Prime Interview イサン・エンダースさん

ドイツの名門楽団「シュターツカペレ・ドレスデン」
首席を務め
バッハ「無伴奏組曲」全6曲で日本デビューする
俊英チェリスト イサン・エンダース

掲載日:2016年3月4日

2016年7月、ザ・フェニックスホールの舞台に大型新人チェリストが登場、バロックの大家J・S・バッハの名作「無伴奏チェロ組曲」全6曲を一日で一気に弾ききる。ホール音楽アドヴァイザーを務める世界的ヴィオラ奏者、今井信子の推挙によるリサイタル。弾き手はイサン・エンダース。ドイツのシュターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン歌劇場管弦楽団)の首席奏者に弱冠20歳で就任した逸材。同楽団はザクセン公国の宮廷楽団として創設されて以来、460年余の歴史と伝統を誇る。ヴェーバーやヴァーグナー、R・シュトラウス、ベームやシノーポリ、ハイティンクといった錚々たる大御所が指揮を執ってきた、正にドイツを代表する名門。ドイツ音楽の真髄を吸収し、入団4年後にソリストとして独立。ウィーン、ベルリン、プラハといった欧州の舞台で喝采と称賛を浴びている。今回の舞台は、文字通りの日本デビュー。彗星のような輝き・煌(きらめ)きを帯びた、俊英の肉声。
(インタビューと構成:あいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホール 谷本裕)

「コントラスト」目指して

 

 

 

シュターツカペレ・ドレスデンで4年間、首席チェロ奏者を務めました。
-ドレスデンでの日々は刺激的で、最も素晴らしい学びの時でした。音楽は大きい。たった一人のチェリストに出来ることは限られています。ヴァーグナーやマーラー、ベートーヴェンといった作曲家の壮大な作品にメンバーともども取り組み、独りで練習して身につけたことより遙かに多くを学べました。在籍中の学びを大切にしています。

 

 

実り多き「首席」経験

 

 

印象深かった指揮者を挙げてください。
-大きな刺激を受けたのは、ロリン・マゼールやジョルジュ・プレートルとのプロジェクト。またクリスティアン・ティーレマン(現・首席指揮者)の時代は、ワクワクするものです。彼の音楽作りは独特で、オーケストラはまるで生まれ変わったかのように意欲的になりました。ファビオ・ルイージが代役でプッチーニの『トスカ』を振り、ドラマティックな演奏をしたことも、決して忘れません。

 

 

同時代の音楽に積極的に取り組んでいますね。 21世紀のチェロ奏者として、どうありたいですか?
-私は自分自身を「建設者」のように感じています。音楽演奏に際し、自分なりに概念を作り、それを喜びや感動、知性で満たしていくのが好きなのです。特に大切にしている概念は「対照(コントラスト)」。私は、様々な作品を人々に伝えられる「媒体」になりたいと願っていて、ベートーヴェンやシューベルトといった古典を演奏するのと同じくらい、現代の作品も手掛けています。それだけの価値がありますし、自分自身が、あるいは音楽そのものが、進展し続けることはとても重要なこと。演奏活動の中で、古い作品と新しい作品を組み合わせることで、自分が大切にしている「対照」の大切さを示したい。クラシック音楽のマーケットは新しい音楽に対して、必ずしも協力的ではありませんけれどもね。

 

カザルスの本 契機に

 

 

今回、取り上げるのはバッハの「無伴奏チェロ組曲」全6曲。この曲はどういう経緯で知りましたか。
-大半のチェリスト同様、パブロ・カザルスの著作『光と影』で知りました。この本にすっかり魅了され、チェロとバッハを、より深く学びたいと思いました。そのしばらく後、アンナー・ビルスマのCDを手に入れ、何百回も聴きました。様々な声部が、たった一つの楽器から聴こえてきます。チェロはこんなにも美しく色彩豊かに響くのか。信じられない思いをしました。

 

 

お好きな録音は他にもありますか?
-特別な「お気に入り」はありません。ほとんど全ての録音が好きです。どの録音も、それぞれの演奏家の見解や結論があります。皆、努力を重ね、時間と労力を費やし仕上げたのです。ですから私はまず、一人のリスナーとして彼らの録音を楽しみます。アンナー・ビルスマやハインリッヒ・シフには、大きな影響を受けました。彼らには「独自の音」があります。また、ミッシャ・マイスキーのような、激しい感情の込もった録音も素晴らしいと思います。一番重要なのは、私が自分自身を知り、「自分の音」を見い出すこと。これに尽きます。

 

 

