キム・スーヤンさん インタビュー♪

ヨアヒム国際コンクール優勝、巨匠指揮者と共演、名門レーベルからCD

掲載日:2014年9月22日

 

26歳が挑む、ブラームス

9月30日(火)夜、キム・スーヤン ヴァイオリンリサイタル

 

 ヨハネス・ブラームス(1833‐1897)。ハンブルクに生まれ、ウィーンで活躍。ドイツ・ロマン派を代表する、作曲家として名高い大家である。重厚で豊かな感情表現で書かれた名作の数々は、昔も今もクラシック音楽の主要なレパートリーだ。数多い彼の室内楽作品の中で、ひときわ強い光を放っているのが、3曲のヴァイオリンソナタ。いずれも極めて完成度が高く、まとめて演奏するには弾き手の音楽性や技量が求められる。そんな傑作に9月30日(火)夜、ヨーロッパで注目を浴びる26歳の女性ヴァイオリニストが挑戦する。キム・スーヤン。ヨゼフ・ヨアヒム、レオポルト・モーツァルトといったドイツの国際コンクールで優勝、クルト・マズアやエリアフ・インバルといった巨匠指揮者と共演を重ね、著名レーベルのドイツ・グラモフォンからCDを発表するなど近年、頭角を現す名手だ。今回は、ザ・フェニックスホール音楽アドバイザーの今井信子さん(ヴィオラ)が推挙した。ピアノは関西を拠点に活躍する実力派の児嶋一江(相愛大学教授)。彼女たちにとってのブラームス、あるいは作品観をメールで聴いた。

 

秘めた優しさ 大家の「素顔」

 

ブラームスの「ヴァイオリンソナタ」3曲すべてを、一晩で一気に弾く。私にとっては、初の試みです。自分自身に関わりの深い韓国と、お隣の日本の双方で演奏でき、とても嬉しいです。光栄にも思っています。私は、この3曲がずっと好きでした。去年、彼の残した書簡集をじっくり読む機会があり、ブラームスの人となりを、かなり深く知ることができました。文面から浮かび上がってくる彼の「顔」。それは、彼の音楽を単に聴き入っているだけでは、絶対に思い浮かばないような意外なものでした。

 

ブラームスjpg

ヨハネス・ブラームス

 

ブラームスはとても優しい人でした。また、とても注意深く、自身の音楽に全く自信を持てないような面もありました。最初の交響曲(ハ短調 作品68)を書くまでに、とても長い時間を要したことは、よく知られています。この曲が出来た頃、彼は既に著名な作曲家として知られていました。なのに、彼はこの作品をウィーンやライプツィヒといった大都市で初演するのは、どうも気が進まなかったんですね。それで小さな町で、無名のオーケストラとの演奏を好んだのでした(*1)。そして、自分の音楽を確かめ、聴衆がどう反応するかを見てみたのです。ブラームスにまつわるこんな話を知るうち、私は彼の音楽の感覚を理解できるようになったのかもしれません。彼の音楽を、以前より身近に感じることが出来るようになりました。

 

慰め

 

 彼の「ヴァイオリンソナタ」(下記の表参照)は、3曲とも異なる状況で書かれていて、性格もとても違います。例えば第1番ト長調 「雨の歌」 作品78。この曲は、ブラームスと親しかったクララ・シューマン(※2)が、息子の一人フェリックスを亡くした折、書かれていました。フェリックスはブラームスにも近しい青年でした。ブラームスは、この曲の第2楽章(アダージョ)を彼女の慰めとして、また自らの感情を表すために作曲しています。楽譜を作曲者から贈られたクララは、「曲を最初聴いた際、涙を流した」とブラームス宛の手紙で綴っています(*3)。
このソナタは全体が、彼女の大好きだったブラームスの歌曲「雨の歌(作品59の3 詞:クラウス・グロート 1873 年〉の主題に基づいています。しかし、私の意見ではブラームスはこのソナタで、もともとの歌曲が帯びていた音楽的な性格に、明朗さを幾ばくか付け加えています。それはとりわけ、この歌曲の主題を基に創られた第3楽章で、はっきり表れていると思うのです。

 

      クララ

    クララ・シューマン  
 
 
 
  

  ブラームス表2

 一方、ソナタ第2番 作品100のソナタは、イ長調で書かれています。第1番から7年後の1886年夏、休暇中の作品でした(*4)。この曲の性格は、第1番とはまるで対極にあると言っても良さそうです。このころブラームスは、ある女性と恋に落ちており、希望と活力に満ち溢れていたのでした(*5)

