THE DUO高木和弘&二村英仁に聞く

ヴァイオリニスト2人 異色のデュオ 10月登場 剛毅かつ柔軟。ソリスト2人が、笑顔の真剣勝負。

掲載日:2011年7月7日

THE DUO

高木和弘二村英仁

裸の舞台で限界に挑戦

 

ヴァイオリニスト2人だけのコンサートというのは、実は珍しい。この編成向けに書かれた作品が元々多くないのに加え、実力伯仲する名手が全身全霊で渡り合う気概とテクニック、音楽性を共有し、しかも深い信頼関係で結ばれていなければ、気迫みなぎる舞台は立ち現れてこない。10月7日(金)夜に行われる「THE DUO 高木和弘&二村英仁」は、このユニットの関西デビュー公演。東京交響楽団コンサートマスターの傍ら幅広い活動を展開する高木和弘、ユネスコの平和芸術家として世界の紛争地で演奏を重ねてきた二村英仁という、キャリアも個性も異なるソリストが共演、心技体の限界に挑む舞台だ。全曲暗譜で譜面台無し、伴奏のピアノも居ない舞台には、彼らが丁々発止取り交わす音楽だけが存在する。剣豪の真剣勝負のように、厳しく激しい舞台だが、2人の語らいは終始、和やかだった。

(ザ・フェニックスホール 谷本裕)

 

―高木は1972年生まれ、二村は70年生まれの同世代。共に豊かな才能と素晴らしい師に恵まれ、内外のコンクールで優れた成績を収めてきた。しかし歩んだキャリアはまるで別。このデュオ結成以前、接点は直接なかった。出会ったのは、2009年5月である。

二村  高木さんの所属する東京交響楽団公演にソロで招いて頂いた。テレビで偶然、素晴らしい演奏に触れており、お会いできるのが楽しみでした。リハーサルの最初、お声掛けしたんです。知的でストイックなイメージを持っていたんですが、独特の笑顔が何とも良くて、自然に引き込まれました。一方で、音楽の大事な勘所を端的につかみ取る能力にも感心しました。高木さんの一言で、演奏がすごく引き締まったんです。

―公演で二村が取り上げた曲の一つにエルガーの<愛の挨拶>があった。名の通り、穏やかな旋律がゆったりしたテンポで奏でられる、珠玉の名曲。リサイタルのアンコールなどでも、しばしば演奏される。

高木  あの曲は弾き流す例も少なくない。でも二村さんは違った。「気付いたことがあったら仰って下さい」と言われた。あの小曲にこう言う方は珍しい。僕も二村さんの活動に放送で触れ、尊敬していたが、真の誠実さを感じた。それだけに失礼は言えない。考えに考え終盤、ある箇所のテンポにつき一言、申し上げた。クライスラーの<愛の喜び>では、二村さんの演奏に僕がソロで絡む箇所もあり、親近感を強めました。

―それぞれに「相性」を感じた2人。共演へ、イニシャティヴを取ったのは先輩格の二村だった。

二村  メールで御礼を差し上げたら、ちょうどその頃、高木さんのコンサートがあった。終演後、一緒に食事に行ったんです。高木さんは、フランスの作曲家ショーソンのことを熱心に語られた。彼の作品は僕も大好きで、随分、勉強になりました。ロックやクラブミュージックなど幅広い音楽に詳しいし、実際演奏もされている。柔らかな人柄に触れ、「ぜひこの人と一緒の舞台で弾きたい」と思いましたね。

高木  僕は二村さんの歩みをうかがいました。90年代、アラブのある町でユダヤ人ピアニストと、対立するアラブ人の詩人の共演企画をご自分のコンサートの中で設け、パレスチナ解放機構のアラファト議長とイスラエルの要人を招こうとされた話。当日朝テロがあり、議長は来られなかったそうですが、公演は開かれた。平和のため危険を冒してこられた勇気を実感し、「ご縁」を大事にしたいと思いました。

―二村のスタッフは翌日からホールを探し、共演準備が始まった。デビューは2010年5月、JTホールだった。

高木  僕は当初、ピアノ伴奏も想定していました。その方がレパートリーは多い。協奏曲も弾きやすい。でも二村さんは最初から「ヴァイオリニストだけ」というこだわりを持っておられた。会場は都心のホール。遊びではなく真剣勝負でした。

二村  余計なものが無ければ、ごまかしは利かない。本当によいものだけが、評価される。この型に、こだわった理由は、これに尽きます。僕は高木さんのヴァイオリンに心底、惹かれていたので、付け加えるものは何も無いと思った。

―編成を踏まえ、次はプログラムの選曲。オリジナル作品は少ない。いきおい編曲が増える。アレンジは二村。膨大な候補作品リストの中から、絞り込みが進んだ。クライスラーの<愛の喜び>も取り込んだ。高木は、自宅に届いた譜を見て、肝を冷やす。

高木  原曲の、伴奏ピアノパートの音符がほとんど全部、ヴァイオリンに置き換えられている。楽器にはそれぞれ演奏上の特性がある。鍵盤では演奏しやすくても、ヴァイオリンだとそうもいかない。そんな難所も全て弾くことになっていて、すごい音符の数。弓使いも大変。「エーッ」と声を上げた後は、笑うしかありませんでした。

二村  編曲はそれまでも手掛けていた。でもヴァイオリン2本向けは初めて。この編成のために残されてきた作品の技術水準でいくか、もっとシンプルにするか。熟考の末、「枠」を超え、ヴァイオリン単体で、表現の限界を試そうと思ったんです。判断の「根」にはむろん、高木さんのテクニックへの絶対的な信頼がありました。

