マリオ・ブルネロ インタビュー

5度目の登場、初の無伴奏公演 イタリアの名チェリスト マリオ・ブルネロ

掲載日:2012年5月1日

舞曲とブルース 独奏の妙

マリオ・ブルネロ。1960年、イタリア生まれ。ジャン=ギアン・ケラスやピーター・ウィスペルウェイ、あるいはトルルス・モルクといった、同じ1960年代生まれのチェリストらと共に、世界の楽壇を担う実力派として喝采を浴び続ける、正に超一流のアーティストである。1986年のチャイコフスキー国際コンクール優勝以来、欧米のヒノキ舞台に登場を重ねており、ザ・フェニックスホールにもここ15年来、たびたび来演。2012年6月で、5度目の登場となる。今回は、無伴奏リサイタル。滋味に溢れる音楽が、フェニックスの「親密空間」を満たしてくれることだろう。音楽と同様、山を愛し、時には畑仕事を通じ、自然に親しむ名手。マネジャーを通じ、返って来たブルネロの返事は朴訥だった。それを基に、今回の公演を紹介してみたい。

(ザ・フェニックスホール 谷本 裕)

 今回のブルネロの来日公演は、6月と7月にまたがる。3週間あまりの滞在中、ブルネロは10回もの本番をこなす予定だ。ファジル・サイ(ピアノ)や吉野直子(ハープ)との二重奏、竹澤恭子(ヴァイオリン)、江口玲(ピアノ)との三重奏や、若い演奏家との八重奏といった室内楽、室内オーケストラ「紀尾井シンフォニエッタ」の指揮、さらにはマスタークラスへの参画など、内容は多岐にわたっている。

本人は「年間の公演数は、60回以下に抑えるように心掛けている」と話しており、今回の滞在は、その6分の1を一気にこなす滞在となる。それぞれの舞台に要するブルネロ個人の準備はもちろん、他者とのリハーサルを考えると、今回の滞在がいかにハードなスケジュールか、お分かりいただけるだろう。そうした中、西日本では唯一、ザ・フェニックスホールの公演が組まれた。

 「このホールは、ずば抜けた音響効果を持っています。これまで自分のオーケストラやアンサンブルと共に演奏してきました。とても誇りに思っています」

 実に嬉しい言葉である。彼のザ・フェニックスホールへの来演は1996年11月が最初。清水和音のピアノで、ブラームスらのチェロソナタを演奏している。2度目は4年後の2000年11月。この折は、自ら創設した北イタリアの弦楽合奏団「オーケストラ・ダルキ・イタリアーナ」を率い、レスピーギの名作「古風な舞曲とアリア」第3集はじめ、ロッシーニやマリピエロといった母国の作品で客席を沸かせた。2003年12月には、ピアノと再びデュオを組んでいる。パートナーは小山実稚恵。ベートーヴェンやブラームスのソナタに加え、武満徹の「オリオン」で、繊細で明晰な音色を響かせたのが思い出される。前回の2008年11月は、イタリアの仲間とバロック音楽だけのプログラムを編み、チェンバロやオルガンなどと共に、ヴィヴァルディの作品を披露した。

そんな彼が今回、取り組むのは、最もシンプルな無伴奏のリサイタル。共演者が居ないだけに、自身の音楽性だけで勝負する、文字通りの独り舞台だ。ブルネロの奏でる、深い音色が楽しみだが、彼自身もホールの響きに期待を寄せている。

 「あの舞台の上で、私の“マッジーニ”の美しい音がホール全体に響きわたるのを演奏しながら聴けるのは、大変な特権です」

 「マッジーニ」とは、ブルネロ愛用のチェロ。ジョヴァンニ・パオロ・マッジーニは主に17世紀はじめ、北イタリアのブレシアを拠点に活躍した弦楽器製作者。名匠ガスパロ・デ・サロの弟子といわれ、優れたヴァイオリンやヴィオラ、チェロを残した。ブルネロは過去のフェニックス公演でもこの「名器」を用い、ホールの響きとの親和性を高く評価している。関西で弾くなら、フェニックスで-。そんな思いが今公演の端緒にあった。ブルネロが冒頭、弾くのは大バッハの組曲第1番ト長調。チェリストの間では「聖典」とも言われる6曲の無伴奏組曲を、彼はどう見ているのだろう。

「チェロのために書かれた作品の中では、最も古い名作。大昔の作品ですが、演奏に細心の注意が要求される点、そして作品の湛えた構想の大きさや深さという点を考えると、近現代に作られた音楽のほとんどを凌(しの)ぐ作品ではいないでしょうか」

 思い入れの表れか、ブルネロはプログラムの最後にも同じバッハの組曲第5番ハ短調を置いている。アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグといったバロック期の宮廷で貴族たちに親しまれた様々な舞曲を基にした典型的な組曲。正統的な様式観にのっとりながらも、個性的な表現が求められる。

