Prime Interview 作曲家 三輪眞弘さん  映像作家 前田真二郎さん

モノローグ・オペラ 『 新しい時代 』 を再演する
作曲家 三輪眞弘さん 映像作家 前田真二郎さん

掲載日:2017年9月20日

現代音楽のフロントランナーのひとり、三輪眞弘のモノローグ・オペラ『新しい時代』が再演される。2000年4月、京都と東京で上演され、一部に強い衝撃を与えたステージの実に17年ぶりの上演である。ネットワーク上に流れ続ける未知のコードに神を見出し、自然発生的に生まれたひとつの信仰。物語はその神とともに記号化される(歌になる)ことで永遠の救済を得られると信じる少年の、最期の儀式を描く。指揮者もオーケストラも無く、登場人物は少年ひとり。彼の歌と言葉、不思議な視覚効果で構成されたこの異形のオペラは、しかし先行する作品『言葉の影、またはアレルヤ』とともに、声の生成やアルゴリズム(*)といった三輪作品の特徴的な要素を包括し、いみじくも2000年以降、デジタルという衣をまとって急速に前景化したテクノロジーと社会の在り方に向けて、予言めいたメッセージを放ち続けている。再演を前に三輪眞弘(上写真右)と演出を手がける映像作家の前田真二郎(同左)を、情報科学芸術大学院大学(IAMAS)に訪ねた。  

(取材・文・写真:逢坂聖也/音楽ライター)  
 

 

テクノロジーと人間の在り方を問う

 

 

 

このモノローグ・オペラ『新しい時代』と98年発表の『言葉の影、またはアレルヤ』は、三輪さん自身によって日本での活動のスタート地点となった作品、と位置づけられています。そのあたりの事情からうかがいたいと思います。 

三輪:18年住んだドイツから帰って、この情報科学芸術大学院大学(IAMAS)という新設の学校に勤めることになって、それはもう希望に燃えていた時期ではあったんですが、僕は僕なりに日本でどういう音楽活動をしていこうかっていう混乱も抱えていて、なかなか作品を作ることができなかったんですね。一方で帰国の前後には地下鉄サリン事件や神戸での児童連続殺傷事件があり、うわ、日本どうなっちゃったんだ、みたいな衝撃を受けた。そこで僕は自分が置かれた新しい環境と技術の中で何ができるかという試みとして、神戸の事件を題材に『言葉の影、またはアレルヤ』を作曲したんです。これは4人の奏者が4つの小型プロジェクターに映し出された楽譜を元にキーボードを演奏して、ノイズの中から「声」を浮かび上がらせるという作品で、この時に僕は日本での活動の第一歩を踏み出せたと感じていました。そこへオペラ作品の委嘱をいただいたんです。「歌手はひとり」とか「演奏は少人数」といった条件がありました。おそらく7人程度のアンサンブルと歌手ひとりのお芝居付きの作品、くらいのものをイメージされていたんだと思います。

 

 

その委嘱によって作曲されたのがモノローグ・オペラ『新しい時代』。宗教と神と死がテクノロジーによって結びつく物語が、非常に衝撃的です。

三輪:ある意味ではこのオペラもIAMASという環境がなければ作れなかった作品と言えるかも知れません。前作で蓄積した技術はあったし、当時はソプラノ歌手のさかいれいしうさんがたまたまここに学生として来ていて、前田さんもここで教えていて、という状況でしたから。台本は、僕がオウム真理教の事件の時に「ヘッドギア」や「洗脳ビデオ」といったまるで宗教性とは相反するようなテクノロジーが異様にしっくりと来る感じで使われていたことに驚きを覚えていたので、それを元に書きました。で、架空の宗教の儀式という設定はできたのだけど僕のイメージはまだ非常にあいまいで、それを前田さんが視覚化してくれたわけです。ですからこの作品の耳に聴こえる部分は僕の仕事なんだけれど、目に見える部分は全部前田さんの仕事、と言えると思います。

 

前田:僕は映像の仕事が主で舞台の演出は初めてでした。三輪さんのテキストと音楽を手掛かりに会場全体を架空の宗教儀式と設定して、まず舞台空間は、少年の部屋、4名のキーボード奏者の祭壇、大型スクリーンの3つを等分にレイアウトすることにしました。その大型スクリーンに舞台上での出来事を大写しにして信者-お客さまのひとりひとり-に見せてあげる、というアプローチを採りました。中央の灯籠型ディスプレイに現れる楽譜を映し出したり、今しゃべっている少年の表情をアップで映し出したり。最終的には主人公である少年がネットの世界に入っていってしまう話だったので、少年のリアルな身体と映像のコンポジション(構成、配置)を中心に、「存在」と「不在」を意識しながら演出を考えていったことを覚えています。

 

 

2000年 初演時写真より

 

テクノロジーと人間の在り方はその後も一貫して三輪さんのテーマです。この作品が17年後の現在、再演されることにどのような意味を見出していますか。

三輪:それについては色々と考えたんですが、やる側としての今の結論は「普通に再演」という風に考えています。もちろん当時のコンピュータはないので作り直しみたいなことは多いわけですけど、とは言えアップデートはしないし、ある意味でプッチーニのオペラを今、上演するのと同じような感覚で上演するんだと考えています。ただ世の中の方が今はテクノロジーというものについて「単なる便利なもの」ではない、ということに気づき始めたでしょう?ということなんです。

 

 

テクノロジーが人間の生活に奉仕するものではなくて、それ自体が増殖し始めている、という?

三輪:一般的に言えば「テクノロジーを道具として見なす」っていうスタンスが、今までの僕らの常識だったわけですよね。僕自身はずっとそうじゃないって言って来ているんですけれども。その「そうじゃない」ってことがはっきりしたって、僕は今思っているんです。テクノロジーそれ自体がとても自立的なもので、例えば今はもうiPS細胞から遺伝子操作とか、ゲノムの操作とか、平気でできるようになっている。テクノロジーが人間それ自体を改変する段階にまで来ているわけです。身近なところでは携帯端末をすでに僕らは手放せなくなっていて、多分人類は未来永劫、新しい知覚の延長として、そのような装置を持っていくでしょう。それはもう世界中のネットワークにつながっているわけですから、現在は「テクノロジーの発達の中に人間が生きている」と言った方がリアルだと思うんですよね。

 

 

『新しい時代』が予見した未来に近づいている感じもあります。 

前田:この作品を初演した2000年というのは、インターネットもまだブロードバンドが普及していない頃です。YouTubeもないし、もちろんスマートフォンもない。画像をネットでやりとりすることも一般的ではなかった。その頃と人間が肌身離さずスマートフォンと接している現在とを比べると、結局今は人間の方がテクノロジーに合わせて生活してるんじゃないか、と思うくらいの違いがあります。そういう時代の流れというのはこの作品の見られ方に、大分変化をもたらしていると思いますね。

 

三輪:よく言うんですが、今の人類はこれだけの人口を支えるということも含めて高度なテクノロジーとエネルギーがなかったら、もはや地球上に生きていけない状況になっている。原発事故の話も中東の戦争の話も、基本的にはテクノロジーの話です。こうしたテクノロジーへの地球規模での依存というような問題は、まだ2000年頃は見ないで済ませられたかも知れないから、当時は『新しい時代』って相当イカれた作品だという受けとられ方をしたと思うんですが、今見たら割合すんなり、そうだよね、みたいな雰囲気で理解されるのではないでしょうか。

 


*)特定の作業を実行するための定式化された手順、方法のこと。これを用いた作曲の方法を「アルゴリズミックコンポジション」という。