Phoenix Spot いちおし公演情報 2016年1月23日(土)レクチャーコンサート「ピアノはいつピアノになったか?」補遺

2016年1月23日(土) レクチャーコンサート 「ピアノはいつピアノになったか?」補遺
「ドビュッシーとピアノの謎」に推理で迫る
「音楽のシャーロック・ホームズ」
椎名亮輔さん 語る

掲載日:2015年9月18日

今回「ドビュッシーとピアノの謎」と題して、同志社女子大学学芸学部音楽学科教授の椎名亮輔さんが、ドビュッシーが所有していたとされるピアノと同種類のピアノの演奏(野原みどりさん=京都市立芸術大学音楽学部准教授)とともに、講演をなさいます。その演奏つき講演の聴きどころについて、プレスク・リヤン協会広報担当の萩野玲子さんがインタビューをしました。

ブリュートナーで「響き」に覚醒?

 

講師の椎名亮輔さん(右)と演奏の野原みどりさん(中央)。奥のピアノが公演で用いるブリュートナー。 左は、修復を手掛けた山本宣夫さん(フォルテピアノ ヤマモトコレクション主宰)=2014年12月10日、堺市

講師の椎名亮輔さん(右)と演奏の野原みどりさん(中央)。奥のピアノが公演で用いるブリュートナー。 左は、修復を手掛けた山本宣夫さん(フォルテピアノ ヤマモトコレクション主宰)=2014年12月10日、堺市

 

 

 

 

萩野(以下H)「先生、今回は先生の昔からのご専門のドビュッシーについての講演ですね。」
椎名(以下S)「いや、昔からといっても、修士論文で彼の音楽への東洋の影響を論じて以来、きちんと研究をつづけてきたわけではないので……。その後は、もっと現代音楽、たとえば、萩野さんの属しておられるプレスク・リヤン協会の活動対象であるリュック・フェラーリ(*)とかを研究していました。そのうえ、最近はスペイン音楽の方に興味が向いてしまっていて……。」
「今回の講演で使われるのが、ドイツのライプチヒのピアノ・メーカー、ブリュートナーのピアノです。それもやはり20世紀はじめのものが日本にあったんですね。それを堺のヤマモトコレクションの山本宣夫さんが修復してくださったんです。」
H「それはドビュッシーが使っていたピアノと同じものなのですか。」
S「そうなんです、というよりも、もっとすごいのは、ドビュッシーは当時めずらしい(今もめずらしいですが)アリコートという高音部の響きを増加するための装置、これは従来の弦の上にそれ自体は叩かれない共鳴弦をはるというものですが、これをつけた楽器をもっていたんですね。そして、そのアリコートつきの楽器がヤマモトコレクションにあったんです。」
H「それはすごいですね。この装置をつけると音はどうかわるんですか。」
S「今もいったように、本来ピアノの高音部は弦の数が少なくなるために、つまり一つの音に対して低音部は3本、中音部は2本、高音部は1本の弦がはってありますから、音が高くなればなるほど、響きは少なくなっていくわけです。アリコートという装置は、その響きがやせてしまっている高音部の響きを豊かにする効果があるわけです。」
H「ドビュッシーはフランスの作曲家ですから、もともとはフランスのピアノを使っていたんでしょうね。」
S「プレイエルですね。そして、このブリュートナーのピアノを手に入れたのが、1904年、2番目の夫人となるエンマ・バルダックとの「愛の逃避行」、つまりその時は彼らはそれぞれに別の人と結婚していましたから、ダブル不倫の旅行で、ジャージー島に旅行にいって、そこでこれを買ったといわれています。つまりこのころドビュッシーは新しい女性と新しいピアノを手に入れた。」
H「そして、新しい音楽も?」
S「そこなんです、問題は。たしかにこのころをさかいにして、彼のピアノ音楽はがらっとかわる。その前のいわばやや古典的な《ベルガマスク組曲》とか《ピアノのために》とかがあまりピアノの響きそのものをきかせるタイプの音楽ではなかったのに対して、その後は、《版画》であったり、《映像》であったり、いわゆる印象主義的といわれる、鍵盤全体の豊かな響きをきかせるタイプの音楽に変化するんです。」
H「もうこれはきまりですよね。」
S「ところがどっこい、そうともはっきりとは言えないんです。ドビュッシーは晩年にベヒシュタイン・ピアノを持っていたと言われているんですが、それだからといって、作品がなにか変わったということはないですよね。いや、あるかもしれないけれど、そのあいだの影響はよくわからない。」
H「ベートーヴェンなどだったら、ピアノのペダルの効果がものすごく変わっていたり、それこそ音の数が増加していたり、もっとはっきりと目に見えるかたちで、音楽の変化がピアノの違いで説明できますよね。」
S「ピアノの響きの変化というのは言葉にするのがむずかしい。ドビュッシーの作品の初演を多数手がけたリカルド・ビニェスというピアニストの証言や、ドビュッシーにピアノ演奏アドバイスを貰ったマルグリット・ロンなどの証言も参考にしながら、慎重に捜査を進めなければなりません。そして、もちろん、ドビュッシー本人の証言も。」
H「まるで推理小説ですね。」
S「まさしく、そのとおりで、音楽学、ひいては人文系諸学一般にいえるとおもうんですが、確かな証拠物件や証言を集めて、それらをもとに、いかに論理的に推論をつみかさねていくか、が重要で、これはまさしくシャーロック・ホームズ、エルキュール・ポワロ、エラリー・クィーン、明智小五郎………。」
H「あ、もういいですから……。」
S「あ、すいません、つい興奮して。」
H「今回は、重要な証拠物件としてアリコートつきブリュートナー・ピアノの現物というものがあるわけですね。そして、ドビュッシー、ビニェス、ロンなどの証言があり……」
S「さらには、当時のドビュッシーをめぐる状況証拠も視野にいれなければならないでしょうね。愛の逃避行だとか、それにちょうど畢生の大作《ペレアス》の初演が1901年で、それによって、なにかふっきれた感がありますよね。次の大作《海》が書かれつつあります。」
H「ドビュッシーって海が好きですよね。愛の逃避行の行き先も島だったし……」
S「そのころのピアノ曲の名曲に、ヴァトーの『シテール島(恋人たちの島)への船出』に霊感を得たといわれる《喜びの島》があります。これも野原さんに演奏してもらうつもりです。当時のドビュッシーの心境をよく象徴していますよね。ただ、調整されているとはいっても、100年前のピアノではなかなかアクションなどが思うようにならないので、野原さんは苦労なさっていましたが、山本さんの調整により、その問題も解決されつつあります。彼女の、そのような目に見えない苦心をのりこえた演奏も今回の「ききどころ」ですね。」
H「ドビュッシーの有名な言葉に「沈む夕陽をながめる方が《田園交響曲》を聴くよりもよい」というのがありますね。」
S「そして「音楽創造の秘密には、海のざわめき、葉ずえをわたる風、鳥の鳴き声がある」とも、ね。」
H「今日はありがとうございました。先生のご講演、野原先生のご演奏、とっても楽しみです。」

 

 

(*)
リュック・フェラーリ Luc Ferrari (1929~2005)フランスの現代音楽作曲家。椎名はフェラーリ夫人ブリュンヒルド女史の協力を得て、現在、彼についての書物出版を計画している。