコの作曲家の作品を多数演奏されていますが、他の作品とは違いますか?  

チェコの音楽は、私たちのレパートリーの重要な部分を占めています。私たちは、チェコの室内楽作品を、古典派の初期のものから現代のものまで、すべて演奏しています。これらは、私たちのアイデンティティを紹介してくれる作品群です。別の言い方をすれば、私たちが、チェコの作品のもつ音楽世界を具現化し、聴衆に提示しなければならないのだと思っています。これらの傑作の中に、チェコの民族音楽の響きを感じます。このようなところに、私たちの由来の証があるのかもしれません。しかし、だからといって、私たちのチェコの音楽を、ブラームスやシューマンとは全く違うように演奏するというわけではありません。私たちはいつも、私たち自身が中欧にいることを自覚しています。外国のアンサンブルがチェコの音楽を演奏する際、ヤナーチェクやスメタナの独特の音楽的なイディオムに難しさを感じるそうです。このような時、私たちの「アイデンティティ」は、母語に抱く土着の感性とでもいうような仕方で、私たちを支えてくれます。色々言いましたが、チェコの作品を解き明かし、それを伝えていくことが、私たちの課題だと思っています。 

 

 

日本で演奏するとき、どんなことを感じますか?また、プログラムを組む際に日本を意識することはありますか?

日本の美しいホール、そして観客のみなさんの集中力に、毎回驚いています。もちろん日本に行くことを、いつも大変楽しみにしています。というのも、日本人はお客さんをもてなすのが非常にうまくて、移動や演奏会のオーガナイズも完璧ですから。また日本の聴衆はチェコの音楽が大好きで、例えばスメタナのチェコ愛国的な音楽を、ヨーロッパの国々の人たちよりも良く理解しているように思います。演奏会のプログラムを決める時には、日本のエージェンシーと相談しながら考えるのですが、私たちはいつも、日本のみなさんに新しい興味が湧くような作品を提示するよう心がけています。

 

 

最後に、日本について感じられたことを…。

初めて日本ツアーをおこなった1986年から、ちょうど20回来ています。札幌から鹿児島まで、だいたいではありますが日本中どこにでも行きました。食べ物は何でもいただきますし、何でも大好きです。プラハにある日本食レストランにも行きます。ともあれ、私たちにとって日本にいることそれ自体がすばらしいことです。