Prime Interview セルゲイ・カスプロフさん

鬼才 アファナシエフが絶賛
11月日本デビューするロシア出身ピアニスト
セルゲイ・カスプロフさん

掲載日:2015年8月6日

作品への深い洞察力と確かなテクニックを土台としつつ、豊かなコントラストに彩られた個性的な響きの世界を構築して話題のロシアのピアニスト、セルゲイ・カスプロフが11月に初来日。ザ・フェニックスホールの注目アーティストシリーズに登場し、ムソルグスキー《展覧会の絵》にストラヴィンスキー《ペトルーシュカ》からの3楽章、ラフマニノフとスカルラッティのソナタなどを配した独創的なプログラムに挑む。文筆も手掛けるロシアの巨匠ピアニスト、ヴァレリー・アファナシエフをして、自著『ピアニストのノート』で「現代の若手奏者でベスト」と激賞せしめたことから、一気に注目度が高まった実力派。「私にとって、コンサート自体がコミュニケーションの手段であり、聴衆に対するメッセージ。だから、言葉によるメッセージは、意味を成さない」「舞台芸術の主流からは、常に一線を画したい」…音楽について語った骨太な言葉の数々は、アファナシエフに続く鬼才の出現を確信させる。
(取材・文:寺西 肇/音楽ジャーナリスト)

 

 

 

 伝統に背 演奏に迷いなし

 

 

‐今回のリサイタルで取り上げる作品について、選曲の意図とは。特にスカルラッティだけが、少し異質な感もありますが…。
 私にとって、作曲者の国籍による音楽の関連性は、作品の間に存在する音楽的な繋がりほど重要ではありません。ですから、演奏会のプログラムを構成する場合にも、音楽的な論理に基づくように心がけています。例えば、スカルラッティのソナタは、反復構造を基本とした、とても特殊な語法を用いている点で、ストラヴィンスキーの作品と強く関連付けられます。そして、《ペトルーシュカ》と《展覧会の絵》は、一種の抽象的とも言えるピアノの特殊な用法によって、私の頭の中では、とても近しい存在です。ここで、ピアノは単に色彩感を表現したりするという以前に、音楽を伝達する第一の“手段”として取り扱われています。さらに、当然のことながら、ラフマニノフのハーモニーの語法は、ムソルグスキーと多くの関連性を持っていますよね。

 

 

‐初めての来日公演。日本にはどのようなイメージがありますか。
 日本には、まだ行ったことすらありません。ですから、私のこの国に対する主なイメージは、映画や文学に基づいています。そして、残りは、これまでに私が日本について見聞きした、様々な印象を寄せ集めたコラージュのような感覚、と表現できましょうか。

 

 

‐今回の来日では、ラフマニノフ《パガニーニの主題による狂詩曲》で東京交響楽団とも共演されます。オーケストラとの演奏とソロ・リサイタル、演奏への意識は違ってきますか。
 オーケストラとの共演は、ピアノとオーケストラ、あるいはソリストと指揮者が拮抗して協奏する類のものではない。当然ですよね。この場合、ピアノはオーケストラの楽譜の一部を担って、有機的に絡み合うと同時に、決して陰に隠れるようなことがあってはならない。そういったオーケストラとピアノの共演に比べると、ソロ・リサイタルは当然ながら、自分自身で全ての有機的な構造を感じ取ってゆかねばならない訳で、一種の「公衆における孤独」とでも申せましょう。

 

 

 

‐音楽との出会いは?
 どちらかと言えば、自発的でしたよ。物心が付いたばかりの幼い頃から、とにかく音楽を聴くのが好きでたまりませんでした。私が聴いていた“メニュー”は幅広くて、クラシックから、ロックやポップスにまで及びました。いいや、単にビニール製のターンテーブルが好きだっただけかも分かりませんが…(笑)。当然ながら、「即興演奏」にも挑戦しましたよ。でも、その時は誰も楽譜の読み方や演奏の方法を教えてくれず、ピアノをでたらめに叩いたりしているだけでした。本格的な教育を受け始めたのは、今日の幼児教育の常識からすればかなり遅い、6歳頃のこと。それも、才能の片鱗すら見せずにいて、とても長い間、私は本格的な作品に取り組むこともなかったですね。

 

 

 

 

‐プロの演奏家になろうと決心したのはいつ、どんなきっかけから?
 12歳の頃に、オルガンも習い始めました。そしたら、私はたちまちこの楽器と恋に落ちて(笑)、数年後には「絶対オルガニストになる。他には考えられない」と決めてしまいました。当時の私は、かろうじてオルガンと呼ぶことができるような、ちゃちな楽器を弾いていたので、思い出すのも恥ずかしいんですが…だって、側面にアンプが付いていて、時間が経つごと、音が鳴らない鍵盤がどんどん増えていったんですから(笑)。でも、私の熱中ぶりたるや、物凄かった。お陰で、ピアノとオルガン、両方の本格的な勉強を続けられたんです。もちろん、ピアノは全ての基本ですから、そちらに力を入れざるを得ませんでした。さらに、私の次の“革命”は、ウラディミール・ホロヴィッツの弾くラフマニノフの録音を聴いた瞬間に訪れました。ピアノ演奏と音楽的なテクストに対峙する姿勢が、それまでに私が教わり、聴いて来た他のどの演奏家とも、全く違っていることを実感しました! その時こそが、まさにピアノ演奏とは何かを悟った瞬間だったのです。

