12月8日主催公演 関連寄稿
掲載日:2012年11月13日
凸凹音色巧みに使い分け
現在のフルートの規範となった、いわゆる「ベーム式」と呼ばれる円筒管の金属製のフルートがドイツで発明されたのは1847年です。それが定着するには、さらに数十年を要しましたので、現在のフルートが一般的に使われるようになったのは、今から150年ほど前だと考えることができるでしょう。
それ以前のフルートは、材質、形状、指孔、キー(指孔を効率的・機能的に開閉するための蓋=ふた=)、指使い、歌口(息を吹き込む部分)の大きさ、どの部分をとっても一つとして同じものはないというくらい、多様性に満ちていました。時代や地域によって指使いがそれぞれ異なっていたことを考えただけでも、フルートほど変化に富んだ楽器は他にないのではないか、と思わずにはいられません。
こうしたピリオド楽器を用いた演奏を通じ、フルートの、深くて複雑な歴史を再構築する活動を積極的に行っているのが、元・大阪フィルハーモニー交響楽団首席奏者の榎田雅祥氏です。榎田氏がピリオド楽器のフルートと最初に出会ったのは、十代後半の頃だそうです。当時、チューリヒで師事していたアンドレ・ジョネ、後にロンドンで師事したウィリアム・ベネットの吹いていた、ルイ・ロット(1855年創業のフランスのフルート製作社)の存在が、活動の原点となっているそうです。
榎田氏によればルイ・ロットのフルートは、決して吹きやすい楽器ではありません。「きちんとした唇の形と吹き方と息の圧力コントロールを習得しなければ音が鳴ってくれないが、いったんその技術を習得すれば素晴らしい響きがする」のだそうです。演奏者の方から歩み寄らなければ十全には音が鳴らない不自由さ、それを乗り越えて得られる美しい響き。そのあたりが古いフルートの魅力なのかもしれません。
不自由さという点では、バロック・フルートはより際立っています。ベーム式など後世の楽器よりは少ない指孔で、音階を構成する全ての音を出すため、指使いはより複雑で、鳴りやすい音と鳴りにくい音との差も極端に出ます。その結果生じる音の凸凹感は、一見ハンディキャップのようですが、実は、音楽の性格を形成する上で、なくてはならないものでした。クヴァンツやクープランなど18世紀の作曲者たちはこれらの特質を熟知した上で、鳴りやすい音と鳴りにくい音を意図的に使い分けて曲を書いていたからです。
今回、筆者が注目しているのは、19世紀ロマン派の作品です。現代のように分業化が進んでいなかった19世紀において、フルート製作家は、作曲家と演奏家を兼ねていたことも多く、楽器の特色を最大限に生かした作品を書き残しました。トゥルーやベームがそのよい例です。また、木製と金属製のフルートが並行して使われるなど新旧様々なフルートが混在していたこともこの時代の特色です。現代のフルートと比べると当時の楽器は、倍音が豊富で、混り気のないクリアな音がするように思います。トゥルーやタファネルやテルシャックの作品をピリオド楽器で聞けば、こんなに鮮やかな曲だったのかと驚愕するでしょう。
使用される二台の個性豊かなピアノにもご期待ください。1726年にフィレンツェで作られたクリストーフォリ(1999年、修復家山本宣夫氏によって復元)は、この世に誕生した最初期のピアノとは思えないほど、多くの可能性を秘めた素晴らしい楽器です。
一方、ベーゼンドルファーは、現在と同じ88鍵で、豪華な外観をしています。この楽器の特徴は、現代のピアノにも見られる二重交差弦を導入しつつ、響板の張り方やアクションなどの内部構造は、18世紀以来のウィーンの伝統的な製作技術を受け継いでいる点です。その結果、ダイナミックな演奏に耐え得る英仏由来の近代的な方向性を示しながら、音の響きは、古き良きウィーンの伝統を残した楽器だと言うことができるでしょう。この楽器の製作年については、製造番号が確認できず、特定することが難しいのですが、山本氏によれば、二重交差弦の導入の時期や、1915年にはアクションをウィーン式からイギリス式へ移行したことを勘案すると1900年前後と考えるのが妥当だと考えられます。
榎田氏と共演するピアニストの上野真氏は、近年、ピリオド楽器による演奏に精力的に取組んでおられます。筆者も何度か氏の演奏を拝聴したことがありますが、繊細さと大胆さの両方を兼ね備えた演奏にいつも敬服しています。
楽器の発展にとって、機能性の向上と合理化は必要なことかもしれません。ホルンもトランペットもピアノもみな同じ道を辿ってきました。フルートも例外ではありません。合理化のおかげで、半音階も、音の跳躍も、どんな複雑な調性も、均一的な音色で、正確な音程で吹くことが出来るようになりました。しかし、吹きやすさと引換えに、それぞれの音が持っていた色彩豊かな響きの個性―例えば明朗さやうつろさ―など、失われたものも少なくありません。今回の公演では、バロックから近代に至るフルートの歴史を辿ることによって、フルートに本来備わっていたはずの可能性を聴き取ることができるでしょう。美を追求し、作品の真の姿に迫る榎田氏と上野氏の演奏をどうぞご期待ください。
<写真解説>
◆上 : 榎田雅祥氏と、18世紀、19世紀の楽器コレクション(一部)=神戸市のご自宅
◆下 : 今回、使用されるベーゼンドルファー 2012年山本宣夫修復 フォルテピアノ ヤマモトコレクション(堺市)収蔵
筒井はる香(つつい・はるか)
京都市生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士課程修了。ウィーン国立音楽大学に留学。文学博士。
現在、同志社女子大学、神戸女学院大学非常勤講師。論文に「消えゆく音に指で触れる―シューマンと
フォルテピアノ」(『ピアノを弾く身体』、岡田暁生監修、春秋社、2003年)、『パンメロディコンとその音楽―
19世紀前半における鍵盤楽器文化再考」(『阪大音楽学報』第8号、2010年)など。専門は鍵盤楽器史。
2012年12月8日(土)16:00開演。榎田雅祥、上野真の出演でバッハ「フルートソナタ ニ長調 BWV1028」、テルシャック「ソナタ 第3番 作品175」、ベーム「グランドポロネーズ 作品16a」ほか。公演に先立つ15:20から、榎田氏によるプレトークも。入場料3,000円(指定席)学生券1,000円(限定数。ザ・フェニックスホールチケットセンターのみのお取り扱い)。
チケットのお申し込みはザ・フェニックスホールチケットセンター
TEL 06-6363-7999(土・日・祝日を除く平日の10時~17時)
- 「真実の響き―18・19世紀フルートリサイタル 榎田雅祥(まさよし)(フルート)&上野真(フォルテピアノ)」 公演情報詳細はこちら♪
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