「この2つを選んだのは、1番と5番が、バッハの思考が生み出した構造・様式を示すにあたり、柱となる作品だからです。」

 リサイタルでは、この「柱」に挟まれる形で、20世紀に作られた作品が2曲、演奏される。一つは、スペイン出身のガスパール・カサド(*1)が書いた無伴奏組曲。先のバッハの創作から、およそ200年を経た1926年の作品。民族主義的な作品である。バッハの作品で聞かれた宮廷のダンスとは一転、野趣に富んだカサドの故郷・カタロニアの舞曲のリズムと、スペイン情緒溢れる音色が聴きもの。

「この作品はチェロに、とてもよく合っています。カサド自身がチェリストで、楽器の特性を知り尽くしていたからでしょう。また、スペインの民俗音楽のエッセンスが、一つひとつの音符の音色に、またその色彩感覚に、いきいきと現れています。私は、チェロがまるでチェロ以外の楽器のように聞こえるよう、演奏するのが大好きです。例えばフルートとかギターとか、打楽器など。この作品には、そんな部分が多くあり、きっと楽しんでいただけると思います」

もう一曲は1999年の作。英国出身のジュディス・ウィア(*2)が書いた「アンロックト」である。米国南部の、主に黒人の囚人の歌を題材とした幻想曲風の作品。(※表参照)のような5曲から成っている。しなやかで、素朴な歌をベースにしており、静かなつぶやきや吹っ切れたような高吟、スイング感に満ちた即興的なパッセージなどが随所に散りばめられている。チェロを打楽器のように叩きながら口笛を吹く部分もある。ブルネロは「古い舞曲でなく、ブルースを基に作られていて、正に私たちの同時代の作品。私は、この作品が大好きです」と話す。柔軟な音楽性と、同じ時間を生きる「民」へ注ぐ、ブルネロの優しい眼差しを感じさせる選曲である。自由闊達な演奏を通じて、ブルネロの温かな人柄がきっと伺われるだろう。この作品こそが実は、この公演の白眉といえるかもしれない。正に無伴奏リサイタルならではの、醍醐味である。

取材協力:KAJIMOTO
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■脚注
*1 ガスパール・カサド(1897-1966) バルセロナ音楽院とパリでカザルスに師事。ファリャやラヴェルに作曲も習った。独奏者としての活動のほか、イタリアを拠点に後進の指導にあたった。夫人は神戸出身のピアニスト原智恵子。

*2 ジュディス・ウィア (1954-) スコットランド生まれ。ロンドン近郊で育ち、ケンブリッジ大学などで作曲を学ぶ。バーミンガム響、ボストン響などの委嘱を受けた管弦楽作品ほか、オペラは独ブレゲンツ音楽祭、英王立歌劇場などで演奏されている。ウェールズのカーディフ音楽院で後進の指導にあたっている。

■公演情報

「マリオ・ブルネロ 無伴奏チェロリサイタル」は、2012年6月16日(土)18:00開演。J・S・バッハ「無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV1007」、J・ウィア「アンロックト」(アメリカの囚人の歌による組曲)、G・カサド「無伴奏チェロ組曲」、J・S・バッハ「無伴奏チェロ組曲 第5番 ハ短調 BWV1011」。入場料4,000円(指定席)、学生券は完売。チケットのお求め、お問い合わせは同センター(電話06・6363・7999 土・日・祝を除く平日午前10時)。※残席僅か、ご予約はお早めに。

■プロフィル

1960年、イタリア生まれ。アドリアーノ・ペンドラメリとアントニオ・ヤニグロに師事。86年、26歳で第8回チャイコフスキー国際コンクール優勝、批評家特別賞・聴衆賞を受賞。世界に活躍の場を広げ、ジュリーニ指揮ミラノ・スカラ座、シノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団、また小澤征爾、ズービン・メータらとの共演で第一級のアーティストとしての評価を確立した。88年イタリア音楽評論家協会からアビアティ賞受賞。98年の来日公演ではゲルギエフ指揮キーロフ歌劇場管弦楽団、サヴァリッシュ指揮NHK交響楽団と共演。N響とは02年にパーヴォ・ヤルヴィ、03年にマルク・アルブレヒト指揮でも共演した。<東京の夏>音楽祭には第3回(1987)に初登場以来、しばしば出演。第22回のオープニングではヴァイオリンの巨匠イヴリー・ギトリス、ピアノの小山実稚恵と共演で話題を呼んだ。07年、ピアノのアンドレア・ルケシーニとの全国ツアーを行った。指揮者としても活躍を広げ、2000年、03年には自身主宰の室内管弦楽団「オーケストラ・ダルキ・イタリアーナ」を率い来日。また01年、03年、06年、07年、09年と紀尾井シンフォニエッタ東京とも共演している。06年秋にルツェルン・フェスティバル・イン・東京2006でピアノのポリーニと共演。07年6月には富士山でチェロトレッキングを行い、頂上でバッハの無伴奏作品を演奏した。02年 – 04年、パドヴァ歌劇場管弦楽団音楽監督。