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 ソナタ第3番 作品108は、この3作品の中ではたぶん、最も高度なテクニックを要するといって良いでしょう。まるで協奏曲のような音楽です。かなり大きな会場で演奏されることが前提となってたのではないでしょうか。これまでの2曲は3つの楽章から成る作品でしたが、この曲だけは4楽章から出来ています。そして、それぞれの楽章に、特有の表現がはっきりと出てくるのです。ブダペストでの初演の際は、ブラームス自身がピアノを弾いていました。曲は、親友のハンス・フォン・ビューロー(*6)に捧げられています。

友人

  ブラームスにとって、この3つのソナタは心底、大切なものだったと私は考えています。すべてが友人のために書かれているのです。これは彼一流の、友に向けた感謝の証なのではないでしょうか。ブラームスがヴァイオリンのために書いた作品を見れば分かることですが、これらのソナタには名手ヨーゼフ・ヨアヒム(*7)の影響を見てとることが出来ます。彼はブラームスがヴァイオリンという楽器の特性を深く理解するよう、しばしば助言したことで知られています。そうした営みが、この3つのソナタを実際に演奏される作品として、極めて偉大なものへと押し上げています。
ブラームスが手掛けた他のソナタ同様、彼はこの3曲のソナタの冒頭で、ピアノの重要性を明示しています。というのも、これら作品の正式なタイトルは、「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」なのです。ピアノを、ヴァイオリンよりも先に掲げているのです。モーツァルトやベートーヴェン同様、ブラームスもピアノに向かって作曲しました。作曲家がヴァイオリンよりもピアノに親しんでいたことを、よく理解しておくべきでしょう。

 実際ブラームスの音楽では、私の受け持つヴァイオリンのパートは、最初にピアノパートが奏でる音楽を受け止めて、それに応答する中で表現することがとても多い。もともと主題旋律の多くは、ヴァイオリンよりもピアノで演奏された時の方が、流れがハッキリ分かるものでもありますし、ピアノがより重要な役割を担っていることは言うまでもありません。私自身は、ピアノがうまく弾けません。ですからパートナーであるピアニストの方を、ふだんから尊敬しています。

 ピアノと

今回に限らず室内楽の演奏では「対話」、つまりパートナーがそれぞれの音楽をよく聴いて、それに応答することが最も大切です。お互いに「絆」を感じ、一つの音楽を真実、一体となって呼吸できた時、生まれる「完璧な調和」の感覚。これ以上の喜びはありません。大阪で、児嶋一江先生とご一緒出来るのを、楽しみにしています。
(構成:あいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホール)


(*1)着想は1855年。初演は1876年11月で、約20年を費やしたことになる。初演地は、南独カールスルーエの宮廷劇場、演奏は宮廷劇場管弦楽団。指揮は前年までウィーン・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督を務め、当時カールスルーエ宮廷楽長だった友人のオットー・デッソフ。その後は、マンハイム、ミュンヘン、そして12月にはウィーンで演奏された。
(*2)1819‐1896 当時の代表的なピアニスト。作曲家ロベルト・シューマンの妻。ロベルトの死後も、ブラームスとは強い絆で結ばれていた。
(*3)1879年7月10日付のクララ・シューマンからブラームスに宛てた手紙には「あなたのソナタ(作品78)にどんなに深く感動したか、一言お知らせいたします。今日受け取りましたので、むろんさっそく弾いてみましたところ、嬉しさに私はひどく泣いてしまいましたの」と記されている。(ベルトルト・リッツマン編 原田光子編訳 『クララ・シューマン ヨハネス・ブラームス 友情の書簡』 2012年 みすず書房 を参照)ブラームス 友情の書簡』 2012年 みすず書房 を参照)
(*4)5月末から10月初めまで、スイス中西部インターラーケンの名勝トゥーン湖畔で過ごした。
(*5)20歳以上年下で、才能と才気に恵まれたアルト歌手、ヘルミーネ・シュピースと思われる。
(*6)1830‐1894 ピアニスト・指揮者。1864年ミュンヘンの宮廷歌劇場音楽監督。ヴァーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」などの初演を手掛けた。のちマイニンゲンに移り、ブラームスの作品を公開公演で取り上げるなど、積極的に支援した。
(*7)1831‐1907 19世紀を代表するヴァイオリニスト。ブラームスの親友で、ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77(1878年)をブラームスの指揮で初演している。

 

 

■公演情報
「キム・スーヤン ヴァイオリンリサイタル」2014年9月30日(火)午後7時開演。ピアノは、相愛大学教授の児嶋一江。入場料3,000円(指定席)、ザ・フェニックスホール友の会
会員2,700円。学生1,000円(限定数。ザ・フェニックスホールチケットセンターのみのお取り扱い)。チケットのお問合せ・お申し込みは、ザ・フェニックスホールチケットセンター