生演奏もたくさん聴かれたことでしょう。
-ナマでこの曲を聴いた経験は、正直なところ、ほとんどありません。聴きたくなかったからではなく、演奏される機会に恵まれなかったのです。一番最近の、そして印象に残ったほとんど唯一の例は、ヨーヨー・マです。演奏に魅了され、言葉を失ってしまいました。この組曲に含まれる特にいくつか作品は、極度の集中力を持って取り組むのが、とても難しい。でも彼は、それを成し遂げています。リサイタル全体が、まるで、バッハのひとつの作品のように感じられました。

 

 

「弾かねばならない」

 

 

そうした先達が演奏してきた中で、あなたはなぜ、この作品に挑もうと考えたのでしょう。
-どうしても弾かなければならない、と感じたからです。この挑戦は必須。音楽的な成長を期す上で、重要なステップでした。「聖典」とも言われるこの作品に向き合い、自分なりに斬新な見方、解釈を示す。それは、とても大きな充実感をもたらしてくれます。バッハを演奏するのは本当に難しい。でも私は彼の音楽と共に育ち、親しんできました。この種の挑戦は恐らく、生涯続くと思っています。

 

 

確かにあなたの演奏は、古楽の作法と、ロマン主義的な演奏が微妙なバランスで同居しています。作品に取り組む際は、どんな風に演奏をつくりあげたのですか。
-おっしゃる通り古楽奏者から学んだテクニックを使ってはいますが、用いたのは現代の楽器。そして現代の聴衆に向けて演奏しています。現代の演奏家は「古楽」の知識を備えつつ、現代のスタイルで演奏しなければなりません。私と、300年前の人々とでは、音楽の聴き方がそもそも違います。現代人は、昔と違う話し方、歌い方、踊り方をしているでしょう?音楽の捉え方も絶え間なく変化しています。私は、この組曲が帯びている、まるで何かを語り掛けてくるような性格と、歌心に溢れた性格、その両方を聴いて頂きたいと考えました。
 
 
チェロは基本的には、一つの旋律だけを奏でる楽器とされています。でもこの作品は複数の声部が書き込まれていて、まるで多声音楽のように響いてきます。演奏するにあたって、こうした特徴を持つ他の作品、たとえばヴァイオリンやフルートのためにバッハが書いた無伴奏作品も、参考にされたのでしょうか。
-ある作曲家について勉強する時はもちろん常に、より深く知る努力をします。バッハにはバッハにしかない、特殊な音楽上の「語法」があります。彼のコラールや受難曲、協奏曲やオルガン作品、更に合唱曲などを学ぶ事で、大きな力を得ることができるでしょう。ただ、たとえ彼の全作品を知り、また全てを学び尽くすことが出来たとしても、かつての彼と同じ語法を体現するのはおそらく不可能ではないか、と私は思うのです。

 

 

それぞれの組曲は、当時の欧州で親しまれた舞曲で構成されています。
-舞曲を編んで組曲に仕立てる。その手法は今日までしばしば使われています。バッハの全6曲は、楽章の数や舞曲の出て来る順番が共通しています。彼は実際に踊ることを想定して舞曲を作った訳ではないでしょう。組曲を構成する個々の作品を特徴付け、劇的な枠組みを与える。そうした様式化のため、舞曲を活用したのでした。

 

 

完成目指す過程こそ

 

 

6つの組曲を、何かに例えてみると。
-第1番「静かな作品。緑色。小石が風に舞っている」。第2番「事問いたげな作品。かすんだ黄色のよう。様々な音に満ちている」。第3番「荘厳な作品。トランペットが鳴り響く」。第4番「陽気。紫色」。第5番「闇。灰色、煙草の匂い」。第6番「壮大。青」、でしょうか。自分自身、この組曲全てを録音してみて、コントラスト豊かにこの大作を仕上げることがいかに難しいか分かっています。

 

その録音であなたは、いったん全てを録り終えた後、なんと最初からまたやり直したと聞きました。
-録り直しが受け入れられたことを、本当に感謝しています。画家が自作を何度も手直しし、描き直し、上から塗り直すのを見たことがあるでしょう?ミケランジェロのような巨匠に自分を重ね合わせる気は毛頭ないのですが、こうした営みは私たち芸術家には大切な作業の一つです。つまり、「磨き上げていく」のです。私たちは常に、完成を目指すプロセスに居ます。そしてその過程で思い掛けない事が起きたりもします。「出来あがり」が良いものである、とは必ずしも言えません。大阪の公演でも、そんな「現在進行形」の演奏を、楽しんで頂けたら嬉しいですね。

協力:AMATI