Prime Interview 渡邉規久雄さん

フィンランドゆかりの名ピアニスト
シベリウス作品を特集して7月マチネに登場
渡邉規久雄さん

掲載日:2015年5月21日

〈真夏のシベリウス〉とは涼しげなコンサートだ。北欧フィンランドの作曲家ジャン・シベリウスが残した、愛すべきピアノ独奏曲の数々──爽やかな美しさと澄みわたる抒情が、ふかい透明感と共に響くひととき。フィンランドの血を引き、この作曲家をとりわけ得意とするピアニスト・渡邉規久雄が選りすぐった、シベリウス珠玉の作品たちをお届けする。森と湖の国が育んだ自然……厳しい冬に凛と耐えた樹々の静かな立ち姿に優しさや孤独を見出し、春を迎えてほころぶ可憐な花の香りに愛情を寄せる小品たち。その清々しくも気品高いピアノ曲は、鍵盤に豊かな彩りも広げながら、暑い夏にも気持ち良い風を感じさせてくれるだろう。オリジナル作品集だけでなく、名作《フィンランディア》など広くおなじみのオーケストラ作品からの編曲も加えて、北欧の巨匠が残したピアノ曲の小宇宙にじっくりと聴き惚れる。コンサートを前にピアニストにお話を伺った。
(取材・文・写真:山野雄大)

父譲りの「ライフワーク」

 

生誕150年の節目に

 

フィンランドは北国で冬と夏の差がとても激しいですから、長い冬はずっと真っ暗で、夏はずっと明るい。ですから、夏への憧れが日本よりも遥かに強いんです。それは音楽にもよく表れていますね」と渡邉規久雄は穏やかな微笑みと共に語る。「シベリウスにも夏への讃歌といった印象を与える曲が数々あります。彼は1957年まで生きていましたから、現代的な曲なのかな?と思われるかも知れませんが、全然そんなことはなく、古風で聴きやすい曲ばかりです」

 

 

 今年はシベリウス生誕150周年。記念の年とあって、交響曲やヴァイオリン協奏曲などオーケストラ作品は常にも増して演奏機会が多いけれど、ピアノ曲を聴けるのは貴重な機会。というのも、シベリウスはピアノのために大規模なソナタや協奏曲を残さなかったためか、手がけるピアニストが限られているのだ。

 

「シベリウスにはピアノのための大曲が全然ないんです。森の中を歩いているときにちょっとスケッチした、というような感じの曲が多いんですよね。ですから、良い曲がたくさんあるのになかなか演奏されない。最近まで楽譜の入手も簡単ではなかったのも影響しています」

 

 

身近だった北欧音楽

 

 

 そもそも渡邉規久雄とシベリウスのご縁は浅からず…彼の祖母はフィンランド人声楽家。その息子(規久雄氏の父)が、故・渡邉暁雄。日本とフィンランド両国の血を引く指揮者として、数々の北欧音楽を日本に紹介した功労者だ。なかでもシベリウスは得意中の得意、自ら創設した日本フィルハーモニー交響楽団と共にシベリウス交響曲全集録音を2度も完成させ、後に日本シベリウス協会も設立。生涯を通してこの作曲家の魅力─抒情の深奥、研ぎ澄まされた孤高の境地を広く知らしめた。

 

 

「子供の頃から日本フィルの練習場に連れていってもらってましたから、シベリウスの交響曲などどれも聴き覚えがあるような環境でした。ただ、父の存命中にシベリウスについて習ったことはほとんどありません。私自身がまだ彼のピアノ曲の魅力に気づいていなかったこともありますが、もっと訊いておけばよかったなぁと今にして思いますね」

 

 

 しかし、幼い頃からこの作曲家の音宇宙と親しんでいた渡邉規久雄が、1976年のデビュー以降、シベリウス作品も重要なレパートリーとしたのは自然な流れだったろう。国内外で精力的な演奏を繰り広げるなか、オール・シベリウス・プログラムによるリサイタルも数々開催。ライヴ録音によるシベリウス・ピアノ作品集はこれまでCDで3タイトル発売され、シベリウス・ヴァイオリン作品集(共演:佐藤まどか)も2タイトル、いずれも好評を博してきた。

