鷲野彰子さんが語る ~ビルソン教授のワークショップ見聞録~
今回のレクチャー・コンサート「古楽の楽しみ マルコム・ビルソン教授の『楽譜の読み方』」の構成協力者としてご尽力いただいています大阪在住のピアニスト、鷲野彰子さん。アメリカやオランダで学ばれ、現在、学識豊かな演奏家として活躍されています。ビルソン氏のワークショップに参加することで、自身の音楽に大きく影響を受けたという鷲野さんに、ビルソン氏の魅力を綴っていただきました。
掲載日:2010年9月3日
ビルソン教授のワークショップ見聞録
鷲野 彰子
私が初めてマルコム・ビルソン教授の存在を知ったのは、10年以上も前のこと。友人に勧められ、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ(チェリスト:アンナ・ビルスマ氏)の録音を聴き、その活き活きとした演奏に感銘を受けた。以来、ビルソン教授は私にとって最も興味ある演奏家の一人だったのだが、まさかその数年後に、当時の私の留学先であったオランダ王立デン・ハーグ音楽院にビルソン教授が招聘され、そのレッスンを受けるチャンスがめぐってくるとは、その時は想像さえしていなかった。彼のレッスンの面白さ、演奏、人柄に魅了され、それ以降、ベルギーやアメリカで行われた彼のワークショップに何度か参加している。
彼のワークショップは、いつも明快かつ刺激的だ。子どもも大人もピアノを演奏する人もしない人も、皆が楽しそうに興味津々できいている。長年の研究によって培われた深い音楽力、人を惹きこむ豊かな発想と指導力、役者顔負けのユーモアたっぷりの表現力はどれをとっても素晴らしく、そしてユニークだが、なんといっても彼のワークショップならではのこと、といえば、突然投げかけられる、ぎょっとさせられるような質問や提案だ。「この音符とこの音符、どっちを長く保つと思う?」と、4分音符と8分音符を指して尋ねる。「言わずもがな、4分音符だろう」と思いながら、「でも、わざわざ言うあたりその逆だろうか。しかし、どうしたら、そんなことがありえるだろう?」と深読みしながら皆が首をかしげる傍で、ビルソン教授の、自身の意見とその理由についての説明が始まる。
また、これは彼が行ったレクチャーで、ある録音を流したときのこと。古い録音で、恐らく当時は有名な演奏家だっただろうけれど、今では到底受け入れられない、誰もそんな演奏をしようとは思わないような演奏で、そのクラスにいた皆がクスクス笑った。そのような演奏が、当時の演奏方法として主流のものであったことを様々な例をあげてビルソン教授が説明をする。ここまでは驚くに値しないのだが、ビルソン教授の話は、当時作曲された私達のよく知っている作品とその「時代遅れ」の演奏法を絡め、思わぬ展開をする。
もうひとつ例を挙げてみる。ある作品の中で、全く同じものがあてはまるだろう部分なのに書かれ方のちがう箇所がある。なぜか?「この作曲家は急いでいたので、書き間違ったのだ」、または「当時は楽譜に書く際に、現在ほど厳密には区別して書かなかっただけで、本当は同じものを書きたかったのだ」と考えるべきか。「ちょっと待って。即断する前に、その書き方の違う二箇所に、作曲家の意図が隠れていないか確認してみよう。」とビルソン教授は警告を与える。もちろん、その二箇所を譜面に書かれた通りに、変化をつけて演奏するのではない。同じ内容のものを作曲家が異なる書き方をした意味を考えることで、作曲家の書き方の特徴が、つまり他の部分や他の作品をみるときにも有効な特徴が見つかるのではないか、というのだ。すべての作曲家の作品を同じ尺度で測り、同じように見るのではなく、作曲家の書き方やクセをそこから学べないか、と。
彼のレクチャー、レッスンはこのような調子で行われるのだが、このびっくりするような彼の意見は、彼の話をきいていくうちに当然のことのように思えてきて、それにびっくりしていた自分に驚く、という機会に何度も遭遇する。そこから自ずと、「当たり前」と思っていたことは、どこから学んだことなのかについて考えざるを得なくなる。私の場合、小さい頃からのピアノのレッスンと、日本、アメリカ、オランダのそれぞれの国で、多くの先生から、また本や授業から、そしてそれまでに聴いた多くの演奏会や録音から得てきたこと、その合計が私の「音楽観」であり「当たり前」だ。それは現在活躍する多くの演奏家や教育者とそう価値観の異なる音楽観ではないに違いない。実際、ビルソン教授のクラスで録音をきいて笑った彼らとも、それを共有していたからこそ同じように笑えたのだ。しかし彼のレクチャーをきいた後では、「時代遅れだ」と笑った演奏を経た、その延長線上に私達の今の音楽教育があると思うほかない。「時代遅れ」とは実は縁が切れているわけではなく、過去とは訣別した最新の「最も真実に近い」はずの演奏や音楽解釈が、実は「時代遅れ」を多分にひきずっていることに気がついて愕然とする。モーツァルトやシューベルトの時代、いや、もっとごく最近のラヴェルやプロコフィエフの時代まで、作曲家と演奏家は同一人物であったり同時代人であったりと、双方は互いに影響を与えあうことができるほど近い距離にあった。だが現在、演奏家の教育は、作曲家本人からのものではない「伝統(作品の解読と演奏方法)」を学ぶことが中心になっている。この「伝統」がいつの時代のどのような「伝統」であるのかについて、いま一度考えてみる必要があるのではないか。
レッスン中、皆がよく先生に注意される「正確に!」。最も基本的で単純なことに思える「正確に」弾く、そしてその前の「正確に」読む作業。それさえも再考する必要性を、ビルソン教授のワークショップでは感じずにはおられない。無意識に着てきた「伝統」を脱いで、「当たり前」を横にそっと置いて、フレッシュな目で作品を見るとき、そこに私達現代人がまだ見ていない新たな発見があるのではないか、とビルソン教授は訴えているのだろう。彼は説得力のある数々の話をすることで、皆に正しい読み方を、答えを、教えているのではない。考えるための、ひとつのヒントをくれているのだ。そのヒントは、大きくひらかれた未知の世界への鍵のようで、長年にわたって、私にとってかけがえのない大事な宝物となっている。
わしの・あきこ 大阪教育大学教育学部教養学科芸術専攻音楽コース卒業後、ニューヨーク州立大学パーチェス・カレッジ大学院修了。オランダ王立デン・ハーグ音楽院でフォルテピアノ科卒業、ピアノ科・室内楽科修了。大阪大学大学院文学研究科(音楽学)、京都市立芸術大学大学院音楽研究科研究生を経て、現在は東京と大阪を中心に演奏活動を行っている。
- 9月30日(木) 午後7時 開演 レクチャーコンサートシリーズ 古楽の楽しみ マルコム・ビルソン教授の『楽譜の読み方』公演詳細はこちら♪