―その編曲には、パガニーニやイザイ、ヴィエニアフスキといった名ヴァイオリニストの手になる難曲に特徴的な「超絶技巧」が散りばめられてもいた。書き下ろされた編曲版はすべて、初めて舞台で演奏することになる。二村はそれらを本番で楽譜を見ず(暗譜)で演奏すると伝え、ふだん譜面を使う高木をさらに驚かせた。

高木  会食の際、二村さんがコンサートで暗譜を貫いておられることは聞きました。でも、まさか僕までとは思ってもいなかった。方針を聞いたのは日程が決まり、曲も定まって楽譜も揃い、PR写真の撮影も終わった頃。二村さんのスタッフから「ウチは基本的に暗譜ですよ」と笑顔で言われ、観念するしかなかったですね。

二村  暗譜は、小学生の頃からの習慣なんです。いにしえの巨匠たちはほとんど皆、暗譜です。トリオやカルテットなどの室内楽の折は僕も、目の前に譜面を置いておくこともありますが、実際には見ていません。暗譜の方が音楽に集中できます。舞台上に無用のものが何もない「型」を、高木さんと共有したかったんです。

―その二村自身もまた、公演に向けた課題を抱えていた。それはヴィオラの演奏である。選曲を進める中でどうしても低い音域が欲しかった二村は、舞台で弾いたことのないヴィオラの持ち替え演奏を、自ら申し出た。

二村  40年近くに及ぶ演奏生活で、ヴィオラを持ったことはほとんどない、ヴィオラはヴァイオリンより一回り大きい。ヴァイオリン同様、指盤に張った弦を左手の指で押さえ音程を取るんですが、ついヴァイオリン感覚で弾いてしまう。そもそも僕はヴィオラを持っておらず、借りて練習したんです。修得には「慣れ」が必要ですが、時間が足りない。演奏旅行に持っていく訳にもいかない。朝5時に起きて、さらいました。

高木  初めてのヴィオラを暗譜で弾くなんて。僕も結構、頑張るタイプですが、二村さんの姿勢には本当に刺激を受けました。僕もオーケストラの仕事がある。旅も多い。家で夜、息子が寝た後、ヘッドフォンで音が確かめられる特殊な電気楽器で、練習しましたよ。リハーサルに行くと、二村さんの準備は完璧。表現は穏やかですが、厳しい合奏が続き、ボクシングのスパーリングを受ける感じでした。

―厳しいシーソーゲームを繰り広げた高木と二村。大阪公演でも、そんな火花が散るだろう。

二村  内戦中も命を賭して練習に通ったり、楽器と共に砲弾を潜り抜けたり。そんな音楽家の姿を、紛争地で僕は見てきた。だから、戦争の無い日本で生き、演奏できることに感謝の念が強い。仕事の度に、一皮むけていきたい気持ちがある。それには厳しさが要ります。でも高木さんはいつも期待に応えてくれる。刺激を与え合い、共に成長し続けたいという願い。それが公演の核心にある。

高木  今の時代、二村さんのような向上心を持ち続けるのは、並大抵のことではない。二村さんをパートナーとすることで、僕も自分を奮い立たせられる。乗り越えた後、新たに見えてくるものもあった。リハーサルはいつも、エネルギーが凝縮している。張り詰めてもいる。でも二村さんの音楽には、決して閉ざされた硬さがない。僕と2人で創り上げる音楽の醍醐味を、故郷の大阪に、ぜひ伝えたい。

取材協力:二村英仁オフィス株式会社

 


 

プロフィール>

高木和弘(ヴァイオリン) (写真・左)

フランス国立リヨン高等音楽院を首席卒業。南メソディスト大学、シカゴ芸術大学に学ぶ。これまでに森悠子氏、E・ウルフソン氏に師事。1997年エリザベート王妃国際音楽コンクール入賞、98年ジュネーブ国際音楽コンクール第3位(1位なし)。01年フィショッフ室内楽コンクール第1位受賞。05年度文化庁芸術祭新人賞、大阪文化祭賞大賞受賞。07年度第19回ミュージック・ペンクラブ音楽賞オーディオ部門録音作品賞を受賞。ドイツヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスター、大阪センチュリー交響楽団首席客演コンサートマスターを経て現在、東京交響楽団コンサートマスター、山形交響楽団特別首席コンサートマスター長岡京室内アンサンブル、いずみシンフォニエッタ大阪、Eusia弦楽四重奏団の各メンバーとしても活躍中。

http://www.kazuhirotakagi.com

 

二村英仁(ヴァイオリン・ヴィオラ) (写真・右)

4歳よりヴァイオリンを始め、9歳から16歳まで毎夏渡米。故D・ディレイ女史に師事。東京芸術大学附属高校を経て同大学卒業。95年日本国際音楽コンクール優勝。96年出光音楽賞受賞。同年より主に海外で演奏活動を開始。98年国連より日本人初の「ユネスコ平和芸術家」に任命され、サラエボ・コソボ・パレスチナ等で演奏。00年にはNHK総合、BS2では3夜連続で「音楽にできること~ヴァイオリニスト二村英仁~」が放送された。その後CM・KDD「プロジェクト001」、「徹子の部屋」「筑紫哲也NEWS23」「題名のない音楽会」「スタジオパーク」等の出演をはじめ多数のメディアに取り上げられたほか、NHKドラマシリーズ「夢みる葡萄」のメインテーマやエンディングテーマの演奏も手懸けた。テレビ作品に「封印された旋律」(BS-i・ハイビジョン国際映画祭入賞作品)。CDはソニークラシカルより3枚リリース。

http://www.eijin-nimura.com