 

 

技巧より澄んだ響きへ

 

 

 今夏、ザ・フェニックスホールで開催されるリサイタルでは、シベリウス愛好家にも深く愛される名曲・重要作の数々を披露する。《樹の組曲》作品75と《花の組曲》作品85、フィンランドの自然に寄せる情感を美しく響かせる2つの組曲は、シベリウスの独奏曲でも最も広く知られるが、意外に「実はまだリサイタルで弾いたことがないんですよ!」と渡邉。今回の大阪公演が名匠の貴重な初披露だ。

 

 

「今回取り上げる中期から後期にかけての作品は、タイトルこそついていても、標題音楽というより絶対音楽に近いと思います。若い頃の小品には、ヴィルトゥオーゾ的なところもあるんですが、歳を重ねてそういうところがどんどん無くなり、純粋に〈音楽だけ〉になっていく。そこに本当のシベリウス的なものが表れているように感じます。交響詩《トゥオネラの白鳥》で有名なイングリッシュホルンの長く美しい独奏がありますね、ああいう歌に似たものがピアノ曲にもずいぶん出てくるのです。金管楽器のファンファーレ的な響きではなくて、木管楽器が和音を重ねながら歌っているような…。ですから、ピアノからそのままオーケストラに直しても曲になるようにも思えますし、どちらかというと声楽の音楽会のような印象を受けるかも知れません」

 

 

 ピアノ曲で有名な他の作曲家とはひと味もふた味も異なる、シベリウスならではのピアノ書法の豊かさだ。磨き抜かれた交響曲第6番を書いていた頃の〈5つのロマンティックな小品〉作品101(これまた珠玉の小品集!)でも、創作後期の心境を味わえる。

 

 

「たとえばショパンやリストのピアノ曲は、楽器の良さを完全に発揮するように書かれていますが、シベリウスのピアノ曲にはそういう効果を狙ったところがない。ところが、楽器の一番低い音から高音までとても広い音域を使って書いている。だから弾きにくい(笑)」

 

 

 派手な技巧をひけらかすことなく、しかし、豊かな技巧を澄んで深い独特の響きへ結晶させるように…。シベリウスを熟知する名手にしか生み得ない音世界だ。

 

 

オーケストラの有名曲も

 

 

「彼のピアノ曲で一番大切なのは、今回後半に弾く〈3つのソナチネ〉作品67だろうと思いますが、彼が絶対音楽にかけた思いがよく表れています。タイトルからは学習用の曲というイメージがあるかも知れませんが、全然そんなことはないんです。ピアニスティックな華やかさがないので、どこが難しいのかと思われるかも知れませんが(笑)。─シベリウスはヴァイオリニストになろうとした時期があったくらいヴァイオリンの上手い人でしたし、ピアノも相当弾けたと思います。昔、シベリウスがピアノを弾いている映像を観せていただいたことがあるんですが、無音ながら手が映っているので、彼はとても弾きにくい部分もかなり良く弾いているのが良く分かりましたね」

 

 森の散歩道でふと生まれたようにきこえる曲にも、卓抜な精緻が磨き込まれているのだ。さらに、リサイタルの最後では、オーケストラ曲として有名な《悲しきワルツ》と交響詩《フィンランディア》のダイナミックな編曲も。

 

 

「《フィンランディア》はシベリウスがピアノのために書いた楽譜の中では最も効果的なもの。音型などピアノに合わせて原曲から多少は変えられているんですが、ここにも彼の精神的な深さが表されています」

 

 

 力強さと深さ、繊細さと優しさ─舞台と客席も近く親密なザ・フェニックスホールの空間で聴くにふさわしい。

 

 

「このホールでは妻の寺田悦子と2台ピアノで弾かせていただくことはあるのですが、ソロのリサイタルは今回が初めてです」とピアニストも楽しみにしているところ。真夏のシベリウス、魂の孤高と抒情を美しく極めた音楽が、きっと余韻まで美しく響くことだろう。