TEL 06-6363-7999(土・日・祝日を除く平日の10時~17時)。

20140930キムインタビュ

キム・スーヤン Suyoen Kim (ヴァイオリン)
ドイツに拠点を置く、国際的な韓国人ヴァイオリニスト。1987年ミュンスター生まれ。5歳でヴァイオリンを始め、4年後にデトモルト音楽大学ミュンスター校特別年少学生としてヘルゲ・スラートに師事、2008年に同校卒業。ミュンヘン音楽大学でアナ・チュマチェンコに学び、10年に修士号取得。12年夏までクロンベルク・アカデミーで研さんを積んだ。03年独アウクスブルクのレオポルト・モーツァルト国際コンクールで優勝、併せて聴衆賞と現代音楽最優秀演奏賞を受ける。06年、ハノーファーのヨゼフ・ヨアヒム国際コンクールで優勝。09年にはベルギーのエリザベート王妃国際コンクールで4位入賞。ソリストとしてクルト・マズア、エリアフ・インバル、チョン・ミュンフン、ペーター・ルジツカ、ワルター・ヴェラーといった国際的指揮者と共演。ドイツ・カンマーフィル、コペンハーゲン・フィル、ストラスブール・フィル、ソウル響などに招かれている。ドイツ・グラモフォンのアーティストとしてモーツァルトのソナタ集(10年)とバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(11年)をリリース。ベートーヴェンの協奏曲が近くリリースの予定。ライナー・キュッヒル、イダ・ヘンデル、エリザベス・ウォルフィッシュらのマスタークラスを受講。05・06年には小澤征爾に招かれ、スイスの国際音楽アカデミーに参加。使用楽器はポーティゴン・アーゲー銀行提供の1684年製ストラディヴァリウス「エクスクロアール」。キム・スーヤンオフィシャルページ

 

公演に寄せて

 夏の間、自然の威力を思い知らされる日々が続きましたが、やっと爽やかな秋の気配が心地よく感じられる季節になりました。

 

 J.Brahmsの円熟期から晩年にかけて、夏から秋に変わりゆく美しい自然の中で作曲された3曲の《ピアノとヴァイオリンの為のソナタ》には、彼の異なった魅力が満ち溢れています。明るく美しい曲想、豊麗な旋律、力強く厳しい表現、人生に対する諦観が強く現れた音楽、、、、、

 

 公演冒頭、ソナタ第1番 G Durの第一楽章は、ピアノの和音だけで静かに始まります。その響きはまるで、ピアノであってピアノではないかのような、また張り詰めているけれど同時に安らぎにも満ちた不思議なハーモニーです。

 

 私はこの部分を演奏する度、言い表しようのない、大きな喜びに包まれます。静まり返った会場、キラキラと輝く音の粒子がピアノの周囲に結集してきて、お客様が集中しておられるのが はっきりと感じられます。そしてヴァイオリンが加わり、音楽が花開き始めるのですが、この二つの和音の響きは公演全体のイメージを形づくる、大切な瞬間を成します。ブラームスの室内楽作品の中でも秀逸な、正にロマン派を代表する幻想的な場面なのです。

 そんな響きに導かれ、キム・スーヤンさんと共演のブラームスで私達がどんな世界を共感・共有する事が出来、また、皆様にどのような世界を感じて戴けるか、私自身、とっても楽しみにしています。

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児嶋 一江児嶋一江 kazue KOJIMA(ピアノ)
京都市立堀川高等学校音楽科卒業。東京藝術大学・同大学院を経て、国際ロータリー財団奨学生として国立ミュンヘン音楽大学留学、同マスターコース修了。金澤孝次郎、島崎清、井口秋子、小林仁、クラウス・シルデの各氏らに師事。学生音楽コンクール西日本1位。日本音楽コンクール、ジュネーブ国際音楽コンクール入賞。全ドイツ音楽コンクール優勝。海外派遣コンクール河合賞受賞。東京、大阪、ベルリン、ハンブルクなどでリサイタルを行う他、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、読売日本交響楽団、京都市交響楽団などと協演。また、カール・ズスケ、ラファエル・オレグ、小栗まち絵(Vn)、クリストフ・ヘンケル、ヴォルフガング・ベッチャー(Vc)、ハンス・ペーター・シュー(Tp)、ラドヴァン・ヴラトコヴィッチ(Hr)など、著名なソリストとの共演では、共演者から圧倒的な音楽的信頼を寄せられている。放送出演、レコーディングなども多く、ソロ・アンサンブルで幅広い活躍を続けている。東京藝術大学講師を経て、現在、相愛大学音楽学部教授。