 

 

 

‐ロシア・ピアノ楽派の伝統を意識しますか。
 音楽に限らず、あらゆる場から伝統と言う存在は、むしろ消え去りつつあると私自身は感じています。例えば、もしもラフマニノフや、アントン・ルビンシテイン(※1)に学んだホフマン(※2)らロシア・ピアノ楽派の伝統に基づく見事な模倣をしてみせたとしても、もはや今日のピアノ演奏の主流にはなり得ないし、それどころか、完全に逆行するようにすら、思えるんです。

 

 

あなたがピアノを演奏する上で、最も大事にしていることは?
 音楽することに迷いを持たず、楽器の助けを借りようとしないことですね。

 

 

‐歴史的鍵盤楽器も学ばれましたが、モダン演奏にも生きていますか。
 もちろん、私はその影響を強く感じています。アーティキュレーション、アゴーギグ…歴史的奏法から現代のピアノ演奏へと移殖することが可能な要素が、いかにたくさんあることか。例えば、チェンバリストのアゴーギグは、100年前のピアノ奏法と極めて近いように思えます。古楽はまた、音楽の捉え方と理解の方法を変化させてくれます。概して、現代奏法よりも“重さ”がなく、陳腐な表現に陥ることがありません。

 

 

 

‐ジャズやロックも、お好きだそうですね。
 ジャズやロックは、今日のクラシック演奏家のパフォーマンスよりも、音楽の本質に近いように思えます。すなわち、作曲が極めて知的な生産行為に変化する以前の、もっと作曲・演奏と言う自発的な音楽創りにより近い。もっとも、私が心酔しているアート・テイタム(※3)は例外としても、ジャズが私のピアノ演奏に直接の影響を与えているかどうかは、定かではありません。しかし、私にとって、ジャズやロックを聴くことは、作品へ対峙する自分の姿勢を大きく修正するほどの、ある種のひらめきをも時には与えてくれる。例えば、ロックやミニマル・ミュージックを聴いたことで、私が《ペトルーシュカ》の解釈を変化させたのは確かです。

 

 

‐かつてアファナシエフは、私に日本語の「間(ま)」という言葉を使いつつ、音楽における静寂の重要性を強調しました。そして、彼が絶賛したあなたの録音からも、私は「間」を感じ取りました。
 私は、まだ音楽の「間」について論じる資格はありません。ただ、私が知る限りでは、この言葉は音楽よりも、視覚的な構成との結びつきが強いように考えています。もちろん、音楽について論じる場合、音楽と演奏者の間に存在する、広い効果について、この言葉を使うべきなのかもしれません。でも、私はもう少し、単純に考えてみたい。私たちがすべきことはただ、音楽と静寂、響きと無音のバランスを取ることです。そして、この静寂の間にも響きを待って集中し、音楽の勢いを持続しなければなりません。音楽創りの感覚とは、この静寂における「高いヴォルテージ」に根差しています。この点で、グレン・グールドは完璧でした。アファナシエフは、自身で実践しています。そして、アンドレイ・タルコフスキー(※4)は映画において、これを「時間感覚の勢い」と表現しました。

 

 

‐これから挑戦したいレパートリーは? 現代の作品は、如何でしょう。
 やりたいことは、たくさんあります。全部やるだけの時間を与えられることだけが、私の願いなのですが。20世紀の作曲家の中で、いま最も興味のある1人を挙げるとすれば、シェーンベルクですね。

 

 

‐目指す演奏家像とは。
 将来について語るのは、実は好きではないんです。どう物事が移り変わってゆくか、誰にも分かりませんから。ただ、舞台芸術の主流や今日のピアノ・コンクールから生み出される全てのもの、そして、消えゆく伝統や演奏スタイルから距離を置き続けることだけは、確かですね。

 

 

 

 

※1 Anton Rubinstein(1829~94)。ロシア・ピアノ楽派の祖の1人とされる大ピアニストで作曲家。
※2 Josef Hofmann(1876~1957)。ポーランド出身のユダヤ系アメリカ人ピアニスト。ルビンシテイン唯一の弟子であるため、演奏家としては、ロシア楽派直系とされる。
※3 Art Tatum(1909~56)。アメリカのジャズ・ピアニスト。視覚障害がありながらも超絶技巧で、ホロヴィッツらクラシックのピアニストからも称賛された。
※4 Andrei Tarkovsky(1932~86)。旧ソ連の巨匠映画監督。代表作に『僕の村は戦場だった』(62)や『惑星ソラリス』(72)などがある。